| 訓読 |
2239
秋山のしたひが下(した)に鳴く鳥の声だに聞かば何か嘆(なげ)かむ
2240
誰(た)そかれと我(わ)れをな問ひそ九月(ながつき)の露(つゆ)に濡れつつ君待つ我(わ)れを
2241
秋の夜(よ)の霧(きり)立ちわたりおほほしく夢(いめ)にぞ見つる妹(いも)が姿を
2242
秋の野の尾花(をばな)が末(うれ)の生(お)ひ靡(なび)き心は妹(いも)に寄りにけるかも
2243
秋山に霜(しも)降り覆(おほ)ひ木(こ)の葉(は)散り年は行くとも我(わ)れ忘れめや
| 意味 |
〈2239〉
秋のもみじの陰で鳴く鳥の声のように、思う人の声だけでも聞けたなら、どうしてこんなに嘆くことがあろう。
〈2240〉
誰なのか、などと私にお聞きにならないで下さい。九月の冷たい露に濡れながら、あなたを待っている私なのです。
〈2241〉
秋の夜に一面に立ちこめている霧のように、おぼろげに夢に見た。いとしいあの子の姿を。
〈2242〉
秋の野のススキの穂先が延びて風に靡くように、私の心はすっかりあの子に靡き寄ってしまった。
〈2243〉
秋の山い霜が降り、木の葉も散って年がすぎてゆくけれど、私はあの子のことを忘れようにも忘れられない。
| 鑑賞 |
『柿本人麻呂歌集』から「秋の相聞」5首。2239の「したひ」は「したふ」の名詞形で、木の葉が色づくこと。上3句は「声」を導く譬喩式序詞。「声だに聞かば」の「だに」は、~だけでも。「何か嘆かむ」の「何か」は、どうして、なぜ。反語表現で、どうして嘆こうか、いや嘆くまい、の意。女の歌と見られ、声だけを聞いて近づくこともできずに恋い続けている人を、秋山の木陰で泣く鳥の声を聞いて連想し、嘆いている歌です。窪田空穂はこの歌について、「序詞が大きな働きをしている。これがあるために、『声だに聞かば』という片恋が、実感味をもったものとなって来るとともに、すでにある期間連続して今に及んでいるものだという立体感を与えるものとなる。さらにまた、『秋山のしたひが下に鳴く鳥』は、その女の美しさと声とを、気分の上で連想させるものになり、これが最も重いものになって来るのである」と述べています。
2240は、女が男の来るのを戸外に立って待っていて、男は来たけれども、薄暗い中で、人影を誰とも分からず、訝って尋ねたという歌です。「誰そ彼」は、今では薄暮をいう語になっていますが、ここはその語源的なものです。「な問ひそ」の「な~そ」は、懇願的な禁止。なお、解釈について「誰なのかあの人は、などと私に尋ねないで下さい。・・・あの方を待っている私ですのに」として、恋人を見咎めた第三者に対しての言葉とするものもあります。どちらにせよ、逢引が戸外でも行われたことが窺えます。そのときには当然時間と場所の打ち合わせをする必要があったわけですが、その役割は使いの者が担ったと考えられています。
2241の「霧立ちわたり」は、霧が広く一面に立ちこめる意。視界が遮られ、物の輪郭が曖昧になる情景を示します。上2句は霧がぼんやり立ち込めている意から「おほほしく」を導く序詞。「おほほしく」は、おぼろげに、ぼんやりと。「夢にぞ見つる」は「ぞ」による強調で、現実ではなく夢の中でしか会えない切なさが込められています。
2242の「尾花が末」は、すすきの穂先。上2句は「生ひなびき」を導く譬喩式序詞。「生ひなびき」の「生ひ」は、成長して、延びて。「寄りにけるかも」の「にける」は完了・詠嘆。「かも」は詠嘆を添える終助詞で、気づいたときにはもう心が傾いていた、という感慨を示します。窪田空穂は、「女と関係が結ばれた当座、女に対して自分の真実を誓った心の歌である」と述べています。
2243の「年は行くとも」は、年が過ぎて行こうとも。「我れ忘れめや」は反語で、どうして忘れようか、いや忘れない、の意。時間や自然の変化に抗する不変の思いをうたっており、前歌とともに、男が女に真実を誓った歌です。

『万葉集』クイズ
次の歌はいずれも天皇の御製歌(皇太子時代を含む)です。それぞれの作者名を答えてください。
【解答】 1.雄略天皇 2.天智天皇(中大兄皇子) 3.持統天皇 4.元明天皇 5.文武天皇 6.天武天皇(大海人皇子) 7.天武天皇 8.天智天皇 9.聖武天皇 10.元正天皇
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