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巻第10(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第10-2063~2066

訓読

2063
天(あま)の川(がは)霧(きり)立ち上(のぼ)る織女(たなばた)の雲の衣(ころも)のかへる袖(そで)かも
2064
いにしへゆ織(お)りてし服(はた)をこの夕(ゆふへ)衣(ころも)に縫(ぬ)ひて君待つ我(わ)れを
2065
足玉(あしだま)も手玉(ただま)もゆらに織(お)る服(はた)を君が御衣(みけし)に縫(ぬ)ひもあへむかも
2066
月日(つきひ)択(え)り逢ひてしあれば別れまく惜(を)しくある君は明日(あす)さへもがも

意味

〈2063〉
 天の川に霧がかかっている。あれは、織姫が着ている雲の着物のひるがえっている袖なのだろうか。
〈2064〉
 ずっと前から織り続けてきた織物を、この夕方に衣に縫って、あなたを待っている私です。
〈2065〉
 足玉も手玉も、ゆらゆら揺らしながら織っているこの織物を、あの方のお召し物に仕立てられるでしょうか。
〈2066〉
 月日を選んでお逢いしているのですから、お別れするのが惜しまれてならないあなたは、今晩もまたお逢いできればいいのに。

鑑賞

 作者未詳の「七夕の歌」4首。2063の「織女(たなばた)」は、タナバタツメを省略したもの。「雲の衣」は、七夕を歌った漢詩によく見られる、雲を織女の衣に見立てた「雲衣」から発想を得ており、ここは第2句の立ち上る「霧」を言っています。霧の白さや、風にたなびく不定形な動きを、美しい衣の動きへと昇華させた想像です。「かへる袖かも」の「かへる」は、裏返る、ひるがえる。「かも」は、疑問的詠嘆。第三者の立場の歌で、川辺で待つ織女の姿を美化しています。

 2064~2066は、いずれも織女の立場の歌。
2064の「いにしへゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。ずっと以前から。「織りてし服」は、織ってあった布。「君待つ我れを」の「を」は「ぞ」に近い詠嘆の間投助詞。織女は、夫の衣の世話する地上の心まめやかな妻となっており、窪田空穂は、「この織女は、主婦としての矜りを見せている」と言っています。

 
2065の「足玉も手玉もゆらに織る」の「足玉」「手玉」は、緒に貫いた玉を、それぞれ足と手に巻きつける飾りで、上代の身分ある女性がしていた風俗。「ゆらに」は、揺れる形容。記紀神話にしばしば類似の表現が見られ、一心に機を織る姿を表しています。「御衣」の「御」は美称で、お召物。「縫ひもあへむかも」の「あへ」は、可能の意、「かも」は詠嘆的疑問で、逢会の時までに間に合うかしら、の意。窪田空穂は、「材料の扱い方も、詠み方も心利いた歌」と評しています。

 
2066の「月日択り」は、7月7日を選んで。原文「擇月日」で、ツキヒオキと訓むものもあります。「別れまく」は「別れむ」のク語法で名詞形。原文「別乃」で、ここは「乃」を「久」の誤りとする説に従っていますが、そのままでワカレムノと訓むものもあります。「明日さへもがも」の「明日」は、ここは今晩の意で、天智朝以前には日没を一日の始まりとする考え方があったことが指摘されており、集中ほかにも「今夜」を「明日」と言ったと見られる例があります。「もがも」は、願望。
 


ク語法とは

 用言(動詞や形容詞)の語尾に「く(らく)」を付けて、全体を名詞のように扱う表現のこと。主に古典日本語に見られ、「~すること」「~ところ」「~もの」といった意味を表します。「言はく」「語らく」「老ゆらく」「悲しけく」「散らまく」などがその例で、現代語においても「思わく(思惑は当て字)」「体たらく」「老いらく」などの語が残っています。

 ク語法は、中国の漢文を日本語として読む際、名詞節を構成するために重宝されました。荘重で改まった響きを持つため、格調高い歌や祝詞(のりと)などにも多く見られます。名詞化することで、自分の感情を客観的に提示し、それを強調する効果があります。言わば、言葉を「動詞(動くもの)」のままにせず、一瞬止めて「名詞(形あるもの)」として差し出すようなイメージです。 

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窪田空穂と『万葉集』

 歌人であり国文学者でもあった窪田空穂(くぼたうつぼ:1877〜1967年)にとって、『万葉集』の研究は生涯をかけた一大事業であり、彼の短歌論の精神的支柱でした。賀茂真淵をはじめとする江戸期の国学者が「古道」や「精神の復古」を重視したのに対し、空穂の万葉研究は「一人の歌人としての共感」と「近代的・人間心理的なアプローチ」に大きな特徴があります。

  1. 記念碑的業績『万葉集評釈』
     空穂の万葉研究の集大成が、全12巻(索引含め13冊)に及ぶ巨著『万葉集評釈』です(当サイトでもっとも多く引用している文献です)。それまでの万葉集の注釈書(仙覚の『万葉集抄』、真淵の『万葉考』、鹿持雅澄の『万葉集古義』など)の成果を踏まえつつも、空穂は独自の視点を貫きました。単なる言葉の歴史的解釈(語釈)にとどまらず、「その歌が詠まれた時、作者の心はどう動いていたのか」という作者の心理や感情のダイナミズムを、緻密かつ平易な現代語で解き明かしたのです。歌人としての鋭い感性をもって一首一首の「調べ」や「息遣い」を追体験するようなその評釈は、今なお万葉集研究・鑑賞の最高峰の一つとして高く評価されています。
  2. 『万葉集』に見た「人間性の真実」
     空穂は『万葉集』の魅力を、技巧の洗練ではなく「むき出しの人間性」に見出しました。空穂は、後世の和歌(古金・新古今など)が「理知」や「ことばの遊芸」に傾斜していったのに対し、万葉の歌は「情感」そのものが結晶化したものであると捉えました。天皇や貴族の歌だけでなく、防人や東国の庶民が詠んだ歌(東歌・防人歌)に、人間の生々しい生活の哀歓や、飾らない愛情がそのまま表現されていることに深く共感しました。彼は「歌とは、生活のなかで心が動かされたときに自然と湧き出るもの(生活詠)」という信念を持っており、その理想の姿を万葉の歌人たちに重ね合わせていたのです。
  3. 実作への反映~独自の「写実」と「生活」
     空穂は、正岡子規や斎藤茂吉らの「アララギ」とは異なる独自の写実主義(『国民文学』を主宰)を歩みましたが、その根底にはやはり万葉精神が流れていました。アララギ派が「万葉集の言葉や調べ(写生)」を直接的に模倣する傾向があったのに対し、空穂は万葉の「精神(人間や自然に対する、直截で嘘のない眼差し)」を現代の日常に活かそうとしました。彼の代表歌である、若くして先立たれた妻を悼む一連の「愛子(かなしご)のうた」などに見られる深い人間愛と哀傷は、万葉の相聞歌や挽歌(特に山部赤人や山上憶良、あるいは大伴家持らが見せた、他者や家族への深い慈しみ)に通じるものがあります。
     空穂の評釈を読めば、1200年以上前の万葉人が、現代の私たちと全く変わらないことで悩み、恋し、涙していたことが鮮やかに伝わってきます。彼は、難解な『万葉集』を「学問の書」から「血の通った人間の告白録」へと開き直した、最大の功労者と言えます。
古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。