| 訓読 |
2228
萩(はぎ)の花(はな)咲きのををりを見よとかも月夜(つくよ)の清(きよ)き恋まさらくに
2229
白露(しらつゆ)を玉になしたる九月(ながつき)の有明(ありあけ)の月夜(つくよ)見れど飽(あ)かぬかも
2230
恋ひつつも稲葉(いなば)かき分け家(いへ)居(を)れば乏(とも)しくもあらず秋の夕風(ゆふかぜ)
2231
萩の花咲きたる野辺(のへ)にひぐらしの鳴くなるなへに秋の風吹く
2232
秋山の木(こ)の葉もいまだもみたねば今朝(けさ)吹く風は霜(しも)も置きぬべく
| 意味 |
〈2228〉
萩の花がたわわに咲き誇っているさまを見なさいと、月は清らかに照っているのだろうか。恋しさがいっそうつのるのに。
〈2229〉
白露を玉のように照らし出す九月の明け方の月は、いくら見ても見飽きることがない。
〈2230〉
家人を恋しく思いながら、稲田の中に小屋を建てて暮らしていると、心地よく吹いてくる、秋の夕風が。
〈2231〉
萩の花が咲く野のあたりにヒグラシの鳴く声を聞いたと思ったら、まもなく秋の風が吹いてくる。
〈2232〉
まだ秋山の木々の葉も色づいてはいないのに、今朝吹く風は霜でも置くような冷たさだ。
| 鑑賞 |
作者未詳歌5首。2228~2229は「月を詠む」歌。2228の「咲きのををり」は、花が盛んに咲いて枝がたわむさま。「咲き」も「ををり」も名詞。「見よとかも」は、見なさいと言っているかのように、の意で、自然が語りかけてくるような擬人化。「恋まさらくに」の「恋」は、萩に対する思い。「まさらく」は「まさる」のク語法で名詞形。「に」は、詠嘆。恋がいっそう募ることであるのに、の意。自然描写を通して心情をにじませるという万葉集特有の美意識がよく表れている歌です。
2229の「白露」は、漢語「白露」の翻読語で、清らかさ・はかなさの象徴。「玉になしたる」の「なす」は、そうでないものをそのように見せかける意。「有明の月」は、陰暦16日以降の、明け方になっても残っている月。窪田空穂は、「陰暦九月の夜明けのほの暗い頃、地はかすかに煌めく露、空は細い在明月のみで、他にはもののない境に浸っている気分で、調べもその気分を活かそうとする、単純な静かなものである。気分を重んじる心がなければ詠もうともせず、詠めもされない範囲の歌である」と述べています。秋の夜明け前の自然美を、きわめて静謐な感動として詠んだ一首です。
2230~2232は「風を詠む」歌。2230の「恋ひつつも」は、家にいる人に恋い焦がれながらも。「恋ひ」の対象を風と見る立場もあります。「稲葉かき分け」は、実った稲が生い茂る風景で、秋田を守るための仮庵の周囲のさま。「家居れば」は、家族から離れ、農事のための仮小屋に住んでいることをさします。「乏しくもあらず」は、少ないことはない、十分満足できる。恋の思いを抱えつつも、日常と自然の中に心の慰めを見いだす秋の情景歌です。なお、古代の稲は赤米が中心だったと考えられており、現代の草丈の短い改良後の稲とは違い、大人の背丈ほどに伸びる姿だったといいます。
2231の「咲きたる」は、咲いている。完了の助動詞「たり」により、咲きそろった状態を表します。「なへに」は、~につれて、~とともに。視覚・聴覚・触覚を総動員して秋の到来を描いた写景歌であり、萩の花の「咲きたる」という視覚的な完成形に、ひぐらしの鳴き声という聴覚的要素、そして肌に触れる秋の風という触覚的要素が重ねられ、立体的な秋の野辺の情景が浮かび上がってきます。
2232の「木の葉もいまだもみたねば」は、木の葉がまだ紅葉していないのに。「霜も置きぬべく」は、霜も置きそうにで、下に「あり」が省かれています。紅葉にはまだ早い秋山の様子から、季節が一段と進もうとしている兆しを感じ取った一首であり、作者は、視覚的にはまだ色づかない木の葉を見ながらも、肌で感じる「今朝吹く風」の冷たさから、秋が終盤へ向かって急速に進んでいることを鋭く察知しています。

月齢
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