| 訓読 |
2018
天(あま)の川(がは)去年(こぞ)の渡りで移ろへば川瀬を踏むに夜(よ)ぞ更(ふ)けにける
2019
古(いにしへ)ゆあげてし服(はた)も顧みず天(あま)の川津(かはづ)に年ぞ経(へ)にける
2020
天(あま)の川(がは)夜船(よふね)を漕ぎて明けぬとも逢はむと思へや袖(そで)交(か)へずあらむ
2021
遠妻(とほづま)と手枕(たまくら)交(か)へて寝たる夜(よ)は鶏(とり)がねな鳴き明けば明けぬとも
| 意味 |
〈2018〉
天の川の、去年渡った渡し場がすっかり変わっていたので、川瀬を踏んで捜しているうちに夜が更けてしまった。
〈2019〉
ずっと前から織り続けていた機(はた)も放ったらかしにして、あなた恋しさに舟着き場でこの一年を過ごしてしまいました。
〈2020〉
天の川に夜舟を漕いで、たとえ夜が明けてしまったとしても、逢おうと思っている夜には、袖を交わし共寝せずにはいられない。
〈2021〉
いつも遠くにいる妻と手枕を交わし、こうしてやっと寝ることができた夜は、鶏よ鳴かないでくれ、夜が明けようとも。
| 鑑賞 |
『柿本人麻呂歌集』から「七夕」の歌4首。2018・2020~2021は、牽牛の立場で詠んだ歌、2019は織女の立場で詠んだ歌。2018の「渡りで」の「で」は接尾語で、渡し場または渡るのに便利な地点の意。「移ろへば」は、川の流れの変化によって深浅が変化している意。「川瀬を踏むに」は、あちこちの川の瀬々を踏んで、渡河に都合のよい浅瀬を捜しているうちに。毎年繰り返されるはずの逢瀬が、自然と時間の変化によって容易には果たされないことを描いています。
2019の「いにしへゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。一年前の逢会以後の意とも取れますが、そう限定しない方が、長年にわたって恋に苦しむ織女の様子が窺われてよいとする意見があります。「あげてし服」の「あぐ」は、布を織るために機(はた)にかける意、「服」は織物。「天の川津」の「津」は、船着き場・水辺であり、渡河を待つ場所。「年ぞ経にける」の「ぞ」は係助詞で、「ける」はその結び。窪田空穂は、「七夕の伝説では、織女は天帝の衣を織るのを職とする女であるが、牽牛に逢い初めると、その職を忘れてしまったので、罰として逢うことを禁じられたというのであるが、ここではまた、夫の衣を織ることを忘れてしまっているのである。あわれとともに、おかし味のある歌である」と述べています。
2020の「逢はむと思へや」の「や」は、疑問的反語。原文「將相等念夜」で、アハムトオモフヨと訓むものもあります。「袖交へずあらむ」までを、それでも逢おうと思っているからお二人はなかなか袖を交さないのであろうか、のように解するものもあります。2021の「遠妻」は、1年もの間、隔てられて住む織女を表現したもの。「手枕交へて」は、手枕をさし交わして。「鶏がね」は、鶏。「な鳴き」は、禁止。「明けば明けぬとも」の「~ば~とも」は、どうにでもなれの気持ち。

古典文学を学ぶ意義
まず第一に、数多くある古典文学作品は日本文化や歴史の貴重な証拠です。『源氏物語』や『古今和歌集』などは、平安時代の風俗や人々の生活を詳細に描いており、当時の社会や人間関係についての洞察を窺うことができます。更に、『更級日記』などの日記や徒然草などの随筆は、中世の庶民の日常生活や心情を伝えています。
第二に、古典文学は日本語の美しさと独自性を体現しています。古代の歌や物語は、音韻やリズムにこだわり、豊かなイメージや比喩を用いて表現されています。また、古い時代の文学作品は、日本独自の美意識や価値観を反映しており、それらを理解していることで日本文化の一端を垣間見ることができます。
第三に、古典文学は現代の文学や芸術にも大きな影響を与えています。多くの作家や詩人が、古典文学のテーマや形式を借りて新たな創作を展望しています。それにより、現代の文学作品をより深く味わう力を培うことができます。
総じて言えば、古い日本文学を学ぶことは、日本文化や歴史時代を俯瞰し、日本語の美しさや独自性を体感する機会を提供してくれますし、それらのつながりを確認することもできます。古典文学は、私たちの文化的な認識を形成するための重要な要素であり、その価値は今後も間違いなく継続していくでしょう。

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