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巻第10(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第10-1964~1968

訓読

1964
黙(もだ)もあらむ時も鳴かなむひぐらしの物思(ものも)ふ時に鳴きつつもとな
1965
思ふ子が衣(ころも)摺(す)らむににほひこそ島の榛原(はりはら)秋立たずとも
1966
風に散る花橘(はなたちばな)を袖(そで)に受けて君が御跡(みあと)と偲(しの)ひつるかも
1967
かぐはしき花橘を玉に貫(ぬ)き贈らむ妹(いも)はみつれてもあるか
1968
ほととぎす来鳴(きな)き響(とよ)もす橘(たちばな)の花散る庭を見む人や誰(た)れ

意味

〈1964〉
 何もない時に鳴いてほしいヒグラシなのに、こんなに物思いにふけっている時に、むやみやたらと鳴き続けて。
〈1965〉
 愛しく思うあの子が衣を染めるのにいいように、美しく色づいておくれ、ここ島の榛原よ、秋はまだ来ないが。
〈1966〉
 風に舞い散る橘の花びらを袖に受け止め、その香りをあなたの形見のように偲んでいます。
〈1967〉
 香りのよい花橘の実を薬玉にして贈ってやろう。彼女はやつれ果てて病床についているのではないだろうか。
〈1968〉
 ホトトギスが来て鳴き声を響かせている、橘の花の散っている庭、この庭を一緒に見て楽しんでくれる人は誰だろう。

鑑賞

 作者未詳歌5首。1964は「蝉を詠む」歌。「黙」は、黙っている、何事もなくている。ここは単なる沈黙というより、感情を内に秘め、静かに思いに沈む状態をも示唆しています。「鳴かなむ」の「なむ」は、願望の助詞。「もとな」は、わけもなく、むやみに。恋をして悩んでいる時に、ヒグラシの声は似つかわしくない、静かに物思いに耽りたい、と言っています。ヒグラシの声は『万葉集』において、寂寥感や哀愁、物思いと結びつくことが多く、本来であれば、「物思ふ時」にこそふさわしい存在とも言えるのですが、本歌ではあえて、その「物思ふ時に鳴きつつもとな」と詠むことで、鳴き声が思索を助けるのではなく、かえって心を騒がせる存在として捉えられています。

 
1965は「榛を詠む」歌。「榛」は、ハンノキ。「衣摺らむに」は、衣を摺るために。「にほひこそ」の「こそ」は、希求の助詞で、美しく色づいておくれ。衣を染めるのに用いるのはハンノキの葉ではなく実や樹皮であるため、美しい黄葉を望む中に、実が熟することを含めていると見られます。「島」は、明日香村の島の庄か。「秋立たずとも」は、暦の立秋を意識した表現。相手を思う気持ちが強ければ、秋でなくとも秋の気配が立ち現れるという発想は、自然と感情とを不可分のものとして捉える『万葉集』特有の世界観をよく示しているとされます。

 1966~1968は「花を詠む」歌。ここで詠まれている「橘」は柑橘類の一種で、『日本書紀』によれば、
垂仁天皇の代に、非時香菓(ときじくのかくのみ:時を定めずいつも黄金に輝く木の実)を求めよとの命を受けた田道間守(たじまもり)が、常世(仙境)に赴き、10年を経て、労苦の末に持ち帰ったと伝えられる 植物です。しかしその時、垂仁天皇はすでに崩御しており、それを聞いた田道間守は、嘆き悲しんで天皇の陵で自殺しました。次代の景行天皇が田道間守の忠を哀しみ、垂仁天皇陵近くに葬ったとされます。そうした伝説が影響してか、宮廷の貴族たちは好んで庭園に橘を植えたといいます。

 
1966の「君が御跡と」の「跡」は他に例がなく、足跡の意から、形見、名残の意に用いられたものとされます。尊敬を込めた語であり、対象が単なる恋人にとどまらず、格の高い存在、あるいはすでに遠く離れた人である可能性を示唆しています。原文は「為君御跡」で、「君がみためと」と訓み、「あなたに差し上げるために」のように解するものもあります。君は亡き人で、作者は妻だろうとする見方がありますが、懐かしい人の旧宅か、ゆかりの地に立っての感慨、あるいは単純に女自身の家の橘を、今はその人の来てくれぬままに詠んだものと見るものもあります。

 
1967の「かぐはしき」は、香りのよい。「みつれてもあるか」の「みつる」は、やつれる、身も心も疲れ果てる意。「も~か」は、詠嘆的疑問。事情の分かりにくい歌ですが、5月5日の節日には、貴族階級の夫婦間では、橘の花を緒に貫いて贈答し合ったらしく、これも夫がそうした物を妻に贈ろうとして、折から妻が病んでやつれていることを憂えたものとされます。窪田空穂は、「多くをいわず、気分をその一歩手前の状態をいうことにとどめたものである。貴族的な歌である」と述べています。

 
1968の「響もす」は、響かせる。「見む人や誰れ」の「や」は、反語の意を含む疑問。見る人はほかの誰でもなくおそらくあなただろう、の意。ホトトギスの鳴き声と橘の花の散る庭という初夏の典型的情景を提示しつつ、それを共に味わうべき「人」の不在を嘆いた一首です。風流を解する男同士の社交の歌との見方がありますが、訪れが途絶えがちになった男に対し、婉曲に誘う女の歌との見方もあります。それだと、慎ましやかさを装いながらも、ちらっと皮肉がこめられているようにも感じられます。
 


『日本書紀』

 日本最古の勅撰歴史書。全30巻。六国史の筆頭で、『古事記』とあわせて「記紀(きき)」という。天武天皇の第3皇子舎人(とねり)親王が、勅を奉じて太安麻侶(おおのやすまろ)らと編纂、養老4年(720年)に完成、朝廷に献じられた記録がみえる。第1・2巻は神代、第3巻以下は神武天皇の代から持統天皇の代の終わり(697年)までを、年紀をたてて編年体に配列してある。その記事内容は、① 天皇の名・享年・治世年数・皇居の所在地を列記した帝紀、② 歴代の諸説話・伝説などの旧辞、③ 諸家の記録、④ 各地に伝えられた物語、⑤ 詔勅、⑥ 壬申の乱の従軍日記などの私的記録、⑦ 寺院縁起、⑧ 朝鮮・中国の史書の類から成っている。『古事記』と関係が深く、『古事記』と同様に天皇中心の中央集権国家の確立にあたっての理論的・精神的な支柱とすることを目的としている。ただし、『古事記』が一つの正説を定めているのに比し、『日本書紀』は諸説を併記するなど史料主義の傾向がある。また、『古事記』が国語表現をでき得る限り表記しようとしているのに対し、歌謡など一部を除いて徹底的な漢文表記となっており、漢籍、類書、仏典を用いた漢文的潤色が著しいものとなっている。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。