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巻第11(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第11-2414~2418

訓読

2414
恋(こ)ふること慰めかねて出(い)で行けば山も川をも知らず来にけり
2415
娘子(をとめ)らを袖布留山(そでふるやま)の瑞垣(みづかき)の久しき時ゆ思ひけり吾等(あれ)は
2416
ちはやぶる神の持たせる命をば誰(た)がためにかも長く欲(ほ)りせむ
2417
石上(いそのかみ)布留(ふる)の神杉(かむすぎ)神(かむ)さびて恋をもわれは更(さら)にするかも
2418
いかならむ名(な)負(お)ふ神にし手向(たむ)けせば我(あ)が思(も)ふ妹(いも)を夢(いめ)にだに見む

意味

〈2414〉
 恋の切なさを慰めかねて飛び出して来たので、どこが山やら川やらも分からずに、いつの間にか来たことであるよ。
〈2415〉
 乙女が袖を振るという布留の山の神聖な瑞垣のように、久しい以前からずっと思って来たよ、私たちは。
〈2416〉
 神様があたえてくださった命を、いったい誰のために長くあれと願ったりしようか。
〈2417〉
 石上の布留の神杉のように、年齢を重ねてはいても、また私は恋をするかもしれない。
〈2418〉
 どのような名で、霊験あらたかだと評判の神様にお供えをしてお願いすれば、私が思っている子を、夢の中にだけでも見られようか。

鑑賞

 『柿本人麻呂歌集』から5首。2414は「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「慰めかねて」は、単純に「慰めかねて」の意のほかに、気が鎮まらなくて、気が晴れなくて、じっとしていられなくて、などの焦燥、切実さを含んだニュアンスの言葉と見られます。「来にけり」の「けり」は、気づいた時には、すでにそうなっていた、という驚きを伴う発見のニュアンスが含まれます。男が妻の許へ行き、訴えの心をもっていっている歌とされ、こうした歌にありがちな、自身の苦労や困難を誇張して言うのではなく、「山も川をも知らず」とむしろ反対のことを言っている例は珍しいとされます。窪田空穂は、「その言い方のさっぱりしているのが魅力となっている」と述べています。

 2415~2418は「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。『万葉集』における相聞歌の「正述心緒歌」「譬喩歌」「寄物陳思」の3種類の表現方法のうち、「正述心緒」は直接に恋心を表白するのに対し、「譬喩歌」は物の表現に終始して、主題である恋心を背後に隠す方法、そして「寄物陳思歌」は、両者の中間にあって、物に託しながら恋の思いを訴える形の歌です。

 
2415の「娘子らを」の 「ら」は複数形ではなく、親愛の情を込めた接尾辞、あるいは対象をぼかす表現。ここでは特定の愛する女性を指します。「娘子らを袖」は「布留」を、また上3句は「久しき」を導く序詞で、大きな序詞の中にさらに別の序詞が含まれている形になっています。「布留山」は、奈良県天理市にある石上神社の背後の山。「瑞垣」は、瑞々しい垣の意で、垣根を讃えての称。「久しき時ゆ」の「ゆ」は、起点・経過点を示す格助詞で、久しい以前から。「思ひけり吾等は」は、句中に単独母音アを含む8音の字余り句。「吾等」は我々の意で、男性集団の共感の世界を表現しています。この歌は、巻第4-501にある「娘子らが袖布留山の瑞垣の久しき時ゆ思ひき我は」の人麻呂作の歌と、初句と結句がわずかに異なっています。ここの歌の方が語使いが古いので原形とされます。

 この歌のポイントは、「地理的な具体性」と「時間の永続性」を重ね合わせている点にあります。上3句は、単なる序詞というより、「布留山の瑞垣」という、古くからそこにある動かしがたい存在を持ち出すことで、自分の恋心が昨日今日始まった軽いものではないという重みを表現しています。「袖を振る」という動作は、当時の万葉人にとって愛情表現や魂を呼び寄せる行為(魂振り)でした。動的な「振る」という言葉が含まれる地名(布留山)を出しつつ、実際には静的で堅固な「瑞垣」を登場させることで、揺れ動く感情と、決して変わらない決意の対比が生まれています。通常であれば「吾等は~思ひけり」となるところを、あえて後ろに「吾等は」と置くことで、詠み手の顔が最後に浮かび上がるような構成になっています。「ずっと想ってきたんだ、この私がね」という、少し誇らしげで、かつ切実な独白のニュアンスが強調されています。

 
2416の「ちはやぶる」は、勢いの激しく強暴な意で「神」に掛かる枕詞。「神の持たせる」は、神が司っている意。「命をば」の「をば」は 「を」を強調した形。「〜を、こともあろうに」といった、強い感情がこもった強調。「誰がためにかも」の「かも」は反語で、誰のために〜だろうか、いや誰のためでもない。「長く欲りせむ」は、長くあってほしいと願うだろうか。窪田空穂は、「妹に対して献身的な愛を誓った歌である。『神の持たせる命』と信じながら、それにもかかわらず長くと思うのは、一に妹のためであって、妹のためには非望の願いをもしているというのである」と述べていますが、一方で、「相手の人に対して、反撥的な言い方をしている。もう希望も何も無いという思想である」との説明もあります。

 
2417の「石上布留の神杉」は、石上神社にそびえ立つ、古く神聖な杉の木のこと。石上神宮は『日本書紀』にも登場する最古の神社の一つで、今も神木の杉が境内にそびえています。上2句は「神さびて」を導く序詞。ここの「神さびて」は、古いこの年齢になって、の意。原文「神成」で、カムサブル、カムサビシ、カムビニシなどと訓むものもあります。「更にするかも」は、新たにすることに対しての詠嘆。年をとって枯れるどころか、さらに恋心が募り、初心に帰ったように恋い焦がれる様子を表します。窪田空穂は、「若い時に関係があったが、その後はずっと絶えてしまっていた女と、年を経て、何らかの機会から再び関係することになった人が、自身を客観視して、感慨をもつていった心である」と述べています。

 
2418の「いかならむ名負ふ神に」は、いったいどういう名で霊験あらたかだと有名になっている神に、の意。特定の神を指すのではなく、願いを叶えてくれる神を必死に探している様子がうかがえます。「にし」は 強調の助詞で、〜であればこそ、〜にこそというニュアンスを含みます。「手向け」は、神仏に物を捧げること。「夢にだに」は、夢にだけでも。当時の人々は、相手が自分を強く想っているときにその人が夢に現れると信じていましたが、ここでは自ら神に祈ってでも逢いたいという能動的な姿勢が示されています。佐佐木信綱は、「既に多くの神々に祈った末であることがわかる。また、『夢だにも』と最小限度を求めているのは、現に逢うことを願ったが、かなえられなかったことを物語っている。逢瀬の難しさを喞った痛切な歌である」と述べています。
 


『万葉集』の字余り句

 和歌(短歌)は、5・7・5・7・7の31文字を定型としますが、5文字が6文字に、7文字が8文字に超過する句がある場合は「字余り」と呼ばれます。近代以降の和歌にも字余りを詠みこむ例がありますが、それらの字余りに特段の法則があるわけではありません。しかし、『万葉集』など古代の字余りには一定の法則が認められ、それを発見したのは、江戸時代後期の国学者、本居宣長です。すなわち、句中に「あ・い・う・え・お」のいずれかの単独母音を含むと字余りをきたすというものです。上2415の歌でいえば、結句の途中に母音アを含む8文字の字余りになっています。この場合、アが準不足音句になるので、7音節と見るのです。

 もっとも、句中に母音音句を含めば、すべてが字余りになるかというとそうではなく、非字余りの句も存在します。また、従来、母音音句を含まず字余りで訓まれてきたものを、諸氏の本文批判や訓法によって5・7文字に改訓されてきた中にあって、母音音句を含まずに字余りと認められるものも僅かながら存在しています。

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石上神宮

 奈良県天理市布留にある、もと官幣大社。「記紀」の神武天皇東征神話に登場する布留御魂(ふつのみたま:布都御魂とも書く) 剣を祀っています。国家鎮護神または氏神として、物部氏 (のちの石上氏) が代々祭祀にあたりました。垂仁天皇の御代に剣 1000振りを奉納するなど、武器に関する伝承が多くあり、これは大和朝廷の軍事を担当したという物部氏の氏神であったためとされます。嘉祥3 年(850 年)に正三位、貞観9年((867 年)に正一位の神階を授与され、大和随一の神社で22社の一つでもあります。社宝には、日本最古の銘文をもつ国宝の七支刀(しちしとう) などがあり、拝殿 の後方の禁足地からは、長期にわたる祭祀遺跡が発掘されました。
 

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