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巻第10(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第10-2289~2293

訓読

2289
藤原(ふぢはら)の古(ふ)りにし里の秋萩(あきはぎ)は咲きて散りにき君待ちかねて
2290
秋萩を散り過ぎぬべみ手折(たお)り持ち見れども寂(さぶ)し君にしあらねば
2291
朝(あした)咲き夕(ゆふへ)は消(け)ぬる月草(つきくさ)の消(け)ぬべき恋も我(あ)れはするかも
2292
秋津野(あきづの)の尾花刈り添へ秋萩(あきはぎ)の花を葺(ふ)かさね君が仮廬(かりほ)に
2293
咲けりとも知らずしあらば黙(もだ)もあらむこの秋萩(あきはぎ)を見せつつもとな

意味

〈2289〉
 古京となった藤原の里の秋萩は、もう咲いて散ってしまいました。あなたがいらっしゃるのを待ちかねて。
〈2290〉
 秋萩の花が散り終わりそうなので、手に折り取って眺めてみました。けれど、いくら見ても寂しくて仕方ありません、この萩はあなたではないので。
〈2291〉
 朝咲いても、夕方にはしぼんでしまう露草のように、身も消えてしまいそうな切ない恋をしています。
〈2292〉
 吉野の秋津野に咲いている萩の花に、尾花を刈り添えて、あなたの仮小屋の屋根にお葺きなさいな。
〈2293〉
 咲いたからといって、それを知らずにいたら何とも思わないのに、この萩の花をわけもなく私に見せて下さるものだから。

鑑賞

 作者未詳の「花に寄せる」歌5首。2289の「藤原の古りにし里」は、和銅3年(710年)の奈良遷都によって古京となった藤原京。「待ちかねて」は、待ち得ずして。萩の心を述べた句ですが、作者の気持も反映しています。人を待ち続けた末に、その時を失ってしまった哀惜の情を、旧都藤原と秋萩の盛衰に重ねて詠んだ一首であり、新都に移った夫に対し、藤原に残った妻が贈った歌とみられますが、男の友人同士で詠んだともとれます。窪田空穂は、「この訴へ方は型のごとくなっていたものであるが、詠み方がおおらかであるためにおのずから品が添い、あわれ深いものとなっている」と評しています。

 
2290の「秋萩を」は、秋萩よ、この秋萩が、の意。「を」は下の「べみ」と呼応するもの。「散り過ぎぬべみ」の「べみ」は「べし」のミ語法で、推量・理由を表し、散り終わりそうなので、の意。「寂(さぶ)し」は「さびし」の古形。「君にしあらねば」の「し」は、強意の副助詞。女が男に贈った歌で、花を手に取っても満たされない恋の欠如感を、率直な言葉で詠んだ歌です。佐佐木信綱は「暫く逢瀬の絶えた恋人に対する思慕の情が滲み出ていて、哀艶の佳調を成している」と評し、土屋文明も「四五句はよい」と言っています。

 
2291の「月草」は「露草(つゆくさ)」の古名で、7~8月にかけて、畑の隅や道端などでよく見かけます。青紫色の花は「朝咲き夕は消ぬる」とあるように、朝咲いて、その日の午後にはしぼんでしまうことから「朝露」を連想させ、「露草」という名になったという説があります。その特徴的な花の形から、蛍草(ほたるぐさ)や帽子花(ぼうしばな)などの別名もあります。古代では衣を青く染めるのにも使用されていたようです。上3句は「消ぬ」を導く譬喩式序詞。「消ぬべき」は、消えてしまうはずの。はじめから終わりが見えている恋に身を投じてしまう人の自覚と嘆きを、月草の性質に重ねて詠んだ一首です。月草は『万葉集』において、最も典型的な「はかなさ」の象徴であり、その花が「朝咲き夕へは消ぬる」と明確に説明されることで、恋の行く末もまた、最初から短命であることが暗示されます。

 
2292の「秋津野」は、奈良県吉野町宮滝付近の野とされ、古くから狩猟地でした。何らかの公務を帯びて秋津野へ行った夫に対し、その妻が別れる前に贈った歌とみられます。「尾花刈り添へ」は、尾花に刈り添えて。「葺かさね」は「葺く」の尊敬語「葺かす」に願望の助詞「ね」を添えたもの。「仮廬」は、旅の宿りをするために作る仮小屋で、やや身分のある人は、行く先で作りました。ここでは狩りのためのものだったかもしれません。この歌について窪田空穂は次のように述べています。「京に近い吉野であるが、当時のこととて、そこへ行っている人は家恋しい歌を詠んでいる。その点は妻も同様であったろう。この歌はそうした点には全然触れず、旅の仮小屋の屋根の葺き代(しろ)として、おりからの萩の花と尾花とを想像し、夫もまたそれによって慰められるものとしていっているのである。自然美が距離を置いての鑑賞物ではなく、日常生活の中に融け入っていることを示している歌である。尾花で屋根を葺くおもしろさは、その歌もあって、すでに常識化していたことと思われるが、場合柄やはり注意を引く気分である」。

 
2293の「咲けりとも」は、咲いたからといって。「知らずしあらば」の「し」は、強意の副助詞。知らないでいるならば。「黙もあらむ」は、何も思わないですむのに、平気でいられるのに。「黙」は、外界との交渉を断って平静無事を装う状態。「見せつつもとな」は、見せていながら、どうして、見せながらむなしく。ここでは、語らずにいられない心情を表しています。恋の喜びを隠しきれず、語らずにはいられない心の昂ぶりを、秋萩の開花に託して詠んだ一首で、病気のためか、あるいは何らかの事情で長く家に籠っている女が、男から萩の花を贈られて詠んだ歌とみえます。萩よりも本人に来てほしいというのが本音でしょうか。
 


『万葉集』の時代区分

 『万葉集』の全巻を通じて、最も古い歌は仁徳天皇の皇后・磐姫の作と伝えられているもので、最も新しい歌は天平宝字3年の大伴家持の作です。この間ざっと450年もの長い期間にわたりますが、実際は舒明天皇前後から1世紀の間に作られた歌が殆どです。

 この時代は、政治的には聖徳太子の指導による大陸文化の流入、大化の改新、壬申の乱などの大変動、皇室中心の官僚社会国家の樹立など、わが国の歴史上きわめて重要な時期でもありました。『万葉集』の時代区分にはいくつかの方法がありますが、次の4期に分けるのが普通です。
 
【第1期】
 近江朝以前(壬申の乱・672年)まで
【第2期】
 飛鳥・藤原期(平城京遷都・710年)まで
【第3期】
 奈良時代前期(天平5年・733年)まで
【第4期】
 奈良時代中期(天平宝字3年・759年)まで

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