| 訓読 |
2399
朱(あか)らひく膚(はだ)に触れずて寝たれども心を異(け)しく我が念(も)はなくに
2400
いで何かここだ甚(はなは)だ利心(とごころ)の失(う)するまで思ふ恋ゆゑにこそ
2401
恋(こ)ひ死なば恋ひも死ねとや我妹子(わぎもこ)が吾家(わぎへ)の門(かど)を過ぎて行くらむ
2402
妹(いも)があたり遠くも見れば怪しくも我(あ)れはそ恋ふる逢ふよしをなみ
2403
玉久世(たまくせ)の清き川原(かはら)に身禊(みそぎ)して斎(いは)ふ命(いのち)は妹(いも)がためこそ
| 意味 |
〈2399〉
今夜はお前の美しい肌にも触れずに一人寝したが、それでも決してお前以外の人を思っているわけではないからね。
〈2400〉
さあどうしてこんなにも激しく正気をなくすほどに思いつめるのか、それは恋のせいだろう。
〈2401〉
恋死(こいじに)をするなら勝手にどうぞというつもりで、おれの家の門を通り過ぎていくのか、あの恋しい女は。
〈2402〉
あの子の家のあたりを遠くに眺めるだけで、不思議なほど恋しくなってくる。逢うすべもないままに。
〈2403〉
美しいの久世川の清らかな川原でみそぎをして忌み慎む我が命は、みんな彼女のためなのだ。
| 鑑賞 |
『柿本人麻呂歌集』から「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」5首。2399の「朱らひく」は、赤い血潮がたぎる意で、血行がよく健康な肌のこと。ここは女性の白い肌に赤みのさした美しさを表現しています。「寝たれども」は、(一緒に)寝たけれども。「心を異しく」は、心が変わって、あだし心で。「思はなくに」は、思っているわけではない。男の歌として解しましたが、どちらの歌かは不明です。男の歌だとすると、同宿したにもかかわらず相手の女の肌に触れなかったことを弁解しており、女の歌だとすると、何らかの事情で男に断って言った形のものです。いずれの場合も理由ははっきりしませんが、あるいはこの時代、女性は神事に奉仕する場合が多く、その期間は男女関係を断つことになっていたといいますから、そのせいかもしれません。
2400の「いで」は、さあ、さて、どれ、の意の感動詞。「何か」は、どういうわけで。「ここだ」は、多量にの意の副詞。同じく副詞の「甚だ」と重ねて強調したもので、4句の「思ふ」に続きます。「利心」は、しっかりした心、正気。「恋ゆゑにこそ」の「こそ」は、強意の係助詞で、結びの言葉(ある、など)が省略されています。原文「戀故」で、コフラクユヘニ、コフラクノユヘ、コヒユヘニコソなどと訓むものもあります。自身のあまりの憔悴ぶりについて自嘲気味に自問自答している歌です。
2401の「恋ひ死なば恋ひも死ねとや」は、恋い死ぬなら恋死にせよというのであろうか。「恋い死ぬ」は『万葉集』に頻出する表現で、それほどまでに激しく想い悩むこと。「恋ひも死ねとや」の「も」は強調、「とや」は疑問・反語(〜というのか、いやはや)。二句切れで、ここでいったん意味が切れます。「過ぎて行くらむ」の「らむ」は、現在推量。ここでは自分の家の前を通り過ぎて行くのは意中の女性であり、普通なら妻問いする男が通り過ぎて行くのを女性が嘆くというのが類型ですが、この歌はその逆になっています。珍しい歌であり、一種の諧謔歌でありましょうか。
2402の「妹があたり」は、愛する女性の家の界隈。「怪しくも」は、不思議なまでに。「我れはそ恋ふる」の「ぞ」は強意の係助詞。結びの「恋ふる」は連体形(係結び)。(他でもない)この私は、これほどまでに恋い焦がれているのだ」という強い自意識。なお、原文「吾戀」で、ワレハコフルカ、ワレハコフレド、ワレハコフラクなどと訓むものもあります。「逢ふよしをなみ」は、逢う方法がないので。「~を~み」は「~が~ので」と理由を表すミ語法。なお、『万葉集』の雑歌や相聞歌の中にも国見的望郷歌の発想によって作られたものが多いといわれます。国見的望郷歌とは「妹があたり」「家のあたり」「君があたり」を「見る」ことを発想の型としたものであり、巻第1-83、巻第2-91、巻第10-2026などの歌がその例にあげられています。この歌も同様であるとされます。
2403の「玉久世」の「玉」は美称で、久世川のこと。久世川は、京都府の久世の地を流れる木津川。久世は2362の歌でも歌われており、渡来系の人も住んでいた高度な文化地帯だったとされます。「身禊して」は、流れる水で身を清めて。「斎ふ命は」は、忌み慎み無事を願う我が命は。ここでの命は、単なる生物的な寿命だけでなく、「愛する人を想い続けるための魂」そのものを指します。久世の地を訪れた旅人が、清らかな久世川の河原を見て、妻を思う心から我が身を無事に保とうと思い、その河原で身禊をしようという歌です。

略体歌について
『万葉集』に収められている『柿本人麻呂歌集』の歌は360首余ありますが、そのうち210首が「略体歌」、残り150首が「非略体歌」となっています。「非略体歌」とは、「乃(の)」や「之(が)」などの助詞が書き記されているスタイルのものをいい、助詞などを書き添えていないものを「略体歌」といいます。
たとえば巻第11-2453の歌「春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ」の原文は「春楊葛山発雲立座妹念」で、わずか10文字という、『万葉集』の中でも最少の字数で表されており、上の2402の歌も「妹當遠見者恠吾戀相依無」という11文字の表記となっています。
このような略体表記の歌の贈答(相聞往来)が実際になされたとすると、お互いに誤読や誤解釈のリスクがあったはずです。その心配がなかったとすれば、男女双方の教養が、同化して一体のレベルにあり、省略した表記を、双方が十分理解できていたことになります。一方で、秘密の書簡往来を行っていた証で、他者からの読解を防いでいたということなのかも知れません。後で人麻呂が歌を編集したときのの独特な表記方法だとみる解釈があるものの、非略体表記も存在しているので、説得力に乏しく、略体歌の存在は今も謎となっています。
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