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巻第10(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第10-2133~2137

訓読

2133
秋の田の我(わ)が刈りばかの過ぎぬれば雁(かり)が音(ね)聞こゆ冬かたまけて
2134
葦辺(あしへ)なる荻(をぎ)の葉さやぎ秋風の吹き来るなへに雁(かり)鳴き渡る [一云 秋風に雁が音聞こゆ今し来らしも]
2135
おしてる難波(なには)堀江(ほりえ)の葦辺(あしへ)には雁(かり)寝たるかも霜(しも)の降らくに
2136
秋風に山飛び越(こ)ゆる雁(かり)がねの声(こゑ)遠ざかる雲隠(くもがく)るらし
2137
朝にゆく雁(かり)の鳴く音(ね)は吾(わ)が如(ごと)くもの念(おも)へかも声の悲しき

意味

〈2133〉
 秋の田の私の持ち場を刈り終えると、雁の鳴き声が聞こえる。冬が近づいてきている。
〈2134〉
 葦辺に生えている荻の葉がざわつき、秋風が吹き寄せてきた。折しも雁が空を鳴き渡っていった。(秋風に乗って雁の鳴き声が聞こえる。今しも雁がやって来たらしい)
〈2135〉
 難波の堀江の葦辺では、雁たちは寝ているのだろうか、こんなに霜が降りているというのに。
〈2136〉
 秋風が吹くなか、山を飛び越えていく雁たちの鳴き声が遠ざかっていく。雲に隠れて飛んでいるらしい。
〈2137〉
 いま朝早く飛んでいく雁の鳴く声は、何となく物悲しい、彼らも私と同じように物思いをしているからだろう。

鑑賞

 作者未詳の「雁を詠む」歌5首。2133の「刈りばか」は、稲を刈る分担範囲、持ち分。「はか」の語は、現代語の「はかどる」などに残っています。「かたまけて」は、近づいて。収穫作業を終えた農夫の感慨の歌との見方もありますが、田庄(たどころ)に赴いた都の官人による歌とされます。秋の稲刈りという具体的な生活行為を起点として、雁の鳴き声と冬の到来へと視野を広げた、生活感覚に根ざした季節詠です。

 
2134の「葦辺なる」は、葦辺にある、葦辺に生えている。「萩(をぎ)」は、水辺の野に生えるイネ科の多年草。高さ2mくらいになり、葦に似ていますが、穂がススキに似る点で区別できます。「さやぎ」は、風にそよいで音を立てる意で、微細な音の描写です。「なへに」は、とともに、と同時に。視覚的描写を最小限に抑え、音と動きによって秋の到来を表現した自然詠であり、難波あたりの景とみられます。

 
2135の「おしてる」は「難波」の枕詞。「難波堀江」は、難波にある堀江で、河水を海に疏通させる水路。今の天満橋付近。「雁寝たるかも」の「かも」は、詠嘆・疑問で、雁がそこに降りて眠っているのだろうか、という想像。「降らく」は「降る」のク語法で名詞形。「に」は、詠嘆。霜夜の冷えと雁への思いやりを簡潔に表現した一首であり、秋の夜寒の頃、難波に旅寝している奈良京の人の歌とされます。

 
2136の「雲隠るらし」の「らし」は推定で、雲に隠れるのだろう。遠い山に雲のかかるのを見て、雁の声から推して、その雲中を飛んでいるのだろうと想像しています。移動するものを見送る感覚と、その消失の余韻が主題となっており、人事に引き寄せれば、親しい存在や一つの季節が、自分の意志とは無関係に遠ざかっていくことを、静かに受け止める心境を表した歌とも読めます。

 
2137の「朝に行く」は、朝方に飛び去っていく意。「朝に」は「つとに」と訓む説もあり、「あさ」「けさ」「昨日」「今日」などの時を表す名詞は「に」を伴わずに副詞的に用いるのが習いとの理由によります。「もの念へかも」の「かも」は、疑問の条件法。雁の鳴き声を媒介として、作者の内面的感情を率直に表出した抒情歌であり、これまでの雁歌群が、季節の推移や空間的移動を主として描いてきたのに対し、本歌では、雁の声が明確に人の「物思い」と結びつけられています。この歌について斎藤茂吉は、「惻々(そくそく)とした哀韻があって棄てがたい。『鳴く音は』『声の悲しき』は重複しているようだが、前はやや一般的、後は実質的で、他にも例がある」と述べています。
 


『万葉集』に詠まれた鳥

1位 霍公鳥(ほととぎす) 153首
2位 雁(かり) 66首
3位 鶯(うぐいす) 51首
4位 鶴(つる:歌語としては「たづ」) 45首
5位 鴨(かも) 29首
6位 千鳥(ちどり) 22首
7位 鶏(にわとり)・庭つ鳥 16首
8位 鵜(う) 12首

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