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巻第10(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第10-2183~2187

訓読

2183
雁(かり)がねは今は来(き)鳴きぬ我(あ)が待ちし黄葉(もみち)早(はや)継(つ)げ待たば苦しも
2184
秋山をゆめ人(ひと)懸(か)くな忘れにしその黄葉(もみちば)の思ほゆらくに
2185
大坂(おほさか)を我(わ)が越え来れば二上(ふたかみ)に黄葉(もみちば)流る時雨(しぐれ)ふりつつ
2186
秋されば置く白露(しらつゆ)に我(わ)が門(かど)の浅茅(あさぢ)が末葉(うらば)色づきにけり
2187
妹(いも)が袖(そで)巻来(まきき)の山の朝露(あさつゆ)ににほふ黄葉(おみち)の散らまく惜(を)しも

意味

〈2183〉
 雁は今はもう来て鳴いている。私が待っている紅葉よ、早く雁に続け。待ち遠しくてならない。
〈2184〉
 秋山のことは、人びとは決して口にしないでほしい。ようやく忘れることのできた、あの美しかった黄葉が思い出されて辛いから。
〈2185〉
 大坂を越えて二上山までやって来ると、川には黄葉が散って流れている、時雨が絶え間なく降りしきる中で。
〈2186〉
 秋になって、白露が置くようになったので、我が家の門のあたりに生えている浅茅の葉先が色づいてきた。
〈2187〉
 妻の袖を巻くという巻来の山の、朝露に色づいた黄葉が散っていくのが惜しまれる。

鑑賞

 作者未詳の「黄葉を詠む」歌5首。2183の「雁がね」は、雁。「早継げ」は、早く続けと、黄葉に呼びかけたもの。秋が深まりきるのを待ち焦がれる心の切なさを主題とした一首で、これまでの歌が自然描写を中心にしていたのに対し、「待たば苦しも」と、作者の感情が率直に言い切られている点が特徴的です。自然は人の願いとは無関係に進む――それを知りつつも、なお「早く」と願わずにはいられない人間の感情が、万葉人らしい率直さで表現されています。

 
2184の「ゆめ~な」は、強い禁止。「懸く」は、ここは口に出して言う、話題にする、の意。「思ほゆらくに」の「思ほゆらく」は「思ほゆ」のク語法で名詞形。思い出されることだのに。他人との対談の一節を歌にした形のもので、病か何かの理由で外出できない人の歌でしょうか。あるいは、秋山・黄葉は「過去の恋」の象徴とも見られ、それだと、恋人そのものは一切登場せず、自然描写のみで内面を語る点に、万葉集特有の抑制美が認められます。

 
2185の「大坂」は、以前の奈良県北葛城郡下田村(現在は香芝市)で、大和から河内へ越える坂になっています。「二上」は、奈良県当麻町西方にある二上山。北の雄岳、南の雌岳の双峰からなり、万葉人に神聖視されてきた山であり、大津皇子の悲劇にまつわる山としても有名です。「流る」は、空を伝って落ちる状態を言っているもの。「時雨」は、晩秋から初冬にかけて降る通り雨。旅の途上で目にした晩秋の景を描いた作品で、地名(大坂・二上)という現実の空間と、時雨・紅葉という季節語を結びつけ、写生的風景歌の完成度を示す好例とされます。

 
2186の「秋されば」は、秋になったので。「白露(しらつゆ)」は、漢語「白露」の翻読語。「浅茅」は、丈の低い茅萱(ちがや)。日当たりのよい場所に群生する草で、新芽に糖分が豊富なところから食用にされていました。「末葉」は、幹や枝の先の方の葉。「色づきにけり」の「けり」は、気づきと詠嘆の助動詞。身近な庭先の変化によって秋の深まりを実感する心情を詠んだもので、壮大な名所や旅の景ではなく、「我が門」という私的空間に視線を落とすことで、季節の移ろいがより切実に感じられます。

 
2187の「妹が袖」は「巻」の枕詞。「巻来の山」は、所在未詳。「巻来」は、マキク、マキコとも詠まれますが、巻向山の誤記とする説もあります。「朝露ににほふ」は、朝露によって美しい色に染められている。「散らまく」は「散らむ」のク語法で名詞形。「妹が袖」という恋を想起させる語と、朝露に輝く黄葉の美が結びつき、やがて散りゆく紅葉への惜別の思いが、恋のはかなさ・別れの予感へと重なっていくとの見方もなされています。
 


もみち(黄葉)・もみつ(黄葉つ)

 秋に、樹木や草の葉が黄色に色づくこと。また、その葉。特に葉を指してモミチバ(黄葉)ともいう。葉が色づく意の動詞にモミツ(黄葉つ。黄変つ・黄色つ)がある。上代には清音モミチであり、中古以降に濁音のモミヂとなる。『万葉集』では、春の花(桜)の対となる秋の景物として好んで歌われ、モミチ・モミチバ・モミツの用例は100例を超える。その大多数が「黄葉」の表記を用いており、赤系統の色で表記したのは、「紅葉」「赤葉」が各1例と、動詞モミツを「赤」と表記した2例のみである。その理由は、盛唐頃までの漢籍の影響を受けたためとされるが、大和地方では、実際に赤い葉よりも黄色い葉に親しむ機会が多かったためとも言われる。上代の黄葉は、現代のように楓(かえで)の葉のみを指すわけではなく、萩など他の樹木全般に対してもいう。『万葉集』には、山全体が色づく様を歌う例も見られる。なお、モミチ、モミツの語を用いる他に、「したふ(赤く照り映える)」「色づく」「にほふ」等の語で黄葉を表現することも多い。

~『万葉語誌』から引用

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