| 訓読 |
2158
秋風の寒く吹くなへ我(わ)が宿(やど)の浅茅(あさぢ)が本(もと)にこほろぎ鳴くも
2159
蔭草(かげくさ)の生(お)ひたるやどの夕影(ゆふかげ)に鳴くこほろぎは聞けど飽かぬかも
2160
庭草(にはくさ)に村雨(むらさめ)降りてこほろぎの鳴く声聞けば秋づきにけり
2161
み吉野の岩(いは)もとさらず鳴くかはづうべも鳴きけり川を清(さや)けみ
2162
神(かむ)なびの山下(やました)響(とよ)み行く水にかはづ鳴くなり秋と言はむとや
| 意味 |
〈2158〉
秋風が寒く吹くにつれ、我が家の庭に生えている浅茅の根元でコオロギが鳴いている。
〈2159〉
蔭草が生い茂っている庭の、夕日のかすかな光の中でコオロギが鳴いている声は、聞いても飽きることがない。
〈2160〉
庭の草ににわか雨が降り注ぎ、コオロギの鳴く声を聞くと、すっかり秋らしくなってきたことだ。
〈2161〉
ここ吉野川の岩蔭ごとにカジカガエル鳴いている。それももっともだ、川が清らかなので。
〈2162〉
神なびの山の麓を鳴り響かせながら流れ下る水の中で、カジカガエルがが鳴いている。もう秋だと告げようとしているのか。
| 鑑賞 |
作者未詳歌5首。2158~2160は「蟋蟀(こほろぎ)を詠む」歌。こおろぎは、今のこおろぎか、あるいはすずむし、まつむし、きりぎりすなどを含む、秋に鳴く虫の総称ともいわれます。2158の「なへ」は、~と同時に、~につれて。「宿」は、家の敷地、庭先。「浅茅」は、たけの低い芽萱。荒れた庭や寂しい風景を象徴する植物として歌によく用いられます。「本」は、根元、あるいはその辺り。「こほろぎ鳴くも」の「も」は、詠嘆の終助詞。
2159の「蔭草」は、日陰や物陰に生えている草の意。直接的な枕詞ではないものの、後の「やど」と結びつき、薄暗く静かな生活空間を印象づけています。「生ひたる」は、草が青々と、あるいはうっそうと生えている状態。「夕影」は、夕日の光、または夕暮れ時の薄暗い様子。この歌では、草の茂みに夕闇が迫り、光と影が交錯する時間帯の情緒を強調しています。「聞けど飽かぬかも」の「かも」は詠嘆で、いくら聞いていても聞き飽きることがなく、もっと聞いていたいという愛着を表します。
2160の「庭草」は、庭に生えている草。前歌の「浅茅」や「蔭草」に比べ、より身近で広がりのある表現です。「村雨」は、ひとしきり激しく降っては止む雨、通り雨。この雨が夏の暑さを洗い流し、秋を連れてくる役割を果たしています。「秋づきにけり」の「秋づく」は、秋らしくなる。「けり」は、気づきの詠嘆の助動詞。
佐佐木信綱は、それぞれの歌について次のように評しています。「簡素な内容で、格調は極めて温雅流麗、爽涼の秋気が身辺に忍び寄る感がある。湯原王の『夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこほろぎ鳴くも』(1552)と情趣が相似て、一段と表現が質実である」(2158)、「閑寂な夕暮、物陰の草の中に鳴く蟋蟀の細い声に耳を傾けている作者の面影が浮かんでくる。清純にして風韻に富み、聊かの感傷もないのが快い」(2159)、「淡々として清く、落ちついた気韻があって、まことに歌品が高い」(2160)。
2161・2162は「蛙(かはず)を詠む」歌。「蛙」は、カジカガエル。夏から秋にかけて美しい声で鳴きます。2161は、吉野川での歌。「み吉野」の「み」は、美称・讃美の接頭語。「岩もとさらず」の「さらず」は、~ごとに、の意。「うべも」は、なるほど、もっとも。「清けみ」は「さやけし」のミ語法で、清らかなので。ここで詠まれる蛙は季節感よりも、土地の清浄さ・自然の質を示す存在として機能しており、吉野の清流とそこに息づく生命とを一体として捉え、自然の理(ことわり)への素朴な感動を端正な表現で詠み上げています。
2162の「神なびの山」は、神の鎮まる山、すなわち神聖な山を指す語で、ここは明日香の雷丘か。「山下響み」は、山の裾を響かせて。「秋と言はむとや」の主語は「かはづ」、「とや」は疑問で、秋だと言おうとしているのだろうかと、かはづに問いかける気持を含んでいます。自然の声を季節の言葉として聴き取る感性を表明した歌であり、ここでの蛙は、寂しさや郷愁を帯びた存在ではなく、季節の変化を告知する自然の代弁者となっています。

『万葉集』に詠まれている虫
ヒグラシ、セミ ・・・10首
コオロギ ・・・7首
カイコ ・・・4首
ジガバチ ・・・2首
ハエ ・・・2首
トンボ ・・・1首
ホタル ・・・1首
ガ ・・・1首
クモ ・・・1首
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作者未詳歌
『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。
7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、畿内圏のものであることがわかります。
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古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |