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巻第10(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第10-2312~2315

訓読

2312
我(わ)が袖(そで)に霰(あられ)た走(ばし)る巻き隠(かく)し消(け)たずてあらむ妹(いも)が見むため
2313
あしひきの山かも高き巻向(まきむく)の岸の小松(こまつ)にみ雪降り来る
2314
巻向(まきむく)の檜原(ひばら)もいまだ雲居ねば小松が末(うれ)ゆ沫雪(あわゆき)流る
2315
あしひきの山道(やまぢ)も知らず白橿(しらかし)の枝もとををに雪の降れれば

意味

〈2312〉
 私の袖にあられが降りかかってきて飛び散る。それを袖をに包み隠し、なくならないようにしよう。妻に見せたいから。
〈2313〉
 巻向山は高い山なのだなあ、麓の崖に生えている小松にまで雪が降ってくる。
〈2314〉
 巻向山の檜林にまだ雲もかかっていないのに、松の梢のあたりから沫雪が流れ飛んでくる。
〈2315〉
 どこが山道なのか分からない。白橿の枝がたわむほどに雪が降り積もったので。

鑑賞

 『柿本人麻呂歌集』から「冬の雑歌」4首。『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『柿本人麻呂歌集』から採ったという歌が360余首あります。『柿本人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。ただし、それらの中には明らかな別人の作や伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではありません。題詞もなく作者名も記されていない歌がほとんどなので、それらのどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかのかの区別もできません。

 
2312の「霰た走る」の「た走る」の「た」は「走る」の勢いを強める接頭語で、ここは霰がぱらぱらと激しく落ちて飛び跳ねる状態。「消たずてあらむ」の「消た」は、「消す」の古形「消つ」の未然形。消さないでいよう、の意。「巻き隠し」は、袖に巻いて隠して。「妹が見むため」は、妹(妻)が見るために。妻のもとに通って行く途中に霰に逢い、自身珍しく面白く思うとともに、それを持っていって妻にも見せようと言っています。ほほ笑ましい情愛の伝わる歌であり、窪田空穂は「若い人麻呂の何物も面白がり、心を躍らせるさまが断面的にみえる。この生趣は人麻呂のみのものである」と述べ、国語学者の安藤正次は「飛び散る霰をよろこんで、妻に見せようという純真さは、まことに、後の世のものではない」と述べています。

 
2313の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山かも高き」は、山が高いからだろうか。「巻向山」は、奈良県桜井市三輪の東北にある山。「岸」は、原文「木志」で、川の岸ではなく、山の端、山と平地の境あたり。「小松」の「小」と、「み雪」の「み」は、接頭語。「けり」は、詠嘆の助動詞。視覚的な広がりと静けさを併せ持つ自然詠であり、冒頭の「あしひきの山かも高き」によって、視線はまず雄大な山へと向けられますが、続く句では一転して「岸の小松」という小さな存在に焦点が移ります。この大から小への視点の移動が、風景に奥行きを与えています。伊藤博は「上二句で呼吸し、第三句以下を一気に言い放った調べがいい」と述べ、窪田空穂は「何というほどのこともない歌であるが、捉え方、感じ方ともに人麿的である」と述べています。

 
2314の「巻向(山)」は、奈良県桜井市三輪の東北にある山。「檜原」は、ヒノキの林、「雲居ねば」は、まだ雲の中に隠れてしまうほどではないので。雪が山全体を覆うほどには降っていない状態を表します。「末ゆ」の「末」は、木の枝葉の先端、「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。「淡雪」は、うっすらと積もってすぐに消えていく雪。ふつうなら空に雲がかかってから雪が降り始めるのに、先に雪が降り始めたという自然現象が詠まれています。雪が「流れる」というのは、強い横風によって吹きなぐられるように降る状態を言っているのでしょう。巻向山の檜原の遠景に、近景の松の枝を配して、急激に変化しつつある自然に興味を持って歌ったものです。伊藤博はこの歌を評し、「荘重で雄勁、単純で清爽、人麻呂声調の極致を示しているといってよい。とくに、『雲居ねば』で一瞬呼吸し、以下『小松が末ゆ沫雪流る』と押し下した調べは、その妙味、いうべからざるものがある。調子そのものが雪の流れに完全に融け合っている点が、表現の神秘をすら感じさせる」と述べています。

 
2315の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山道も知らず」は、雪に覆われて道が分からなくなっている様子。「白橿」は橿の一種で、ブナ科の常緑高木。葉の裏が灰白色だからとも、材が白色だからともいわれます。「とををに」は、たわみしなうほどに、の意の副詞。「とをを」は「たわたわ」の略「たわわ」の交替形。前歌まででは、雪は「降り来る」「流る」といった軽やかな動きを見せていましたが、本歌では「山道も知らず」「枝もとををに」と、生活や移動を妨げるほどの深雪が描かれています。なお、左注には、「或本には三方沙弥(みかたのさみ)が作といふ」とあります。窪田空穂はこの歌について、「清らかな拡がりをもった境が、調べに導かれて、ただちに気分となって浮かんで来る歌である。気分本位の詠風となった奈良朝時代の先縦をなしているとみえる歌であるが、それとは異なった趣がある。奈良朝時代には、気分によって材を捉えているのであるが、人麻呂は取材を通して気分にまで到らせているのである。実際に即し、それを単純に捉え、調べによって気分として行く態度を、この歌は明らかに示している」
 


柿本人麻呂の略年譜

662年 このころ生まれる
672年 壬申の乱
680年 このころまでには出仕していたとみられる
686年 天武天皇崩御
689年 このころ巻第1-29~31の近江荒都歌を作る
689年 草壁皇子没。巻第2-167~170の殯宮挽歌を作る
690年 持統天皇の吉野行幸。巻第1-36~37の吉野賛歌はこの時の作か
691年 泊瀬部皇女・忍壁皇子に奉る挽歌(巻第2-194~195)を作る
692年 持統天皇の伊勢行幸。都に留まって巻第140~42の歌を作る
692年 軽皇子(文武天皇)が宇陀の阿騎で狩猟した際に、巻第1-45~49の歌を作る
694年 藤原京へ遷都
696年 高市皇子没。巻第2-199~201の殯宮挽歌を作る
697年 文武天皇即位
700年 明日香皇女没。巻第2-196~198の殯宮挽歌を作る(作歌年が明らかな最後の歌)
702年 持統上皇崩御
707年 文武天皇崩御、元明天皇即位
710年 平城京へ遷都
724年 このころ亡くなる

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