| 訓読 |
2053
天の川 八十瀬(やそせ)霧(き)らへり彦星(ひこぼし)の時(とき)待つ舟は今し漕ぐらし
2054
風吹きて川波(かはなみ)立ちぬ引き船に渡りも来ませ夜(よ)の更(ふ)けぬ間(ま)に
2055
天(あま)の川(がは)遠き渡りはなけれども君が舟出(ふなで)は年にこそ待て
2056
天(あま)の川(がは)打橋(うちはし)渡せ妹(いも)が家道(いへぢ)やまず通(かよ)はむ時待たずとも
2057
月(つき)重(かさ)ね我(あ)が思ふ妹(いも)に逢へる夜(よ)は今し七夜(ななよ)を継(つ)ぎこせぬかも
| 意味 |
〈2053〉
天の川の多くの瀬に霧が立ちこめている。時を待っていた彦星は、今舟を出して漕ぎ出したに違いない。
〈2054〉
風が吹いて川波が立ってきました。引き綱を引いてでも早く渡ってきて下さい。夜が更けないうちに。
〈2055〉
天の川はどこにも遠い渡し場はないのだけれど、あなたの舟出は、一年にわたってお待ちしなければならないのです。
〈2056〉
天の川に打橋を渡しておくれ。そしたら、あなたの家への道を絶えず通おう、七夕の夜など待たないで。
〈2057〉
幾月も重ねて私が恋い焦がれてきた愛しい子に、こうして逢っている夜は、さらに幾夜も続いてくれないものか。
| 鑑賞 |
作者未詳の「七夕の歌」5首。2053の「八十瀬」の「八十」は数の多いことを言い、天の川の多くの瀬の意。「霧らへり」の「霧らふ」の継続態で、霧が立ち込めている。「今し」の「し」は、強意の副助詞。「らし」は、現在推量の助動詞。「時待つ舟」は、七夕の夜を待っていた舟。霧という視覚的制約を積極的に取り込み、見えないがゆえに豊かに想像される七夕の情景を描き出した歌です。前2首と連続して鑑賞することで、月・雨・霧という異なる天象が、いずれも彦星の行為として物語化されていることが分かります。
2054の「引き船」は、自力で漕ぎ渡るのが困難な時、船に綱をつけて陸から引き寄せる船のこと。「渡りも来ませ」は、渡ってでもおいで下さい。「来ませ」は「来よ」の敬語。織女の気持ちになって詠んでいます。原文「度裳來」で、ワタリモコヌカの訓みもあります。前歌までが主として想像・推量の叙述であったのに対し、本歌では、同じく地上の川からの連想によるものの、語り手自身の願望が直接表出され、叙景から呼びかけへと視点が転換しています。
2055は織女の立場の歌。「遠き渡りはなけれども」の「渡り」は渡し場のことで、天の川の川幅は決して渡れないほど広くないけれど、の意。「年にこそ待て」は、一年にわたって待たなければならないとは、の意。「こそ+(已然形)」による係り結びで、ここは、あまりにも切ない、の余意が含まれます。また、前歌(2054)が「早く渡って来てほしい」という切迫した呼びかけであったのに対し、本歌ではその願いを抑え、定めを受け入れる諦観が前面に出ています。
2056・2057は牽牛の立場の歌。2056の「打橋」は、板を渡して自由に架け外しできる橋。来訪者を受け入れようとする許しの橋として多く用いられるものです。「家道」は、家に行く道。「やまず通はむ」の「やまず」は、絶え間なく。「通はむ」は、意志・願望。「時」は、逢える時で、七夕の夜。七夕伝説を素材としながら、定められた時間秩序への抵抗、すなわちその物語的制約を超えようとする強い意思を表現した異色な歌となっています。
2057の「月重ね」は、月を一年間重ねること。「今し」の「今」は、さらに。「し」は、強意の副助詞。「七夜」は、多くの夜、幾夜も、の意で、「七夕」の縁語。「継ぎこせぬかも」の「継ぎ」は、続く意の動詞「継ぐ」の連用形。「こせぬかも」は、~してくれないかなあ。牽牛が織女に訴えた形の歌で、二星の特別の恋を普通の男女とほとんど異ならないものにして言っており、類想の多いものになっています。

『懐風藻』の七夕詩
わが国に現存する最古の漢詩集『懐風藻』には、七夕の詩が6首収められています。歳時の題では一番多く採り上げられており、作者は日本人が3名、帰化人系統の人が3名です。日本人作者は、藤原不比等、藤原房前、紀男人の3人です。うち万葉集にも歌を残しているのは、藤原房前と紀男人の2名です。また、それらの漢詩では、輿、車駕、神駕、鳳の乗り物に乗って渡って行くのは、やはり織姫の方だと言えます。漢詩の七夕歌は、「織姫が天の川を渡って行く」という特徴を示しているのです。
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