| 訓読 |
2309
祝部(はふり)らが斎(いは)ふ社(やしろ)の黄葉(もみちば)も標縄(しめなは)越えて散るといふものを
2310
こほろぎの我(あ)が床(とこ)の辺(へ)に鳴きつつもとな 起き居(ゐ)つつ君に恋ふるに寐(い)寝かてなくに
2311
はだすすき穂(ほ)には咲き出(で)ぬ恋をぞ我(あ)がする 玉かぎるただ一目のみ見し人ゆゑに
| 意味 |
〈2309〉
神官たちが祭って大事にしているお社のもみじでさえ、張り巡らせた標縄を越えて散るというのに。
〈2310〉
コオロギが寝床のあたりでしきりに鳴き続けていて、しようがなく起きているが、あなたのことが恋しくて寝ようにも寝られません。
〈2311〉
はだすすきの穂に咲き出ないような、ひそかな恋を私はしている。ただ一目だけ見たあの人ゆえに。
| 鑑賞 |
作者未詳歌3首。2309は、譬喩歌。「祝部」は、神官。「斎ふ社」は、不浄を払っている社。「標縄」は、占有を示し、他人の侵入を禁じるしるしの繩。「標縄越えて散る」は、親の監視を逃れて外で男に逢うことの譬え。男が女に呼びかけた歌で、あなたは親の目ばかり気にしてちっとも逢ってくれない、せめて神社のもみじ葉のようにあってほしい、と訴えています。窪田空穂は、「『祝部等が斎ふ社の』と黄葉をきわめて重く言い、『散るといふものを』と、婉曲に、詠歎を添えて、言いさしにしているのは、娘に対する懸想の深さよりの心を置いているのである。神に対する信仰の絶対であった上代とて、この譬喩は容易ならぬものだったのである。品位あり、洗煉を経た詠み方で、男の身分を思わせる歌である」と述べています。
2310・2311は旋頭歌(5・7・7・5・7・7の形式の歌)。2310の「こほろぎ」は、今のコオロギ、あるいはスズムシ、マツムシ、キリギリスなどを含む、秋に鳴く虫の総称ともいわれます。「もとな」は、しきりに、むやみに。「起き居つつ」は、起きて床の上に座っているさま。「寐寝かてなくに」の「寐」は寝ることをいう名詞。「かてなく」は「かてぬ」のク語法で、できないことだ、の意。「〜なくに」は、嘆き・詠嘆を強めます。秋の夜の静寂と恋の苦悩とが美しく重ね合わされた一首であり、虫の声・夜・寝床という身近な情景を用いながら、恋の切実さを率直に表現する点に、万葉集恋歌の特色がよく示されています。
2311の「はだすすき」は、表皮を被った状態のススキの穂で「穂」の枕詞。「穂には咲き出ぬ」は、秘めた恋心の表現。ススキの花穂の赤みを帯びた色は、恋心に染まる頬の色に通じています。「玉かぎる」は、ここは「ただ一目」の枕詞。玉がちらっと輝くようにかすかに見える意。路上などでただ一目だけ見た人に対する恋で、男の歌と見られます。恋の始まりの微妙な段階を、自然の比喩によって巧みに表現しています。ただ、ここの2首について、「ことさらに旋頭歌に仕立てなくても、短歌でこなせる内容のように思われる」と、伊藤博は言っています。

いはふ(斎ふ)
イハフは、願いの実現を意図して行う呪的行為(呪術、おまじない)をいう。ただし他に危害を与えるなど、好ましくない願いは見られない。語源的には、神聖・禁忌を意味する接頭語イにハフが付いたものと考えられる。
同じくイに関わる動詞にイム(忌む)があるが、イハフが願いの実現を意図して何かを行うのに対して、イムは逆に凶事を恐れて何かを行わないことを意味する点が異なる。イハフが主として積極的行動であるのに対し、禁忌を侵さず、穢れを避け、身を慎むことをいう。
ただし、次の歌を見ると、イムとイハフが重なり合う語であることもわかる。「櫛も見じ屋内も掃かじ草枕旅行く君を斎ふと思ひて」(巻第19-4263)。妻の立場から入唐使へ贈った壮行歌で、「櫛を見ることもしない、家の中も掃かない、旅行くあなたを『いはふ』と思って」くらいの意である。この歌では髪を梳かさない、家の中を掃かないことが旅人の無事をイハフこととされている。旅立ちの状態をそのまま保つことで旅人の無事の帰還を願うのだが、それが状態を変えることを禁忌とする意識と裏腹である点が注目される。また、神社などの神聖・清浄を保つことをイハフと言った例もみられる。
~『万葉語誌』から抜粋引用
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それぞれの歌の〇の中に当てはまる語を、ひらがなで答えてください。
【解答】 1.つばき(椿) 2.とも(鞆) 3.あま(海人) 4.いへ(家) 5.やまと(大和) 6.おくら(憶良) 7.やまかげ(山陰) 8.ふたり(二人) 9.ももくさ(百種) 10.たるみ(垂水)
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