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巻第11(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第11-2355・2356

訓読

2355
愛(うつく)しと吾(わ)が念(も)ふ妹(いも)は早(はや)も死ねやも 生けりとも吾(われ)に依(よ)るべしと人の言はなくに
2356
高麗錦(こまにしき)紐(ひも)の片方(かたへ)ぞ床(とこ)に落ちにける 明日の夜(よ)し来(き)なむと言はば取り置きて待たむ

意味

〈2355〉
 愛しく思うあの女は、いっそのこと早く死ねばいい。生きていても「私に靡くだろう」と誰も言ってくれないのだから。
〈2356〉
 結んだはずの高麗錦の紐の片方が床に落ちていました。今晩、きっと来るとおっしゃるなら取って置きますけど。

鑑賞

 『柿本人麻呂歌集』から旋頭歌の形式(5・7・7・5・7・7)の歌2首。2355の「愛しと」の原文「恵得」で、恵は愛と同義とされ、ウルハシトと訓む立場もあります。ウツクシが親子や夫婦など肉親への情愛を表すのに対し、ウルハシは整って立派なさまや端正な姿を表現しますが、アガ思フに続く場合はウルハシが普通との指摘があります。「早も死ねやも」は、いっそ早く死んでしまえ、の意。「やも」は強い反語(死ぬはずがあろうか)ではなく、ここでは「死んでしまえばいいのに」という破れかぶれの逆説的な願望を含んだ詠嘆として解釈されます。一方、原文「早裳死耶」を、ハヤモシナヌカ、ハヤクモシネヤ、ハヤモシネトヤなどと訓むものもあります。「吾に依るべしと」は、自分に靡くだろうと。「言はなく」は「言はず」のク語法で名詞形。「に」は、詠嘆。

 片思いでどうにもならない相手を「早く死ねばいい」と呪いのように言っているのは集中ほかに例がなく、気持ちは分からないではないですが、ずいぶん過激で自己中心的な男の歌です。もっとも、歌人の
佐佐木幸綱は、「この歌、内にこもったところがなく、開けっぴろげで明るい感じがするのは、背景に大勢の笑い声がひびいているからでしょう。歌垣のような場を想像してもいいでしょうが、私は宴席を想像します。酒も入っているのでしょう」と語っています。また、詩人の大岡信は、「振られ男のやけくその捨てぜりふ。いくら憎んでみても、ますます彼女はいとしいのです」とも言っています。一方、相手が早く死んでしまえばいいという論理が成り立つには、人々の噂が絶対的なものである、すなわち神の意志が人々の噂であるとの信仰が背景にあるとの見方があります。他にも、人々の噂に逆らうと神が憎むとうたっている歌があるからです(巻第11-2659)。

 
2356の「高麗錦」は、高麗(朝鮮半島)から伝わった、色鮮やかで豪華な織物。ここでは衣服を結ぶ「紐(帯)」の枕詞的な冠辞、あるいはその素材を指します。「紐の片方」は、紐の片方の端、あるいは一対の紐の片方。当時の下着や着物は紐で結んで留めていたため、その一部が解けて落ちたことを意味します。「明日の夜し」の「明日の夜」は、今晩のこと。天智朝以前には日没を一日の始まりとする考え方があったことが指摘されており、集中ほかにも「今夜」を「明日」と言ったと見られる例があります(巻第10-1817)。「し」は強意の助詞。「来なむと言はば」は原文「将来得云者」で、コムトイヒセバ、コムトシイハバなどと訓むものもあります。男が女に再訪を約束する場合、「今来む」「今来むよ」という例が平安期に見られるからです。「取り置きて待たむ」は、(拾って)大切に保管して待っていよう。

 「紐が床に落ちている」という描写だけで、昨夜二人がどれほど親密に過ごしたかが暗示されています。当時、紐を解くことは男女が結ばれることを象徴していました。忘れ去られた紐の片方は、愛の儀式のあとの「なごり」であり、作者にとっては愛おしい相手の分身のような存在です。「紐が落ちていましたよ」という事実に続けて、「明日来てくれるなら返してあげます(取っておきます)」と繋げる手法は、非常にチャーミングな「誘い」です。もし相手に再会の意思がないなら、紐などただのゴミ同然かもしれません。しかし、あえて「取り置きて待たむ」と言うことで、相手の再来を確認し、促しているのです。
 


ひも(紐)

 ヒモは、通常、男女が別れに際して互いに結び合い、それぞれの魂を相手の結び目に封じ込めて、再会を呪(まじな)い取るものとされる。それゆえ、再会までは解かないことが原則とされた。ところが、『万葉集』のヒモにはわからないことが多い。その形状、またどこに付けていたのかがはっきりとしないのである。「下紐」「裏紐」とする表記例もあるから、下着に付けた紐とも見られるが、「裏紐」は上着の裏側に付けた紐、着物の前合わせをとめる紐とも解せるから、その実態はなかなか捉えにくい。さらに前合わせをとめるのなら実用的な紐になるが、そうとは思えない例も見える。「高麗錦(の)紐」のように舶来の高価な素材を用いたもの、赤や紫の紐の場合がそれである。

 「高麗錦(の)紐」は、七夕歌に用いられた例が典型だが、高貴さを意図した特別な意味合いがあるのだろう。一方、赤や紫の紐には呪術的な意味合いがつよく感じられる。古代においては、紫は色彩としては赤の範疇に属するとされた。赤は神的・霊的なものが依り憑いたしるしの色である。それゆえ、赤や紫の紐は、そこに封じ込められた魂の呪力のはたらきを示しているのだろう。ならば、これらは呪術的な目的を優先させたヒモになる。

~『万葉語誌』から抜粋引用

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