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巻第10(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第10-2294~2298

訓読

2294
秋されば雁(かり)飛び越ゆる龍田山(たつたやま)立ちても居(ゐ)ても君をしぞ思ふ
2295
我(わ)が宿(やど)の葛葉(くずは)日に異(け)に色づきぬ来(き)まさぬ君は何心(なにごころ)ぞも
2296
あしひきの山さな葛(かづら)もみつまで妹(いも)に逢はずや我(あ)が恋ひ居(を)らむ
2297
黄葉(もみちば)の過ぎかてぬ子を人妻と見つつやあらむ恋しきものを
2298
君に恋ひ萎(しな)えうらぶれ我(あ)が居(を)れば秋風吹きて月かたぶきぬ

意味

〈2294〉
 秋になると雁が飛び越えて行く龍田山ではないが、立っていても座っていてもあなたのことばかりが思われる。
〈2295〉
 我が家の庭の葛の葉が日増しに色づいてきた。なのにいらっしゃらないあなたは、いったいどういうお心なのでしょう。
〈2296〉
 山のサネカズラが色づくようになるまで、愛しいあの子に逢えないまま、私はずっと恋い焦がれていなければならないのか。
〈2297〉
 もみじ葉が散っていくようには見過ごしがたいあの子なのに、人妻としてばかり見ていなければならないのか。こんなに恋しいのに。
〈2298〉
 あなたに恋い焦がれ、打ちしおれてしょんぼりしている間に、秋風が吹き、いつの間にか月が西空に傾いてしまいました。

鑑賞

 作者未詳歌5首。2294は「山に寄す」歌。「秋されば」は、秋になると。「雁飛び越ゆる」は、渡り鳥である雁が山を越えていく情景。上3句は「立ち」を導く同音反復式序詞。「龍田山」は、奈良県生駒郡三郷町の龍田大社の背後にある山。「立ちても居ても」は、立っていても座っていても、で、絶えずという意を表現したもの。「君をしぞ思ふ」の「しぞ」によって、思慕の一点集中が強調されます。秋の到来とともに募る、絶え間ない思慕の心を、龍田山の雄大な景と重ねて詠んだ一首です。下2句の表現は当時好まれたらしく、同類の表現のある歌が、巻第11-2453、巻第12-3089などにあります。

 2295~2297は「黄葉(もみち)に寄す」歌。
2295の「宿」は、家の敷地、庭先。「葛葉」は、秋の七草の一つ「葛」の葉で、秋になると黄変します。「日に異に」は、日増しに。「何心ぞも」は、どのような気持ちなのか、の意で、詠嘆を含む疑問。季節が確実に移ろっていくのに対し、訪れぬ恋人の心の不確かさを嘆く一首です。

 
2296の「あしひきの」は「山」の枕詞。「さな葛」は、サネカズラ。「もみつ」は、紅葉する。「我が恋ひ居らむ」は、この先も恋い続けているのだろうか、という自問的表現。恋人に逢えぬまま、長く思い続けることへの不安と嘆きを、山に生える葛の黄葉に託して詠んだ一首です。窪田空穂は、「類歌はあるが、実際に即して率直にいっているので、感のある歌となっている」と述べています。

 
2297の「黄葉の」は「過ぎ」の枕詞。「過ぎかてぬ子」の「過ぎ」は、見過ごすこと。「かてぬ」は、できない。見過ごすことのできない女。「見つつやあらむ」は、見ているだけでいられるだろうか、という反語。「恋しきものを」は、恋しくてならないのに、と気持ちを押し出す結句。決して結ばれることのない恋に直面した者の、痛切な葛藤と抑えがたい思慕を詠んだ一首ですが、窪田空穂は、「人妻とはいっても、娘時代と同じくその母の家に住んで、かわらない状態を保っているので、以前から思いを寄せていた男には、こうした感は起こりやすいものであったろう」と言っています。

 
2298は「月に寄せる」歌。「萎えうらぶれ」の「萎え」は心労のためにしおれる、「うらぶれ」は悲しみに沈む意で、同じような意味の語を重ねたもの。感情だけでなく生活の荒れや孤独感までが強く感じ取れる語です。「我が居れば」は、じっと身を置いている状態で、動きのない時間。男の訪れを待つ女の歌であり、男の通いは、月が出ている夜でなければならず、しかも夜が更けてからの通いは禁忌とされました。ここでは「月かたぶきぬ」とあるので、もはや男の訪れは期待できない状況を言っています。恋により衰え沈み込んだ心境と、その間にも容赦なく過ぎていく時間を、秋の夜の景に重ねて詠んだ一首であり、秋の夜の情感を象徴的に捉えた印象深い作品となっています。

 この歌について
窪田空穂は、「漠然としたことを大きく捉えていっている歌であるが、一首の歌として見ると、統一した感があり、落ちついた、しみじみした、味をもった歌となり、欠けるところのないものとなっている」と述べています。また佐佐木信綱は、「何の技巧も粉飾もなく、情を抒べること最も自然率直、景を描くこと甚だ端的簡浄、その情と景とがぴったり融合して、いうべからざる妙趣を発揮している。蓋し集中にあっても醇粋なものの一つである」と絶賛しています。
 


作者未詳歌

 『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。

 7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、畿内圏のものであることがわかります。

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サネカズラ

 マツブサ科サネカズラ属に属する常緑のつる性植物で、夏に薄黄色の花を咲かせ、秋に赤い実がたくさん固まった面白い形の実がなります。別名ビナンカズラといい、ビナンは「美男」のこと。昔、この植物から採れる粘液を男性の整髪料として用いたので、この名前がついています。果実は生薬とされることがあり、また美しいため観賞用にも栽培されます。古くから日本人になじみ深い植物であり、『万葉集』にも多数詠まれています。
 

 

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。