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巻第11(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第11-2424~2428

訓読

2424
紐鏡(ひもかがみ)能登香(のとか)の山も誰(た)がゆゑか君来ませるに紐(ひも)解かず寝(ね)む
2425
山科(やましな)の木幡(こはた)の山を馬はあれど徒歩(かち)ゆ吾(あ)が来(こ)し汝(な)を念(おも)ひかね
2426
遠山(とほやま)に霞(かすみ)たなびきいや遠(とほ)に妹(いも)が目(め)見ねば我(あ)れ恋ひにけり
2427
宇治川(うぢがは)の瀬々(せぜ)のしき波しくしくに妹(いも)は心に乗りにけるかも
2428
ちはや人(ひと)宇治(うぢ)の渡りの瀬を早み逢はずこそあれ後(のち)も我(わ)が妻

意味

〈2424〉
 能登香の山の名のように、いったいほかの誰のせいで、あなた様がいらしたのに紐も解かずに寝ることでしょうか、そのようなことはありません。
〈2425〉
 山科の木幡の山道を徒歩でやって来た。おれは馬を持ってはいるが、お前を思う思いに堪えかねて歩いてきたのだ。
〈2426〉
 遠くの山に霞がたなびいて山が遠く見えるように、妻がますます遠く思われ、逢えないので恋しさが募るばかりだ。
〈2427〉
 宇治川の瀬々に繰り返し寄せてくる波のように、妻はしきりに私の心に押し寄せてくる。
〈2428〉
 宇治川の渡し場の流れが早いので、今は逢えないでいるが、後には私の妻になる人なのだ。

鑑賞

 『柿本人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首。2424の「紐鏡」は、裏側のつまみに紐のついた鏡で、その紐を解くなの意のナトキと続き、その類音の「能登香」にかかる枕詞。「能登香の山」は、岡山県津山市の東方にある二子山とされます。上2句は結句の「紐解かず」を導く序詞で、「能登香」と「解かず」の類似の音を結びつけています。「誰がゆゑか」は、あなた以外の誰ゆえに。「君来ませるに」は、あなたがいらっしゃったのに。「紐解かず寝む」は、下紐を解かずに寝ようか、つまり共寝をしないだろうか、する、の意。能登香の山のほとりに住む女が、夫の通ってきた時に詠んだ形の歌で、この歌も人麻呂の興味から詠んだものとされます。

 
2425の「山科の木幡」は、京都府宇治市木幡。「徒歩ゆ吾が来し」は、徒歩で私は来た。「汝を念ひかね」は、汝を思うに堪えかねて。馬で来るほうが早く着けるのだが、馬の用意をする暇もまどろっこしくて、取るものも取りあえず、すぐに歩いてきた、と言っています。斎藤茂吉は、「女にむかっていう語として、親しみがあっていい」と評しています。一方、窪田空穂は、「誇張というよりもむしろ媚びて、機嫌取りのためにいっている」のが明らかであり、「普通の夫婦関係の歌とは思われない。木幡の里にいる魅力多い遊行婦を相手にいったもののようである」と述べています。木幡は、古くから遊行婦がいた地とされます。なお、別の解釈として、馬の足音によって露見するのを恐れて徒歩で来た、あるいは、馬で来てもし途中で馬がつまづきでもしたら引き返さなくてはならないので徒歩で来た、などとするものもあります。

 
2426の上2句は「いや遠に」を導く譬喩式序詞。「いや遠に」は、ますます遠く。物理的な距離だけでなく、心理的な疎遠さや、時間の経過による「逢えなさ」の強調です。「妹が目見ねば」は、愛する妻の姿を見ないので。「見ねば」の原文「不見」で、ミズテと訓むものもあります。「我れ恋ひにけり」の「けり」は、気づきの詠嘆。原文「吾戀」で、ワガコフルカモ、ワ(ア)ハコフルカモなどと訓むものもあります。官人として旅に出ていて妻を思う歌とされます。序詞にある「霞」は景色を美しく見せる一方で、その先にあるものを隠してしまいます。作者は、たなびく霞によって遠山が見え隠れする様子を、なかなか会うことのできない「妹」の存在と重ねています。見えそうで見えない、届きそうで届かないもどかしさが、この序詞によって視覚化されています。

 
2427の「宇治川」は、琵琶湖から流れ出る瀬田川の、京都府内での名。「瀬々のしき波」は、浅瀬のあちこちにしきりに寄せて来る波。上2句は「しくしくに」を導く同音反復式序詞。「しくしくに」は、しきりに。「心に乗りにけるかも」の「心に乗る」は、心に浮かぶだけでなく、心がそのことで占領される、心に深く入り込む、という強いニュアンス。「けるかも」は、〜してしまったのだなあ。自分の意志ではコントロールできないほど、自然に(あるいは圧倒的な力で)そうなってしまったという驚きと詠嘆。旅人として宇治川のほとりにに立っての歌で、しき波の様子を見て妹を思う心を連想しており、激しい川の流れのイメージが、恋の激しさと見事にリンクしています。

 
2428の「ちはや人」は、「宇治」にかかる枕詞。「ちはや人」は、勇猛で霊威のある人の意で、ウチ(霊威)の意を感じ取って同義的枕詞としてかけたのではないかとされます。「宇治の渡りの瀬を早み」は、実景であるとともに、二人の間にあるままならない障害の比喩。「~を~み」は「~が~ので」と理由を表すミ語法。「瀬を早み」の原文「速瀬」で、傾倒せずにハヤキセニと訓むものもあります。「逢はずこそあれ」は、(今は)逢わないでいるけれど。この地に住む男の歌で、女との仲に障害が多く、今は逢わずにいるけれど将来は必ず我が妻にしようと誓っています。宇治川の激しい流れを「今の会えない状況」と「未来への強い約束」へと昇華させた、非常に力強く、男性的な一首です。
 


『柿本人麻呂歌集』について

 『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『人麻呂歌集』から採ったという歌が375首あります。『人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。

 この歌集から『万葉集』に収録された歌は、全部で9つの巻にわたっています(巻第2に1首、巻第3に1首、巻第7に56首、巻第9に49首、巻第10に68首、巻第11に163首、巻第12に29首、巻第13に3首、巻第14に5首。中には重複歌あり)。

 ただし、それらの中には女性の歌や明らかに別人の作、伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではないようです。題詞もなく作者名も記されていない歌がほとんどなので、それらのどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかのかの区別ができず、おそらく永久に解決できないだろうとされています。

 文学者の中西進氏は、人麻呂はその存命中に歌のノートを持っており、行幸に従った折の自作や他作をメモしたり、土地土地の庶民の歌、また個人的な生活や旅行のなかで詠じたり聞いたりした歌を記録したのだろうと述べています。

 また詩人の大岡信は、これらの歌がおしなべて上質であり、仮に民謡的性格が明らかな作であっても、実に芸術的表現になっているところから、人麻呂の関与を思わせずにおかない、彼自身が自由にそれらに手を加えたことも十分考えられると述べています。 

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