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巻第10(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第10-2138~2142

訓読

2138
鶴(たづ)がねの今朝(けさ)鳴くなへに雁(かり)がねはいづくさしてか雲隠(くもがく)るらむ
2139
ぬばたまの夜(よ)渡る雁(かり)はおほほしく幾夜(いくよ)を経てかおのが名を告(の)る
2140
あらたまの年の経(へ)ゆけばあどもふと夜(よ)渡る我(わ)れを問ふ人や誰(た)れ
2141
このころの秋の朝明(あさけ)に霧隠(きりごも)り妻呼ぶ鹿(しか)の声のさやけさ
2142
さを鹿(しか)の妻ととのふと鳴く声の至らむ極(きは)み靡(なび)け萩原(はぎはら)

意味

〈2138〉
 鶴たちが今朝鳴いている。折しも、雁たちはどこを目指して雲に隠れて飛んでいくのだろうか。
〈2139〉
 暗い夜空を渡っていく雁の姿は、ぼんやりしていて覚束なく、いったい幾夜経ったら、自分の名を聞かせてくれるのか。
〈2140〉
 年が替わったので、もう国へ帰ろうと仲間を誘って夜空を渡ろうとする私に、今さら名を問うのはどこのどなたですか。
〈2141〉
 このごろの秋の明け方に、霧に隠れて妻を呼んでいる牡鹿の声の、何とすがすがしいことよ。
〈2142〉
 牡鹿が、妻を呼び寄せて集めるために鳴く声が、遠く果てまで響き、一面に靡け野原の萩たちよ。

鑑賞

 作者未詳歌5首。2138~2140は「雁を詠む」歌。2138の「鶴がね」は、鶴のことで、「雁がね」と同様の言い方。「なへに」は、とともに、と同時に。今朝、鶴が鳴いているその折に、という時間的同時性を示しています。「いづくさしてか」は、どこへ向かってか。「らむ」は、現在推量の助動詞。鶴と雁という二種の鳥を配することで、秋から冬への移行と、存在の入れ替わりを鮮やかに表現した一首で、鶴と雁の取り合わせは『万葉集』ではこの一例のみです。たまたまの珍しい実景ともされますが、この取り合わせは漢詩文で多く見られ、その表現方法の影響があるのではないかとの見方もあります。

 2139・2140は、問答歌。
2139の「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「おほほし」は、はっきりしない、おぼろげである。ここは、声が聞き取りにくくてもどかしく思われるさま。「幾夜を経てか」は、幾夜を飛び続けたならば。「おのが名を告る」は、雁が鳴き声によって自分の存在を知らせると捉える擬人化表現。雁は「かり、かり」と自分の名を名告る鳥だとされていたので、夜空を声も立てずに飛ぶ雁をもどかしがって、鳴けよと言っており、女が、幾夜か自分の家にやって来て求婚しながら名告りをしない男に問うた比喩歌になっています。

 
2140はそれに答えた男の歌。「あらたまの」は「年」の枕詞。「年の経ゆけば」は、年が改まって春になる意。「あどもふ」は、伴う、率いるの意ですが、何と思ってか、と解するものもあります。それによると、多年の馴染みだから自分の心は知っているはずだ、との意が込められているとされます。一方、上掲の解釈は、春の今帰ろうとする時まで「かり、かり」と鳴き続けたのに、今さら何を言うのか、との意になります。いずれの場合も、女の問いに即しつつ、問われたのを再び比喩によって恨み返した形になっています。秋の宴席歌と見られ、窪田空穂は、いずれの歌も「譬喩としては巧みなものである」と評しています。

 2141・2142は「鹿鳴を詠む」歌。鹿鳴は、秋の代表的景物の一つ。
2141の「朝明」はアサアケの約で、明け方、早朝。「さやけさ」は、霧に包まれながらも、声だけは明瞭に響くさま。「さやけし」は、「きよし」が対象物のよごれのない状態をいうのに対し、対象の清らかさから受ける清々しい情意を表します。ここは一種の体言止めで詠嘆がこもっています。聴覚を中心とした秋景を端正に描き出した自然詠であり、佐佐木信綱はこの歌を評し、「一誦、清澄冷徹な空気が身辺を包むのを感じる。格調もよく引き締まってめでたい」と述べています。

 
2142の「さを鹿」の「さ」は接頭語。「ととのふ」は、調整する、散乱しているものを統一する、おさめる、などの意で用いられますが、ここは呼び寄せる意。鹿は一夫多妻であることからの表現。「鳴く声の至らむ極み」は、牡鹿の鳴く声が届く果てまで。「靡け萩原」は、妻呼ぶ声がよく届くようにいっせいに平らになれと希求したもので、擬人化表現。鹿に対する愛情が感じられる歌です。
 


おほ

 オホは、オボロ(朧)、オボメクのオボと同根で、明瞭でない状態、ぼんやりとした様を示す形状言。霞や霧などを比喩として、視覚の不確かさ、不分明さを示すことが多い。また、いい加減なさま、通り一遍なさま、なおざりなさまを示すこともある。

 オホホシは、オホから派生した形容詞で、不十分な状態を示すとともに、それを歌い手の不安定な心情、晴れやらぬ思いに結びつける。ここでも霞や霧が比喩に用いられることが多い。オホツカナシも、オホから派生した形容詞だが、やはり対象のぼんやりしたありかたから生ずる不安や頼りなさを示す。オホロカも、やはりオホから派生した形容動詞で、この場合は、いい加減なさま、通り一遍なさまを示すところに意味は限定される。

~『万葉語誌』から抜粋引用

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