| 訓読 |
2357
朝戸出(あさとで)の君が足結(あゆひ)を濡らす露原(つゆはら) 早く起き出でつつ我(わ)れも裳裾(もすそ)濡らさな
2358
何せむに命をもとな長く欲(ほ)りせむ 生けりとも我(あ)が思ふ妹(いも)にやすく逢はなくに
2359
息の緒(を)に我(わ)れは思へど人目(ひとめ)多(おほ)みこそ 吹く風にあらばしばしば逢ふべきものを
2360
人の親(おや)処女児(をとめこ)据(す)ゑて守山辺(もるやまへ)から 朝(あさ)な朝(さ)な通ひし君が来(こ)ねば悲しも
| 意味 |
〈2357〉
朝、戸を出てお帰りになるあなたの足許を濡らす露の原。私も早起きして、あなたに連れ添って出て、裳裾を濡らしましょう。
〈2358〉
何だって、むやみにこの命が長く続いてほしいと願うものか。生きていても、私の愛するあの子にたやすく逢えないのだから。
〈2359〉
命がけで愛しているが、人の目が多くて思うように逢えない。もしも私が吹く風であったなら、たびたび逢えるものを。
〈2360〉
人の親が我が娘を大切に守るという守山のあたりを通って、毎朝のように通って来ていたあなたが来なくなって悲しい。
| 鑑賞 |
『柿本人麻呂歌集』から旋頭歌4首。2357の「朝戸出」は、朝に戸を開けて出る、つまり夫が妻の家を出て帰る意。「足結」は、袴の膝下のあたりをくくる紐のこと。「露原」は、露が降りた野原。「裳裾」は、女性が身につける下衣(スカート状の「裳」)の裾。「裳裾濡らさな」の原文「裳下閏奈」で、モノスソヌレナ、あるいはサ行音の連続を字余りの例外としてモノスソヌラサナと訓む立場もあります。「な」は、自身に対する願望。古代では、男が女の家を訪ねて行って、翌朝に出て行く「妻問い婚」が一般的で、その多くは周囲には秘密の関係でした。別れの朝、一夜を共にした女性が見送ります。しかし、戸口までだったら誰にも気づかれないけれど、一緒に外に出てしまうと、皆が気づいてしまう。街は噂でもちきりになって、二人の仲が引き裂かれることさえある。でも、やっぱり少しでも長く一緒にいたい。そこで、早起きをして途中まで見送り、一緒に露で裾を濡らしましょう、と言っています。斎藤茂吉は、「女の心の濃(こま)やかにまつわるいいところが出ている」と評しています。とても爽やかな印象を与える歌です。
2358の「何せむに」は、どうして、何のために。「もとな」は、いたずらに、むやみに。「長く欲りせむ」は、長く(生きたいと)望むこと。「やすく」は、たやすく。「逢はなく」は「逢はず」のク語法で名詞形。関係を結んでいる女の家へ行ったものの、母親などの妨げに遭って、逢えずに帰った後の詠歎の歌のようです。斎藤茂吉は、「この歌の中で、ヤスクアフという語に特徴があり、注意していい」と言っており、ヤスクにアフを続けた例は他にないといいます。
2359の「息の緒に」は、命がけで。イキは呼吸・息、ヲは紐のように長く続いているものを表します。「人目多みこそ」の「・・・を~み」は「・・・が~なので」の意。人目が多いので。「こそ」の下に「あれ」が略されています。「吹く風にあらば」は、もし自分が吹く風であったなら。「逢ふべきものを」の「〜べきものを」は、〜できるはずなのに(現実はできない)。強い未練や悔しさを表す結びです。人目が多いからという理由で女に逢いに来ない男の歌であり、このほかにも人目や世間の噂を恋の障害とする歌が数多くあるのは、この時代の男女関係は個人的であるのと同時に、より社会的なものだったことが背景にあるようです。家族があり、氏があり、さらに村という地域社会がある。そうした中にあっては、どんな相手かが重要であるのはもとより、きちんとした手続きを踏んで結婚することが求められていました。しかしながら、恋というものはいつも手続き通りに進むものではない。しばしば隠さなければならない時と場合があったことは想像に難くありません。しかし、そういう時こそ、すぐにばれてしまう・・・。
2360は、求婚し続けてくれていた男が来なくなったのを嘆いている女の歌。「人の親」は、母親。「人の」は、感を強めるために添えたもので、「人の子」と共に例の多い語です。「処女児」は、若い娘。ここでは作者自身を指します。「据ゑて」は、居させて。上2句は、守ると続けて「守山」を導く序詞。「守山」は、所在未詳。「朝な朝な」は、日々の意。「来ねば悲しも」は、来ないので悲しいことよ。3句目の「守山」という言葉には、物理的な山という意味以上に、親の監視という「越えがたい壁」のニュアンスが込められています。娘を箱入り娘として閉じ込め、悪い虫(男)がつかないように目を光らせる親の存在が、当時の恋愛における最大のハードルであったことが伺えます。それにもかかわらず、恋人はかつて毎日のように通い続けてくれていた。「朝な朝な」という繰り返しには、その時の幸福な記憶と、恋人の情熱への信頼が込められています。

かなし(悲し・愛し)
自分の力では如何ともしがたい情動が心に湧き起こってくる状態をいう語であり、その具体的な意味の領域は非常に広い。不可能を意味する補助動詞「かぬ」と同根であると言われる。「愛しい」「悲しい」という二つの意味で説明されることが多いが、その両者が混在する例も見られ、さらに具体的な心情を捉えようとすると、用例ごとに多彩な意味合いを見せる語である。抑えがたい情動として、カナシはやはり挽歌に用いられることが多い。
~『万葉語誌』から引用
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