| 訓読 |
2029
天(あま)の川(がは)楫(かぢ)の音聞こゆ彦星(ひこぼし)と織女(たなばたつめ)と今夜(こよひ)逢ふらしも
2030
秋されば川霧(かはぎり)立てる天(あま)の川(がは)川に向き居て恋ふる夜(よ)ぞ多き
2031
よしゑやし直(ただ)ならずともぬえ鳥(どり)のうら泣き居(を)りと告げむ子もがも
2032
一年(ひととせ)に七日(なぬか)の夜(よ)のみ逢ふ人の恋も過ぎねば夜(よ)は更(ふ)けゆくも [一云 尽きねばさ夜ぞ明けにける]
2033
天(あま)の川(がは)安(やす)の川原(かはら)定而神競者磨待無
| 意味 |
〈2029〉
天の川に、艪を漕ぐ音が聞こえる。彦星と織女が今夜いよいよ共寝をするらしい。
〈2030〉
秋がやってくると、川霧がしきりに立ちこめる天の川。その天の川に向かって座り、妻を恋うる夜が幾晩も幾晩も続いている。
〈2031〉
たとえ直接逢えないとしても、私がぬえ鳥の泣くように忍び泣きをしていることを、あの人に告げてくれる使いの子がいたらよいのに。
〈2032〉
一年のうち七日の一夜だけ逢う人の、恋の苦しさもまだ晴れないうちに、夜はいたずらに更けてゆく。[恋も尽きないうちに、夜が明けてしまった]
〈2033〉
(解釈保留)
| 鑑賞 |
『柿本人麻呂歌集』から「七夕」の歌5首。2029は、第三者の立場からの歌。「楫の音聞こゆ」の「楫」は、舟を漕ぐための櫓。「聞こゆ」は、聞こえる、自然と耳に入ってくる(自発・知覚)。「逢ふらしも」の「らし」は、伝聞・推量を表す助動詞。「も」は、感動・詠嘆の終助詞。今夜、ついに二人は逢っているのだなあ、という確信に満ちた感動を表しています。視覚ではなく聴覚によって二星の再会を描写している歌です。
2030は、牽牛の歌。「秋されば」は、秋になると。「川霧立てる」は、夜気により川面に霧が立つ情景。原文「川霧」で、カハギリタチテ、カハゾキラヘルなどと訓むものもあります。「川に向き居て」の「居て」は、座っている、またはその状態で留まっていることを意味します。川の岸辺に座り、ひたすら対岸を見つめている牽牛の孤独な視線を暗示しています。「夜ぞ多き」は「ぞ+連体形」による強意の係り結び。「川」という語を繰り返し用いることで、物理的・心理的隔たりが強調され、恋情の深さが表現されています。
2031は織女の歌。「よしゑやし」は、放任の意を表す感動詞で、えい、ままよ。「直ならずとも」は、直接に逢えなくても。「ぬえ鳥の」は「うら泣き」の枕詞。夜に物悲しい声で鳴くとされ、その声がはっきりしないことから。「うら泣き」の「うら」は内心の意で、声を立てず、ひそかに泣いていること。「告げむ子もがも」の「子」は、不特定の女性を指し、使者に女性を想定したもの。「がも」は、願望の助詞。恋の成就よりも、せめて自分の思いが相手に伝わることだけを願う、抑制された情熱が示されている歌です。
2032・2033は、第三者の立場からの歌。2032の「恋も過ぎねば」は、恋も尽きないのに、恋心が十分に満たされたわけでもないのに。「夜は更けゆくも」の「も」は、詠嘆の終助詞。逢瀬の場面を直接描かず、逢っている時間の短さを詠嘆することで、失われゆく時間への嘆きを捉えています。「恋も過ぎねば」という表現からは、一年に蓄積された孤独を埋めるには一夜では到底足りないという切実な飢餓感が伝わります。
2033の「安の川原」は、高天原から天孫降臨の際、八百万の神が会議をして一切の事を定めた所。「定而神競者磨待無」の訓義未詳で定まらないため、解釈保留。ただし、窪田空穂は、「定(さだ)まりて神の競(きほ)ひは年(とし)待(ま)たなくに」と訓み、「(天の河の安の川原で)七月七日の夜に逢うことが定まって、彦星と織女のその定めと争う心は、年を待たないことであるのに」と解釈しています。
以上、1996から2033までの38首が、『柿本人麻呂歌集』から採録された「七夕の歌」です。ごく稀に、織女が牽牛を訪ねて行く中国由来の場面をうたったものもありますが、大部分はすでに日本化された恋の歌ばかりとなっています。

主な万葉学者(故人)

(佐佐木信綱)
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