| 訓読 |
2067
天(あま)の川(がは)渡り瀬(ぜ)深み舟(ふね)浮(う)けて漕(こ)ぎ来る君が楫(かぢ)の音(おと)聞こゆ
2068
天(あま)の原(はら)振り放(さ)け見れば天(あま)の川(がは)霧(きり)立ちわたる君は来(き)ぬらし
2069
天(あま)の川(がは)瀬ごとに幣(ぬさ)をたてまつる心は君を幸(さき)く来ませと
2070
ひさかたの天(あま)の川津(かはづ)に舟(ふね)浮(う)けて君待つ夜(よ)らは明けずもあらぬか
2071
天(あま)の川(がは)なづさひ渡る君が手もいまだ枕(ま)かねば夜(よ)の更(ふ)けぬらく
| 意味 |
〈2067〉
天の川の渡し場の瀬が深いので、舟を浮かべて漕いでくるあの方の櫓の音が聞こえる。
〈2068〉
空を振り仰いでみると、天の川に霧が立ちこめている、あの方の舟がそこまでやって来ておられるらしい。
〈2069〉
天の川の瀬ごとに神にお供えするのは、あなたがご無事にいらっしゃるようにと祈る思いからです。
〈2070〉
天の川の舟付き場にお迎えの舟を浮かべて、あの方を待つ今夜は、明けずにいてくれないものか。
〈2071〉
天の川を足を濡らして渡って来られるあの方の、手をまだ枕にしてもいないのに、もう夜が更けてしまった。
| 鑑賞 |
作者未詳の「七夕の歌」5首で、いずれも織女の立場の歌。2067の「渡り瀬深み」の「渡り瀬」は、川の渡り口、渡し場。「深み」は「深し」のミ語法で、渡し場の瀬が深いので。「楫」は、櫓。「聞こゆ」は、自然と聞こえてくる。窪田空穂は、「織女が七日の夜、天の河を近づいて来る彦星の艪の音に耳を澄ましている心である。捉え方が外面的で、日常の些事をいっているようである」と述べています。
2068の「天の原」は、大空。広々とした空を原野に見立てた表現。「振り放け見れば」は、身を反らして仰ぎ見れば。「霧立ちわたる」は、霧が一面に立ち込めている。「立ちわたる」の「わたる」は、空間的に隅々まで広がる様子を指します。「霧」は、舟の立てる水煙として言っています。「来ぬらし」は、やって来ているらしい。4句までが地上から見た光景であるようなのに織女の言葉とするのは不自然とする指摘があります。
2069の「瀬ごとに」の「瀬」は、渡し場の瀬。川幅の広い天の川の河原と渡瀬が交互に連続しているさまを想像しています。「幣」は、神に祈るときに捧げるもの。地上では、異境の地に入るたびに、その地の神に幣を捧げて通行するので、それを天の川に転じ、織女が彦星に代わってするさまをうたっています。「心」は、祭りをする心。「幸く」は、つつがなく、無事に。「来ませ」は尊敬を伴う願望表現。恋の切実さが、祭祀という公的・宗教的行為へと転化されているもので、『万葉集』に特有の自然神観が窺える歌となっています。
2070の「ひさかたの」は「天」の枕詞。集中50例ある枕詞で、天・雨・月などにかかりますが、語義・掛かり方とも未詳。「天の川津」は、天の川の渡し場・船着き場。「舟浮けて」は、お迎えの舟を浮かべて。「夜ら」の「ら」は、接尾語。「明けずもあらぬか」の「も~ぬか」は、反語的願望表現で、「明けないでほしい」という切なる祈りを柔らかく言い表しています。牽牛はなかなかやって来なかったようです。
2071の「なづさひ渡る」は、足を濡らして渡って。織女の行為と見る説もあるようです。「君が手も」は、あなたの手(腕)をも。「も」には、限定的なニュアンスが含まれます。「いまだ枕かねば」は、まだ枕としていないのに。「枕く」は腕を枕にする、転じて共寝をする意。「夜の更けぬらく」は、夜が更けてしまったことだなあ。「更けぬらく」は「更けぬ」のク語法で名詞形。

さき(崎・咲き・幸)
サキは、漢字を宛てれば「先」「前」「崎」などさまざまだが、原義としては、あるものが外側の世界に向かって突き出たその先端をいう。外側の世界との接触の場であり、外側の世界の霊威を真っ先に受感する場でもある。
この意味のサキは、「崎」がいちばんわかりやすい。陸地が海に向かって突き出たところが崎である。崎は海の彼方からやって来る異界の霊威が真っ先に依り憑く場所とされた。異界の霊威は神そのものとも考えられたから、崎の突端にはそうした神を祀る社が設けられていることが多い。このような崎は、一般には「み崎(岬)」と呼ばれるが、ミは聖性を示す接頭辞だから、そこが神の支配する領域であることを示す。み崎は、異界の霊威の依り憑く場であるとともに、異界へ向かう場所ともされた。
異界の霊威が依り憑く場所がサキだが、それを動詞化したのが「咲く」である。動詞「咲く」も、崎と同様、語の基底には、神を迎え、神と交わる意がある。この「咲く」は、枝のサキ(先端)に季節の霊威が宿り、その霊威の発動によって花が開くことを意味する。「花」もハナ(端・鼻)であり、サキと同様、ものの先端を意味する。み崎(岬)のように海に突き出た地形を「・・・鼻」と呼ぶ例もある。動物の鼻も、顔の中央から突き出ているからハナと呼ばれる。「花」も植物の先端に「咲く」ものゆえ、ハナと呼ばれた。
花が咲くところには、霊威がしきりに発動している。その霊威の発動している状態、霊威の充ち満ちている状態を、さかり(盛り」といった。この「盛り」と同根と見てよいのが動詞「栄ゆ」である。「咲く」が花に宿る霊威の顕著な発動を意味したように、「栄ゆ」もそこに宿る霊威や生命力が充実した力を発揮して、そのさまが外部に現れ出ている状態を意味する。
「栄ゆ」と同根で、やはり霊威の盛んな発動を意味する言葉にサキハフ(幸はふ)がある。サキハフのサキは「咲き」に重なる。動詞サク(咲く)の連用形名詞だが、この場合は用字としてしばしば「幸」が用いられる。ハフは「延ふ」で、ニギハフ(賑はふ)などのハフと同じく、ある力が周囲に向かって水平的に広がるさまを示す。空間全体に霊威が及んで、満ち足りた状態になることを意味する。
~『万葉語誌』から抜粋引用
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