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巻第10(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第10-1983~1987

訓読

1983
人言(ひとごと)は夏野(なつの)の草の繁(しげ)くとも妹(いも)と我(あ)れとし携(たづさ)はり寝ば
1984
このころの恋の繁(しげ)けく夏草の刈り掃(はら)へども生(お)ひしくごとし
1985
ま葛(くず)延(は)ふ夏野(なつの)の繁(しげ)くかく恋ひばまこと我(わ)が命(いのち)常(つね)ならめやも
1986
我(わ)れのみやかく恋すらむ杜若(かきつはた)丹(に)つらふ妹(いも)はいかにかあるらむ
1987
片縒(かたよ)りに糸をぞ我(わ)が縒(よ)る我(わ)が背子(せこ)が花橘(はなたちばな)を貫(ぬ)かむと思ひて

意味

〈1983〉
 人の噂が夏の野草が茂るようにうるさくても、あなたと私が手をとりあって寝てしまえば・・・。
〈1984〉
 このごろの私の恋心の激しさは、刈り掃っても掃ってもまた生えてくる夏草のようなものだ。
〈1985〉
 葛が一面に這い伸びる夏の野のように、激しく恋い焦がれていたら、ほんとうに私の命は長く続くだろうか、続きはしない。
〈1986〉
 私だけがこんなに恋い焦がれているのか、杜若のように紅い頬をしたあの子は、いったいどんな気持ちでいるのだろう。
〈1987〉
 糸の片方ばかりに私は縒りをかけています。愛しいあなたのための橘の花を、糸に通してつないでおきたいと思って。

鑑賞

 作者未詳歌5首。1983~1986は「草に寄せる」歌。1983の「人言」は、他人の噂。その噂のうるささを、手がつけられないほど茂り放題となる夏草に喩えています。「我れとし」の「し」は強意の副助詞。「携はり寝ば」は、共に手を取り合って寝たならばで、下に嬉しかろう、あるいはあとはどうなろうと構わない、の意が省かれています。男の歌と見られ、集団的生活のなかで、個人的行動が難しかった嘆きの歌ですが、作家の田辺聖子は次のように評しています。「直截的な表現で、それをどこかぶきっちょに、ぶこつに言っている。ぶっきらぼうな歌といってもいい。洗練された都会人ならもっとうまい言い回しをしたろうが、ぶったぎるような言い方に真実が感じられる」。

 
1984の「このころの」は、恋が一時的なものではなく、現在進行形で激しさを増していることを示す語であり、過去の回想ではなく、今まさに苦しみの最中にあるという切迫感が、歌全体の基調を定めています。「繁けく」は「繁し」のク語法で名詞形。「生ひしく」の「しく」は、あとからあとから追いつく意。夏草は、刈り取ってもすぐに再び生い茂る存在であり、その生命力の強さは制御の困難さを象徴しています。恋を忘れよう、断ち切ろうとしても、かえって思いは蘇り、以前にも増して心を占めてしまう――その心理が、簡潔な比喩によって鮮やかに示されている歌です。

 
1985の「ま葛」の「ま」は、完全性を示す接頭語で、葛は秋の七草の一つ。蔓性植物の代表であり、絡まり、覆い尽くす性質をもつことから、逃れがたい恋情の象徴としてふさわしい素材です。また、「延ふ」という動詞は、静かでありながら止めどなく広がる力を含意し、恋の進行が徐々に、しかし確実であることを示しています。「かく恋ひばまこと我が命常ならめやも」が本歌の感情的核心であり、「かく恋ひば」と条件を提示したうえで、「命常ならめやも」と反語的に問いかけて、このまま恋い続ければ命は保てまい、という切実な思いを強調しています。ここでの「命」は単なる生理的生命にとどまらず、心の平衡や日常の維持といった広い意味を含むと解されます。前歌とともに男女どちらの歌とも取れます。

 
1986の「かく恋すらむ」の「らむ」は、現在推量。「杜若」はアヤメ科の多年草で、「丹つらふ」の比喩的枕詞。「杜若」は、青紫の花を咲かせる初夏の植物であり、色彩的な美しさとともに、女性の装いや姿に結びつけられることが多い語です。「丹つらふ」は、丹の色に出る意で、紅顔の意に用いているもの。恋する者によく宿る心情であり、相手はうら若くて無邪気な娘であったと見えます。結句の「いかにかあるらむ」は、相手の心中を推し量ろうとする柔らかな疑問表現であり、責めや怨みではなく、思いやりと切なさを含んだ語調となっています。

 
1987は「花に寄せる」歌。「片縒り」は、普通の糸は2本縒りであるのに対し、糸を1本縒りにすること、すなわち簡素でありながらも確かな強さをもつ糸を作る作業を描写しているものです。「片縒り」は2本撚りに比べて弱いともされますが、その分、手間と注意を要するものであり、ここでは作者の心を一点に集中させる象徴的行為として機能しています。また「片縒り」は、片思いの譬喩とも言われます。「我が背子が花橘を」は、あなたがかずらにするための橘の花を、の意。「貫かむと思ひて」の「貫く」は、緒に通す意で、薬玉にすること。本歌には、恋の成就や不安といった感情の起伏は直接語られていませんが、静かな語り口の背後には、相手を思い続ける時間の長さと、その思いを形にしようとする切実さが感じられます。
 


枕詞あれこれ

  • あかねさす
    「日」「昼」に掛かる枕詞。「赤く輝く」もの、」すなわち太陽を意味する。また、茜(あかね)色に近い「紫」の枕詞にも転用されている。
  • 秋津島/蜻蛉島(あきづしま)
    「大和」にかかる枕詞。「秋津島」は、日本の本州の古代の呼称で、『古事記』には「大倭豊秋津島」(おおやまととよあきつしま)、『日本書紀』には「大日本豊秋津洲」(おおやまととよあきつしま)と、表記している。また「蜻蛉島」は、神武天皇が国土を一望してトンボのようだと言ったことが由来とされている。
  • 朝露の
    「消」に掛かる枕詞。朝露は消えやすいところから。
  • あしひきの
    「山」に掛かる枕詞。語義未詳ながら、足を引きずってあえぎながら登る意、山すそを稜線が長く引く意など諸説がある。
  • あぢむらの
    「あぢむら」は、アジガモ(味鴨)。アジガモが群がって騒ぐことから、「騒く」にかかる枕詞。
  • 梓弓(あづさゆみ)
    梓弓は、梓の丸木で作られた弓。弓を射る動作から「はる」「ひく」「いる」などに掛かる。また弓に付いている弦(つる)から同音の地名「敦賀」に、弓の部分の名から「末」などにも掛かる。
  • 天伝ふ
    「日」に掛かる枕詞。「天(大空)を伝い渡っていく」もの、すなわち太陽を意味し、「日」の修飾ではなく、同格の関係にある。「天知るや」「高照らす」「高光る」なども同様。
  • 天飛ぶや
    「鳥」「鴨」に掛かる枕詞。空高く飛ぶことから。また、「雁」を転用して「軽(かる」にも掛かる。
  • 荒妙(あらたへ)の
    「藤」に掛かる枕詞。荒妙は、木の皮の繊維で作った粗い布で、おもに藤をその材料としていたことから。

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