| 訓読 |
2299
秋の夜(よ)の月かも君は雲隠(くもがく)りしましく見ねばここだ恋しき
2300
九月(ながつき)の有明(ありあけ)の月夜(つくよ)ありつつも君が来(き)まさば我(あ)れ恋ひめやも
2301
よしゑやし恋ひじとすれど秋風の寒く吹く夜(よ)は君をしぞ思ふ
2302
ある人のあな心なと思ふらむ秋の長夜(ながよ)を寝覚(ねさ)め臥(ふ)すのみ
2303
秋の夜(よ)を長しと言へど積もりにし恋を尽(つく)せば短(みじか)くありけり
| 意味 |
〈2299〉
あなたは秋の夜の月なのでしょうか。しばらくの間雲に隠れて見えなくなっただけで、こんなに恋しくてならないなんて。
〈2300〉
九月の有明の月夜ではありませんが、このようにいつも来てくだされば、どうして私が恋焦がれたりするでしょうか。
〈2301〉
もうどうでもいい、恋などするものかと思っても、秋風が寒く吹く夜は、あなたのことが思われる。
〈2302〉
人によっては、明けるのを何と心ない夜だと思うだろう秋の夜長を、私はただ一人、まんじりともせずに臥せっているばかりだ。
〈2303〉
秋の夜は長いと言うけれど、積もりに積もった恋心を晴らすには、何とも短く感じられる。
| 鑑賞 |
作者未詳歌5首。2299・2300は「月に寄せる」歌。2299の「月かも君は」は、月であるのか、君は。「君」は夫で、倒置によって詠嘆を強めています。「しましく」は、しばらく。「ここだ恋しき」の「ここだ」は、たいそう、甚だしく。月と夫を一体化し、雲に隠れて、ほんの少しの間でも見えないと、たちまち気になってそわそわしてしまう、だからもっとたくさん逢いに来てほしいと、言外にいじらしくお願いしている歌です。自然現象の一瞬の変化を捉え、それをそのまま人の心の動きへと重ね合わせることで、恋の繊細さを鮮やかに表現しています。声高に嘆くのではなく、「しましく」という一語で思慕の深さを際立たせた点に、万葉集後期恋歌の洗練と抒情の成熟がよく表れている一首といえます。
2300の「九月(ながつき)」は、陰暦九月。秋も深まり、夜が長く、月の冴える季節です。「有明の月」は、20日以降の、夜明けの空に残る月。上2句は「ありつつも」を導く同音反復式序詞で、眼前の実景でもあります。「ありつつも」の「あり」は存続の意で、自分が在り経つつで、生きながらえて。「我れ恋ひめやも」は、恋い慕うことがあろうか、いや、ない、という反語。長い夜の孤独と、それを一挙に消し去る「来訪」への切実な願いを、反語の形で鮮やかに表現した一首であり、前歌では、雲に隠れた月に恋人をなぞらえ、短い不在が恋を募らせる心が詠まれていましたが、本歌ではさらに一歩進み、不在が解消されるならば、恋の苦しみそのものが消滅するという、きわめて率直で強い感情が表明されています。窪田空穂は、「恋の歌ではあるが、静かな、深みある気分の表現で、めずらしい歌」と言っています。
2301~2303は「夜に寄せる」歌。2301の「よしゑやし」は、よしままよ、どうなろうとも。思い切ろうとする気持ちを表す感動語。「恋ひじとすれど」は、恋などすまいと心に決めようとするが。「君をしぞ思ふ」は、「しぞ」によって、思いが一点に集中していることを強調しています。恋を断ち切ろうとする理性と、季節の感覚によって呼び覚まされる思慕との葛藤を、率直な言葉で詠んだ一首です。冒頭の「よしゑやし」は、恋を諦めようとする決意の言葉であるが、その語感にはすでに、完全には言い切れない弱さが含まれています。続く「恋ひじとすれど」によって、理性としては恋を抑えようと努めている姿が示されます。しかし、後半に置かれた「秋風の寒く吹く夜」は、その決意を容易に崩してしまう契機となり、秋風の冷たさは、単なる気候現象ではなく、身体に直接触れる感覚として、孤独や欠如を鋭く意識させます。そのため、結句「君をしぞ思ふ」と、再び恋心が前面に現れています。なお、「君をしぞ思ふ」は当時好まれた表現らしく、集中に8例見られます。
2302の「ある人の」の「人」は、女と共寝できる幸せな人を指しています。「あな心な」は、ああ心ない、情け知らずな。「思ふらむ」は、そう思っているだろう、という推量。夜のことを「あな心な」と思っているのは、愛する女と一夜を過ごしている幸せな男であり、自分は秋の夜長を「寝覚め臥すのみ」、すなわちまんじりともせず一人で臥せっていると嘆いている男の歌です。時間は長く、孤独は深いものの、歌の調子は抑制されており、激しい感情の爆発は見られません。しかし、その静けさがかえって、内面の苦悩を強く印象づけます。
2303の「積もりにし恋」は、長いあいだ胸に積み重なってきた恋心。「尽せば」は、それを晴らすこと。「短くありけり」の「けり」は、気づきを表す助動詞。前歌とは逆に、女と充実した夜を過ごし、夜明けに帰ろうとする時に詠んだ形の歌です。同じ秋の夜長であっても、一人孤独に過ごす時間は長い、しかし恋人と楽しく過ごす夜は短くてあっという間に過ぎる。いわゆる「相対性の理論」を唱える2首となっています。なお、古来、実りの秋、紅葉の秋は、日本人が最も愛した季節だったらしく、『万葉集』の季節歌でも、秋の歌が最も多くなっています。

作者未詳歌
『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。
7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、畿内圏のものであることがわかります。
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