| 訓読 |
2043
秋風の清き夕(ゆふへ)に天の川(がは)舟漕ぎ渡る月人壮士(つきひとをとこ)
2044
天の川(がは)霧(きり)立ちわたり彦星(ひこほし)の楫(かぢ)の音(おと)聞こゆ夜(よ)の更けゆけば
2045
君が舟(ふね)今漕ぎ来(く)らし天の川 霧(きり)立ちわたるこの川の瀬に
2046
秋風に川波(かはなみ)立ちぬしましくは八十(やそ)の舟津(ふなつ)にみ舟(ふね)留(とど)めよ
2047
天の川(がは)川音(かはと)清(さやけ)し彦星(ひこぼし)の秋漕ぐ舟の波のさわきか
| 意味 |
〈2043〉
秋風がすがすがしい今夜、天の川に舟を出して漕ぎ渡っている、月人壮士が。
〈2044〉
天の川に霧がたちこめてきて、彦星が舟を漕ぐ楫の音が聞こえる。次第に夜が更けてゆくと。
〈2045〉
あの方の舟は、今こそ漕いでこちらに来るらしい。天の川に霧が立ちこめてきた、この川瀬に。
〈2046〉
秋風が吹いて川波が立ち始めました。しばらくの間は、あちこちの舟だまりのどこかに舟をとどめて下さい。
〈2047〉
天の川にの水音がはっきり聞こえる、秋になって彦星が漕ぎ出した舟の立てる波のざわめきだろうか。
| 鑑賞 |
作者未詳の「七夕の歌」5首。2043の「舟漕ぎ渡る」は、七夕の夜の上弦の月が舟の形に似ているところから、月を舟に喩えています。「月人壮士」は、月を若者に見立てて擬人化したもの。私たちの知る七夕伝説に月は登場しませんが、『万葉集』では月も登場します。月である月人壮士は、牽牛と織女の間を取り持つ使者の役割を持っています。「月人壮士」という表現は、『万葉集』の七夕歌のうち5首に使われています。窪田空穂は、「これは月の歌である。『天の河』を重く扱っているところから見て、七夕の宴などで詠んだ歌で、その関係からここに入れてあったのであろう」と言っています。
2044の「霧立ちわたり」は、霧が一面に立ち込めて。「立ちわたる」は空間的に広がっている様子を表す補助動詞。彦星が舟を漕ぐ櫓が立てる飛沫を言っているものと見えます。「夜の更けゆけば」は、夜がだんだんと更けていくので(理由・確定条件)。単なる時間の経過の説明ではなく、夜が更けて周囲の雑音が消えたからこそ、かすかな楫の音が鮮明に響くようになったという「状況の変化に伴う必然性」を孕んでいます。恋の成就へ向かう過程を包む神秘的な夜の情景を主題としている歌です。
2045の「君が舟」は、あなたの舟。「漕ぎ来らし」の「らし」は、根拠に基づく推量。「霧立ちわたる」は、視界を遮る霧が一面に広がる意。「この川の瀬に」は、この川の浅瀬に。視界を遮る霧は、二人の逢瀬を妨げる障壁であると同時に、霧の向こうから現れるであろう恋人への期待感を極限まで高める演出にもなっています。「来らし」という表現により、霧で姿は見えないものの、水音や風の動き、あるいは愛する者を待つ直感から、「ああ、今あそこに彼は来ている」と断定に近い推量を行っています。
2046の「秋風に」は、秋の風が吹いて。「川波立ちぬ」の「ぬ」は完了の助動詞で、川に波が立ってしまった。「しましくは」は、しばらくは、少しの間だけでも。「八十」は、多くというのを具象的にいったもの。「舟津」は、舟の発着する場所。「み舟」の「み」は、尊称。以上2首は、いずれも織女の立場の歌で、2045では牽牛の渡河の気配を知る胸のときめきを述べ、2046では秋風によって川波が立ってしまったというので、渡河の様子を案じています。
2047の「川音」は、川の流れる音。「と(音)」は「おと」の古風な響き。「清し」は、澄み渡っていてはっきりしている、清涼感がある。「川音清し」の原文「河聲清之」で、カハノオトキヨシと訓むものもあります。「秋漕ぐ舟」の「秋」は、七夕の夜を広く言い換えたもの。殊更に「秋」と言っているのは、前歌の「秋風」を承けて用いたもののようです。「さわき」は、波の騒ぐ音。「清けし」と「さわき」という一見相反する語を併置することで、夜の川音の奥行きが表現されています。第三者の立場で詠んだ歌です。

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