| 訓読 |
1993
外(よそ)のみに見つつ恋ひなむ紅(くれなゐ)の末摘花(すゑつむはな)の色に出(い)でずとも
1994
夏草(なつくさ)の露(つゆ)別(わ)け衣(ころも)着(つ)けなくに我(わ)が衣手(ころもで)の干(ふ)る時もなき
1995
六月(みなづき)の地(つち)さへ裂(さ)けて照る日にも我(わ)が袖(そで)干(ひ)めや君に逢はずして
| 意味 |
〈1993〉
せめて遠目にだけでも姿を見て慕っていよう。鮮やかな紅花のように、はっきりと思いを打ち明けなくても。
〈1994〉
夏草の露にまみれて踏み分けてきたような、そんな着物を着た覚えはないのに、どうして私の着物の袖は乾く間もないのか。
〈1995〉
六月の、地面さえ裂けて照りつける日射しにも、私の着物の袖は涙で乾くことがありません。あなたにお逢いできないので。
| 鑑賞 |
作者未詳歌3首。1993は「花に寄せる」歌。「外のみに」は、せめて遠目にだけでも。「見つつ恋ひなむ」の「な」は完了、「む」は意志を表します。原文「見筒戀牟」で、ミツツヲコヒム、ミツツヤコヒム、ミツツコヒセムなどと訓むものもあります。「末摘花」は、紅花(べにばな)の別名で、先の方に咲く花を摘んで強い赤色を製するところからそう呼ばれます。「末摘花」とあるのは、集中この一例のみ。「色に出でずとも」の「色に出づ」は、表面にあらわす意で、恋を打ち明けていわずとも。
本歌では、これまでの歌に見られた「隠り恋の苦しさ」とは異なり、秘めることを選び取る主体の姿が描かれています。恋を表明しないことは苦しみであると同時に、相手との距離や秩序を守る行為でもあり、その均衡が静かな語調の中にあります。末摘花という色彩的に強い素材を用いながら、あえて「色に出でず」と言い切る構成によって、抑制美と内的強度とを両立させており、静謐で余韻の深い一首として評価されます。
1994は「露に寄せる」歌。「露別け衣」は、夏草の露を分ける衣の意で、女の家に通う男が夏草の夕露を踏み分けて行くために濡れる衣をいうものとされます。美しい詩的造語ですが、誇張があり、技巧に走っているとも評されるところです。「着けなくに」の「なくに」は逆接で、着ているわけではないのに、着た覚えはないのに、の意。露別け衣など着たことがないのに、すなわちそんな経験などしたことのないのに、という女の心の歌であるとされますが、恋の嘆きをしている男の歌との見方もあります。どちらにしましても、恋の対象や原因は明示されず、結果としての苦しみのみが提示されている歌です。そのため、具体的な物語性よりも、感情の質感そのものが前面に出ており、『万葉集』恋歌の中でも感覚的・身体的表現の強い作品といえます。
1995は「日に寄せる」歌。ここの「六月」は旧暦で、今の七月、梅雨明け後の暑い夏の真っ盛りのころです。「地さへ裂けて」は、地までも干割れてという誇張表現。「我が袖干めや」は、いつも涙に濡れて私の袖は乾く時がない、の意。「や」は反語。恋人に逢えないことによる尽きることのない悲しみ・恋慕を歌っており、『万葉集』に多く見られる「袖=涙」の表現を踏襲しつつも、本歌では季節感と自然の極端な状態を導入することで、感情の量的・質的な激しさを際立たせています。個人的感情を自然界のスケールにまで拡張して表現する点に、万葉歌人特有の率直で力強い抒情性がよく表れていると言えます。
作家の田辺聖子はこの歌を評し、「形容が斬新で、烈日と地割れをもってきたところが、この歌の面白みであろう。真夏の容赦ない暑さや、乾き切った地面などが、この時代より以後の歌によまれることはない。いかにも万葉ぶりの生活感あふれる歌である」と言っており、窪田空穂は、「『六月の地さへ裂けて照る日にも』は、眼前を捉えたもので、その捉え方の大きく、言い方の直線的に、力のある点は、特色のあるものである」と言っています。

田辺聖子
1928年3月27日生まれ、大阪府大阪市出身の小説家・随筆家。樟蔭女子専門学校(現大阪樟蔭女子大学)国文科を卒業した後、会社勤めの傍ら創作活動を始め、58年に『花狩』でデビュー。64年に刊行された『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)』で芥川賞を受賞。その後、大阪弁で男女の機微を描く恋愛小説を次々と発表、評伝小説でも活躍し、87年に俳人・杉田久女の評伝『花衣ぬぐやまつわる…… わが愛の杉田久女』で女流文学賞、93年に俳人・小林一茶が主人公の小説『ひねくれ一茶』で吉川英治文学賞、98年に川柳作家・岸本水府の評伝『道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代』で泉鏡花文学賞などを受賞した。『源氏物語』の口語訳など、古典文学の翻案にも力を注いだ。95年に紫綬褒章、2008年に文化勲章を受賞。2019年6月6日、91歳で死去した。
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