| 訓読 |
2198
風吹けば黄葉(もみち)散りつつ少なくも吾(あが)の松原(まつばら)清くあらなくに
2199
物思(ものも)ふと隠(こも)らひ居(を)りて今日(けふ)見れば春日(かすが)の山は色づきにけり
2200
九月(ながつき)の白露(しらつゆ)負(お)ひてあしひきの山のもみたむ見まくしもよし
2201
妹(いも)がりと馬に鞍(くら)置きて生駒山(いこまやま)うち越え来れば紅葉(もみち)散りつつ
2202
黄葉(もみち)する時になるらし月人(つきひと)の桂(かつら)の枝(えだ)の色づく見れば
| 意味 |
〈2198〉
風が吹くと、黄葉が散り続けて、この吾の松原はちょっとやそっとの清らかさではない。
〈2199〉
物思いをして籠っていて、今日はじめて見ると、春日山はすっかり色づいていた。
〈2200〉
九月の白露を浴びて、山々が一面に色づくさまを見るのはいいものだ。
〈2201〉
愛しい女(ひと)の許に行くというので、生駒山を越えてくると、紅葉がどんどん散っているよ。
〈2202〉
黄葉の季節がやってきたようだ。お月様の桂が美しく色づいているのを見ると。
| 鑑賞 |
作者未詳の「黄葉(もみち)を詠む」歌5首。2198の「黄葉散りつつ」の「つつ」は、継続反復。黄葉が散り続けて。「少なくも~なくに」は、ちょっとやそっとの~ではない。ここは大いに清いということを消極的に言ったもの。「吾の松原」は、伊勢国三重郡にあった松原で、今の四日市市辺りではないかとされます。不変であるはずの松と、散り乱れる紅葉の対比が印象的な歌です。
2199の「物思ふ」は、物事を深く思い悩む、思索に沈むこと。「隠らひ居りて」は、人目を避け、家にこもって過ごして。心を閉ざした状態を表しています。「今日見れば」は、久しぶりに外を見渡す契機のことを言っており、時間の経過を暗示しています。「春日の山」は、奈良市東方の山地。「色づきにけり」の「けり」は、気づきを表す助動詞。内面の停滞と外界の変化との対照を鮮やかに描いている歌です。作者は物思いに沈み、閉じこもっている間、時の流れに気づかなかった。しかし外に目を向けた瞬間、春日の山はすでに色づき、季節は確実に移ろっていた――その事実に、はっとする心情が「色づきにけり」に込められています。
2200の「九月」は、陰暦の9月で、晩秋にあたります。「白露(しらつゆ)負ひて」の「白露」は、漢語「白露」の翻読語。「負ひて」は、白露を浴びて。露に濡れているさま。「あしひきの」は「山」の枕詞。「もみたむ」の「もみつ」は、紅葉する。「む」は、推量。「見まくしも」の「見まく」は「見む」のク語法で名詞形。「しも」は、強意。「よし」は、肯定。秋の深まりを五感で味わう喜びを率直に詠んだ一首であり、白露に濡れ、しっとりとした山の紅葉は、視覚だけでなく、冷気や湿り気までも感じさせる情景として描かれています。
なお、こんにち「もみじ」といえば「紅葉」と書きますが、『万葉集』の表記で「紅葉」とあるのは、1例のみで、76例は「黄葉」と書かれています。「毛美知」のような一字一音の仮名の場合は別として、赤系統は紅葉1、赤葉1,赤2の4例だけで、黄系統は黄葉76のほか黄変6、黄3、黄色2、黄反1の計88例もあります。万葉のころは、赤・黄に拘わらず、秋になって木々の葉が変色するのを、共に称したのでしょう。
2201の「妹がりと」は、妹の許(もと)へ行こうとして、の意。「馬に鞍置きて」は、馬に鞍を置いて、すなわち旅立ちの支度をして。「生駒山」は、奈良県生駒市と大阪府東大阪市との県境にある標高642mの山で、生駒山地の主峰。ここは山頂から少し南の鞍部が暗峠(くらがりとうげ:標高455m)を越えたと見られ、その名は、松や杉が繁茂し昼なお暗かったからとも、荷を運ぶ商人らがここで鞍替えしたからともいわれます。急峻ながらも、都と難波を結ぶ最短距離の道でした。「うち越え来れば」の「うつ」は、馬に鞭をくれる意。「紅葉散りつつ」は、紅葉が散り続けている情景。またこの歌は、『万葉集』の中で「もみじ」を「紅葉」と書いている唯一の歌です。
2202の「時になるらし」の「らし」は推量。眼前の事実からの判断。「月人」は、月を擬人化したもの。「桂」は、月に桂の大木が生えているという伝説を踏まえています。「色づく見れば」は、ここは月の光が冴えてきたことを月の桂が黄葉したと見立てています。新しい趣向を持ち、現実の季節感を、幻想世界にまで広げて捉える独特の発想が特徴の歌です。作者は、地上の紅葉だけでなく、月の世界にあるとされる桂の木まで色づいていると想像し、そこから秋の到来を実感しています。しかし、土屋文明は、「趣向に頼って居るにすぎない歌である」と批判しています。

もみち(黄葉)・もみつ(黄葉つ)
秋に、樹木や草の葉が黄色に色づくこと。また、その葉。特に葉を指してモミチバ(黄葉)ともいう。葉が色づく意の動詞にモミツ(黄葉つ。黄変つ・黄色つ)がある。上代には清音モミチであり、中古以降に濁音のモミヂとなる。『万葉集』では、春の花(桜)の対となる秋の景物として好んで歌われ、モミチ・モミチバ・モミツの用例は100例を超える。その大多数が「黄葉」の表記を用いており、赤系統の色で表記したのは、「紅葉」「赤葉」が各1例と、動詞モミツを「赤」と表記した2例のみである。その理由は、盛唐頃までの漢籍の影響を受けたためとされるが、大和地方では、実際に赤い葉よりも黄色い葉に親しむ機会が多かったためとも言われる。上代の黄葉は、現代のように楓(かえで)の葉のみを指すわけではなく、萩など他の樹木全般に対してもいう。『万葉集』には、山全体が色づく様を歌う例も見られる。なお、モミチ、モミツの語を用いる他に、「したふ(赤く照り映える)」「色づく」「にほふ」等の語で黄葉を表現することも多い。
~『万葉語誌』から引用
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