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巻第10(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第10-2153~2157

訓読

2153
秋萩(あきはぎ)の咲きたる野辺(のへ)はさを鹿ぞ露(つゆ)を別(わ)けつつ妻問ひしける
2154
なぞ鹿のわび鳴きすなるけだしくも秋野(あきの)の萩や繁(しげ)く散るらむ
2155
秋萩(あきはぎ)の咲たる野辺(のへ)にさを鹿は散らまく惜(を)しみ鳴き行くものを
2156
あしひきの山の常蔭(とかげ)に鳴く鹿の声聞かすやも山田(やまだ)守(も)らす子
2157
夕影(ゆふかげ)に来鳴(きな)くひぐらしここだくも日ごとに聞けど飽(あ)かぬ声かも

意味

〈2153〉
 萩が咲いているこの野辺は、牡鹿が露の置いた枝を押し分け押し分けしては、妻を求めて歩き回ったのだな。
〈2154〉
 どうして牡鹿は侘びしそうに鳴くのだろう。もしかしたら秋野に咲く萩の花が次々と散っていくからだろうか。
〈2155〉
 萩が咲いている野辺で、牡鹿は、その花が散るのを惜しんで鳴いて行くことだ。
〈2156〉
 山陰で鳴く鹿の声をお聞きになりますか、山田の番をしているあなたは。
〈2157〉
 夕方の光の中にやって来て鳴いているひぐらしは、毎日毎日聞いても飽きない鳴き声だ。

鑑賞

 作者未詳歌5首。2153~2156は「鹿鳴を詠む」歌。2153の「さを鹿ぞ」の「ぞ」は、強調の係助詞。「露を別けつつ」は、露が置いた枝を胸で押し分け押し分けしては、の意。「妻」は、萩を指します。「妻問ひしける」の「ける」は、気づきを表す助動詞「けり」の連体形で、上の「ぞ」の結。萩が倒れ伏しているさまに、牡鹿が萩妻を訪れたことを察している歌であり、露を別けつつ進む鹿の姿は、静寂な秋の野にわずかな動きを与え、自然の中に息づく生命の切実さを浮かび上がらせています。ここでは、鹿の恋慕は哀切一辺倒ではなく、希望や活力を含んだものとして感じられます。

 
2154の「なぞ」は「なにぞ」の約、「ぞ」は係助詞で、「わび鳴きすなる」の「なる」が結び。「けだしくも」は、もしかしたら。「秋野の萩や」の「や」は疑問・反語を含み、後続の推量を強めます。「散るらむ」は、現在推量。秋の衰えとそれに伴う生命の哀切が主題ながら、理由は明確に断定されず、「なぞ」「けだしくも」「らむ」といった推量・疑問の語を重ねることで、秋の自然に対する繊細な観察眼と余情が生み出されています。

 
2155の「散らまく」は「散らむ」のク語法で名詞形。「惜しみ」は「惜し」のミ語法で、惜しいので、惜しんで。「鳴き行くものを」の「ものを」は、逆接の気持を含む詠嘆。盛りの中にすでに兆す無常への哀惜が主題となっており、ここでの鹿は、単なる動物ではなく、移ろう季節と美のはかなさを直感的に感じ取る存在として描かれています。

 
2156の「あしひきの」は「山」の枕詞。「常陰」は、いつも日陰になっている深い木陰や谷間を指す語で、山中の幽邃な空間を表します。「声聞かすやも」の「聞かす」は「聞く」の尊敬語。「やも」は、反語的な問いかけ。「山田」は、山の中の田。「守らす子」は、山田を守る者、すなわち農耕に従事する若者。「らす」は尊敬。「子」は親しみを込めた呼称。自然の声を他者と分かち合いたいという情感のこもった歌であり、鹿の声という万葉集的秋景物を、人と人とをつなぐ媒介として用い、自然と人間社会との穏やかな交流を描いた、温和で余韻ある一首となっています。

 
2157は「蝉を詠む」歌。「夕影」は、夕方の薄暗い日の光。「ひぐらし」は、カナカナゼミ。「来鳴く」により、夕刻ごとに一定の時を違えず鳴き始める習性が捉えられています。「ここだく」は、こんなにも。「日ごとに聞けど」は、毎日のように聞いているという事実提示。「けど」は逆接。「飽かぬ声かも」の「かも」は、詠嘆。反復される自然の音に対する尽きぬ愛着の心を歌っており、蜩の声は、鹿の声のように切実な恋や不安を象徴するものではなく、むしろ日常に溶け込んだ自然のリズムを体現するものです。作者はその規則正しさと変わらぬ美しさに、安らぎと充足を見出しています。佐佐木信綱は、「極めて単純であるが、格調清亮。金鈴を振る蜩の声が、さながら耳朶に触れるようで、歌品が高い」と評しています。
 


『万葉集』の写本

 『万葉集』の原本は、まだ発見されておらず、現存しているものはすべて後世に書写された写本です。最も古いものは、平安時代中期に書き写され、加賀藩主から桂宮家(かつらのみやけ)に献上された『桂本万葉集』ですが、巻第4の一部が残っているだけです。現在、20巻すべて揃った最も古い写本は、鎌倉時代後期の写本で、『西本願寺本万葉集』と呼ばれているものです。そのほか多くの写本がありながら完全なものが少ないのは、習字の手本にしたり、愛好する人たちが自ら切り取って書き写し、自分の『万葉集』を手にするなどしたからで、一首または数首の歌が記された断簡(だんかん)の形で発見されるものが多いのです。

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作者未詳歌

 『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。

 7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、畿内圏のものであることがわかります。 

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。