| 訓読 |
2094
さを鹿の心(こころ)相(あひ)思ふ秋萩(あきはぎ)のしぐれの降るに散らくし惜(を)しも
2095
夕されば野辺(のへ)の秋萩(あきはぎ)うら若み露(つゆ)にぞ枯(か)るる秋待ちかてに
2096
真葛原(まくずはら)なびく秋風吹くごとに阿太(あた)の大野の萩(はぎ)の 花散る
2097
雁(かり)がねの来鳴(きな)かむ日まで見つつあらむこの萩原(はぎはら)に雨な降りそね
2098
奥山に棲(す)むといふ鹿(しか)の宵(よひ)さらず妻(つま)どふ萩(はぎ)の散らまく惜(を)しも
2099
白露(しらつゆ)の置かまく惜(を)しみ秋萩(あきはぎ)を折(を)りのみ折りて置きや枯(か)らさむ
| 意味 |
〈2094〉
牡鹿が心から慕っている秋萩が、時雨が降るので散ってしまうのが惜しまれてならない。
〈2095〉
夕方になると野原の萩は、まだ枝先が若いので、露にあたって枯れている。秋を待ちきれずに。
〈2096〉
葛が生い茂る原をなびかせて秋風が吹く度に、阿太の野の萩の花がはらはらと散っていく。
〈2097〉
雁が来て鳴く日の来るまで咲いている萩の花を見続けていたいから、雨よ、この萩原に降らないでおくれ。
〈2098〉
奥山に棲むという牡鹿が、宵になるといつも妻問いにやって来る萩の花、その花の散っていくのが惜しまれる。
〈2099〉
白露が置くのを惜しいので、萩の花を折るだけ折ってみたものの、そのまま枯らしてしまうだろうか。
| 鑑賞 |
2094・2095は『柿本人麻呂歌集』から「花を詠む」歌。2094の「さを鹿」の「さ」は接頭語で、牡鹿。「心相思ふ」は、心に深く思う、互いに心を通わせて思い合う。「しぐれ」は、秋から冬にかけて降ったり止んだりする雨のことで、「無常」「衰微」「避けがたい変化」を含意する季語。「散らくし」の「散らく」は「散る」のク語法で名詞形。「し」は、強意の副助詞。「惜しも」の「も」は、詠嘆。当時の、萩を鹿の妻と見なす考えに拠っている歌であり、『万葉集』における秋歌の特色、すなわち盛りの美と滅びの気配を同時に捉える視点が、きわめて洗練された形で示されています。
2095の「夕されば」は、夕方になると。「うら若み」の「うら」は、枝の先端。「若み」は、若いので。「秋待ちかてに」は、秋を待ちきれずに。「かて」は、可能の補助動詞「かつ」の未然形、「に」は打消しの助動詞「ぬ」の連用形。秋萩は、秋の盛りを象徴する植物ですが、ここでは、本来あるべき時間を十分に生きられない存在として歌われています。一方では寓意のある相聞歌と見ることもでき、「野辺の秋萩」を女性に喩え、未熟なために本当に幸福になれる時を待たずに、いかがわしい男(露)に口説かれてしまったというような意味を示しているともいわれます。
2096~2099は、作者未詳の「花を詠む」歌。2096の「真葛原」の「真」は接頭語、「葛原」は葛の生えている原。山野に生い茂る「葛」の花は、萩と同じくらいにほのかに甘い香りがするといい、その名は、奈良県の国栖(くず)が葛粉の産地だったことに由来します。根は干して生薬や食品に、蔓は農作業に用いたり、編んで籠などの生活用品の材料になるほか、発酵させた後の繊維で葛布(くずふ)を織るなど、さまざまな用途のある植物でした。「阿太」は、奈良県五條市の東部、吉野川沿いの一帯。大台ケ原から流れ出した吉野川は、蛇行しながら北西に流れ、五條市を抜けて和歌山に入り、そこから紀の川と名前を変えます。「大野」は、人がいない荒れ野。真葛原と阿太の大野とは同じ野で、葛と萩の 花との印象から、語を変えて繰り返しています。
この歌は秀歌として高く評価されており、たとえば国文学者の鴻巣盛広は次のように述べています。「葛の茂ったあたりを秋風が吹き渡ると、その白い大きい葉裏が著しく目立って、さながらに野原に白波でも立ったようである。と思ってその風の行方を眺めていると、それが野原一面に咲き満ちている萩の花を掠め去って、可憐な花弁がほろほろとこぼれるという情景である。何という婉麗さであろう。そうして場面の広大と躍動的の風趣がよくあらわれている」。
2097の「雁がね」は、本来、雁の鳴き声をいいますが、ここは雁そのものの意。季節の深まりを告げる存在であり、『万葉集』では秋の到来・時間の推移の象徴とされます。「来鳴かむ日まで」は、やって来て鳴くであろう日まで。「萩原」は、萩が群生する場所。「な~そね」は、禁止を表現する語。雨が萩を散らすとして、降らないでくれと呼びかけ、秋の盛りを少しでも長く留めたいという願いを込めています。
2098の「宵さらず」は、宵になるといつも。「宵」は、日が暮れて間もない時間帯。「妻どふ」は、雌鹿を求めて鳴き歩くこと。「散らまく」は、散るであろうことの意で、ク語法の名詞形。惜しまれているのが鹿ではなく「萩」であり、鹿の恋を成立させている環境の儚さに視点が向けられています。鹿の求愛という生命力あふれる行動と、萩の散りゆく運命が交差することで、秋という季節の、盛りと衰えという二面性が鮮明に歌われています。
2099の「置かまく惜しみ」の「置かまく」は「置かむ」のク語法で名詞形。置くことが惜しいので。「折りのみ折りて」は、折るだけは折って。「置きや枯らさむ」の「置き」は、放置して、の意で、そのままにして枯らしてしまうだろうかという反語的疑問。窪田空穂は、「萩の花が置く白露を、重げにして撓(たわ)んでいるのを憐れんで、保護する気で折ったが、さてどうすることもできず、枯らしそうになったのに心づいた時の心持である。人の気分とものの本質との齟齬ともいうべき心である。気分的であるとともに知性的であった奈良朝の心である」と述べています。

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