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巻第10(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第10-2128~2132

訓読

2128
秋風に大和へ越ゆる雁(かり)がねはいや遠ざかる雲隠(くもがく)りつつ
2129
明け暮(ぐ)れの朝霧隠(あさぎりごも)り鳴きて行く雁(かり)は我(あ)が恋(こひ)妹(いも)に告げこそ
2130
我(わ)が宿に鳴きし雁(かり)がね雲の上に今夜(こよひ)鳴くなり国へかも行く
2131
さを鹿(しか)の妻どふ時に月をよみ雁(かり)が音(ね)聞こゆ今し来(く)らしも
2132
天雲(あまくも)の外(よそ)に雁(かり)が音(ね)聞きしよりはだれ霜(しも)降り寒しこの夜は [一云 いやますますに恋こそまされ]

意味

〈2128〉
 秋風によって、大和へ越えてゆく雁の声がますます遠ざかって行く。雲に見え隠れしつつ。
〈2129〉
 明け方のまだ薄暗いころ、朝霧に見え隠れしながら鳴いて飛んで行く雁よ、私のこの切ない思いをあの子に告げておくれ。
〈2130〉
 我が家の庭で鳴いていた雁が、雲の上で今夜は鳴いている。我が故郷の方へ行くのだろうか。
〈2131〉
 牡鹿が妻を求めて鳴いている折しも、月が明るいので、雁の鳴くのが聞こえる。今にもこちらへ飛んで来るようだ。
〈2132〉
 雲のはるか彼方で雁の鳴き声を聞いてから、うっすらと霜が降りるようになり寒いことだ、このごろの夜は。

鑑賞

 作者未詳の「雁を詠む」歌5首。2128の「秋風に」は、秋風によって、秋風の吹く中を。「雁がね」は、雁の別名。「いや」は、いよいよ、ますます。雁の渡来という秋の代表的情景を用いながら、距離の拡大と見えなくなることへの感受を静かに表現した一首であり、華やかな比喩や強い感情語を用いず、「いや遠ざかる」「雲隠りつつ」という描写によって、秋の空の広がりと人の心に生じる寂寥とを重ね合わせています。大和に接した国、あるいは旅中にあって、遠く大和の方へ飛んで行く雁を見つつ詠んだ歌のようです。

 
2129の「明け暮れ」は「夕暮れ」の対で、明け方の暗いころ。「朝霧隠り」は、朝霧に包まれて姿がはっきり見えないさま。「隠り」は、視界を遮ると同時に隔たりを暗示する語です。「恋妹」は、恋い慕う女性で、作者自身の切実な思慕の対象。「告げこそ」の「こそ」は、願望の終助詞。伝え得ぬ恋心を自然に託す万葉的発想を端的に示した一首であり、また、中国の故事の「雁の使い」から発想した歌です。

 
2130の「宿」は、家の敷地、庭先。「鳴きし雁がね」の「鳴きし」は、過去の助動詞「き」による連体形。かつて鳴いていた雁であり、作者がはっきりと記憶している存在。「今夜鳴くなり」の「なり」は、伝聞・推定。「国」は、作者の故郷。雁の故郷とも取れます。「かも」は、疑問。なお、「行く」は、原文「遊群(ゆく)」となっており、音仮名でありながら、用いられている文字から、雁が群れをなして悠然と飛んで行く様子が示されているのが分かります。当時の人々は、歌を詠むに際し、漢字の字義を利用して様々な工夫をしていたと考えられます。

 
2131の「さを鹿の「さ・を」は接頭語、「鹿」は牡鹿。「妻どふ」は、雌を求めて鳴く意。「月をよみ」の「よみ」は「よし」のミ語法で、月がよいので。「雁が音」は、雁の鳴き声。「今し来らしも」の「し」は強意、「らし」は推定、「も」は詠嘆。鹿・月・雁という秋を象徴する素材を巧みに組み合わせ、秋の夜の完成された情景を描き出しています。2132の「天雲の外に」の「外に」は、遥かな所で、天雲の遥か彼方に。「はだれ霜」は、まだらに置く霜、うっすらと降り置いた霜。雁の渡来を合図として、秋の終末から冬への入り口を鋭く捉えた一首です。

 2131について
佐佐木信綱は、「静かな月明の下、哀婉かぎりなき鹿の声と、清亮幽寂な雁の声とが二重奏をなして、身も引き締まるような情趣である。感動の中心が二つに分裂せずして巧みに調和しているのは、老手といってよい。『月をよみ』と中間においたのがよい」と評し、2132について、「調が素朴で、迫力がある。特に5句の倒置法は頗る効果を収めて、よく安定している」と述べています。
 


『万葉集』における「大和」の表記

 『万葉集』において「大和」という地名・国名がどのように表記されているかは、当時の漢字の受け入れ方や、のちの「大和」定着への過渡期を示す非常に興味深いテーマです。『万葉集』に登場する「やまと」の表記は、大きく分けると「一字一音の万葉仮名(音訓表現)」と、「美称を冠した地名表記(訓読表現)」の2つの系統に分類されます。特に注目すべき代表的な表記パターンを整理しました。

  1. 主な表記パターン
    ●夜麻登
     一字一音の万葉仮名(音仮名)「夜(や)」「麻(ま)」「登(と)」をそのままあてた、最も標準的な表音表記。
    ●倭
     「ヤマト」を指す一字表記(正訓字)中国の歴史書に由来する文字ですが、当時の人々はこれ一文字で「やまと」と訓読しました。
    ●大倭
     「倭」に美称の「大(おほ)」を冠したもの国家としての偉大さや誇りを表現する際に使われます。のちの「大和」の直接の先祖にあたる表記です。
    ●日本
     「日の本(ひのもと)」ではなく「やまと」と読ませる例7世紀末から8世紀初頭(天武・持統朝〜大宝律令期)にかけて「日本」という国号が成立していく中で、『万葉集』内でもこれを「やまと」と訓読する例が現れます。
  2. 「大和」という表記はあったのか?
     結論から言うと、現在の私たちが日常的に使っている「大和」という漢字2文字の組み合わせは、集中の原文には基本的に登場しません。当時(8世紀中頃まで)は、主に「倭」や「大倭」が使われていました。これが現在の「大和」に完全に統一されるのは、『万葉集』の編纂(759年頃に最後の歌)から少しあとの時代、天平宝字7年(763年)に「諸国の国名は好字(縁起の良い漢字)2文字で表記せよ」という公的な命令(好字二字令の定着期)が出されて以降のことです。この時、「大倭」の「倭」が、同音でより意味の良い「和」に置き換えられ、現在の「大和」が定着しました。
  3. 『万葉歌』における表記の使い分けの妙
     『万葉集』の大きな魅力は、歌人や編纂者が「その土地をどう捉えていたか」によって漢字を使い分けている点にあります。たとえば、叙情的な文脈・私的な歌では、 「夜麻登」と言葉の響きをそのまま五七調に乗せており、国家的・儀礼的な文脈では 「倭」「大倭」「日本」を使い、文字そのものが持つ政治的・文化的な重みや、中央政府としてのアイデンティティを誇示しています。このように、「やまと」という一言に対してこれほど多様な文字が当てられていることは、古代日本語が文字(漢字)を獲得し、独自の表記体系を洗練させていくダイナミックなプロセスをそのまま写し取っていると言えます。

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