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巻第10(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第10-2034~2037

訓読

2034
織女(たなばた)の五百機(いほはた)立てて織(お)る布の秋さり衣(ごろも)誰(た)れか取り見む
2035
年にありて今か巻くらむぬばたまの夜霧隠(よぎりごも)れる遠妻(とほづま)の手を
2036
我(あ)が待ちし秋は来(きた)りぬ妹(いも)と我(あ)れと何事あれぞ紐(ひも)解かずあらむ
2037
年の恋(こひ)今夜(こよひ)尽(つく)して明日(あす)よりは常(つね)のごとくや我(あ)が恋ひ居(を)らむ

意味

〈2034〉
 織姫がたくさんの機(はた)を立てて織る布、その布で縫う秋の衣は、誰が着るのだろうか。
〈2035〉
 一年ぶりに今ごろは、腕を枕に寝ているだろうか、夜霧に隠れて、遠方にいた妻の腕を。
〈2036〉
 私が待ちに待った秋がついにやってきた。わが妻と私は、何事があろうとも紐を解かずにおくものか。
〈2037〉
 一年越しの恋情の苦しさを今宵晴らして、明日からはまた、これまでと同じように恋し続けることになるのだろうか。

鑑賞

 作者未詳の「七夕(しちせき)の歌」4首。以下、2093まで作者未詳の七夕歌が60首続きます。前に並ぶ『柿本人麻呂歌集』の七夕歌を古の歌と仰いで並べた歌群で、万葉第三期にあたる奈良朝時代の詠とされ、宮廷詩宴に集った下級官人らの作だろうといわれます。

 
2034の「織女の五百機立てて」の「五百機立てて」は、多くの機械を設けての意で、良い布を織るために奮闘しているようす。「秋さり衣」は、秋になって着る衣。「誰れか取り見む」の「か」は、反語的疑問。「取り見む」は、手に取ってみるで、着る意。織女の労苦を際立たせ、「恋」や「逢ふ」といった直接的恋愛語を用いずとも、織女の孤独や報われなさを十分に感じ取ることができる歌となっています。

 
2035の「年にありて」は、一年間も逢えない状態でいて、の意。「今か巻くらむ」は、今ごろ腕に巻いているだろうか。「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「夜霧隠れる」は、夜霧に隠れて。原文「夜霧隠」で、ヨギリゴモリニ、ヨギリガクリニなどと訓むものもあります。「遠妻の手を」は、遠く隔たっている妻の手を。年に一度という制約が強調される冒頭句と、身体的接触を示す結句との対比により、抑圧された時間の中での濃密な一瞬が鮮やかに浮かび上がります。

 
2036の「何事あれぞ」は、何事があっても。「紐解かざらむ」は、紐を解いて共寝をしないことがあろうか、で、強い反語に近い言い方。2037の「年の恋」は、一年間の恋。「尽して」は、晴らして。「常のごとくや」の「常」は平常、「や」は疑問の係助詞。「恋ひ居らむ」の「らむ」は、現在推量。激情と持続的な恋慕との間で揺れる心情が描かれ、「今夜」と「明日よりは」という時間の対比が、恋の緊張と弛緩を明確に際立たせています。前歌とともに牽牛のその夜の思いを歌ったもの。

 もとは中国の伝説である七夕が日本に伝来した時期は定かではありませんが、七夕の宴が正史に現れるのは天平6年(734年)で、「天皇相撲の戯(わざ)を観(み)る。是の夕、南苑に徒御(いでま)し、文人に命じて七夕の詩を腑せしむ」(『続日本紀』)が初見です。ただし『万葉集』の「天の川安の河原・・・」(巻10-2033)の左注に「この歌一首は庚辰の年に作れり」とあり、この「庚辰の年」は天武天皇9年(680年)・天平12年のいずれかで、前者とすれば、天武朝に七夕歌をつくる風習があったことになります。七夕の宴の前には天覧相撲が行われました。

 『万葉集』中、七夕伝説を詠むことが明らかな歌はおよそ130首あり、それらは、人麻呂歌集、巻第10の作者未詳歌、山上憶良、大伴家持の4つの歌群に集中しています。その範囲は限定的ともいえ、もっぱら宮廷や貴族の七夕宴などの特定の場でのみ歌われたようです。七夕伝説は、当時まだ一般化していなかったと見えます。

 なお、元の中国の七夕伝説は次のようなものです。―― 昔、天の川の東に天帝の娘の織女がいた。織女は毎日、機織りに励んでいて、天帝はそれを褒め讃え、川の西にいる牽牛に嫁がせた。ところが、織女は機織りをすっかり怠けるようになってしまった。怒った天帝は織女を連れ戻し、牽牛とは年に一度だけ、七月七日の夜に天の川を渡って逢うことを許した。―― ところが日本では牽牛と織女の立場が逆転し、牽牛が天の川を渡り、織女が待つ身となっています。なぜそうなったかについて、民俗学の立場から次のように説明されています。「かつて日本には、村落に来訪する神の嫁になる処女(おとめ)が、水辺の棚作りの建物の中で神の衣服を織るという習俗があった。この処女を『棚機つ女(たなばたつめ)』といい、そのイメージが織女に重なったため、織女は待つ女になった。また、当時の日本の結婚が「妻問い婚」という形をとっていたためだと考えられている」。
 


ひも(紐)

 ヒモは、通常、男女が別れに際して互いに結び合い、それぞれの魂を相手の結び目に封じ込めて、再会を呪(まじな)い取るものとされる。それゆえ、再会までは解かないことが原則とされた。ところが、『万葉集』のヒモにはわからないことが多い。その形状、またどこに付けていたのかがはっきりとしないのである。「下紐」「裏紐」とする表記例もあるから、下着に付けた紐とも見られるが、「裏紐」は上着の裏側に付けた紐、着物の前合わせをとめる紐とも解せるから、その実態はなかなか捉えにくい。さらに前合わせをとめるのなら実用的な紐になるが、そうとは思えない例も見える。「高麗錦(の)紐」のように舶来の高価な素材を用いたもの、赤や紫の紐の場合がそれである。

 「高麗錦(の)紐」は、七夕歌に用いられた例が典型だが、高貴さを意図した特別な意味合いがあるのだろう。一方、赤や紫の紐には呪術的な意味合いがつよく感じられる。古代においては、紫は色彩としては赤の範疇に属するとされた。赤は神的・霊的なものが依り憑いたしるしの色である。それゆえ、赤や紫の紐は、そこに封じ込められた魂の呪力のはたらきを示しているのだろう。ならば、これらは呪術的な目的を優先させたヒモになる。 

~『万葉語誌』から抜粋引用

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