| 訓読 |
2434
荒礒(ありそ)越(こ)し外(ほか)行く波の外心(ほかごころ)我(あ)れは思はじ恋ひて死ぬとも
2435
近江(あふみ)の海(うみ)沖(おき)つ白波(しらなみ)知らずとも妹(いも)がりといはば七日(なぬか)越え来(こ)む
2436
大船(おほふね)の香取(かとり)の海に碇(いかり)おろし如何(いか)なる人か物念(ものおも)はざらむ
2437
沖(おき)つ裳(も)を隠(かく)さふ波の五百重波(いひへなみ)千重(ちへ)しくしくに恋ひ渡るかも
2438
人言(ひとごと)はしましぞ我妹(わぎも)綱手(つなて)引く海ゆまさりて深くしぞ思ふ
| 意味 |
〈2434〉
荒礒を越えてよそに向かう波のように私は心を移したりしない。たとえ恋に焦がれて死んでしまおうとも。
〈2435〉
近江の海の沖の白波ではないが、知らない道ではあるけれど、何日かかっても妻のもとへやって来るとも。
〈2436〉
大船が香取の海に碇を下ろすというではないが、この世のいかなる人が物思いをせずにいられようか。
〈2437〉
沖の藻を隠している波が幾重にも押し寄せるように、幾重にもしきりに恋し続けている。
〈2438〉
人の噂はいっときのことだ、わが妻よ。小舟の綱を引いて渡る海の深さよりもっと、あなたへの思いは深いのだ。
| 鑑賞 |
『柿本人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首。2434の「荒磯」はアライソの約で、岩が現れている海岸。上2句は「外心」を導く同音反復式序詞で、比喩的にも緊密な関係を持っています。「外心」は、他人を思う心、浮気心。「外行く波」と「外心」の「ほか」という音を重ねることで、自分から離れていってしまう波の冷たさと、心変わりの冷淡さを結びつけています。「恋ひて死ぬとも」は、
恋い焦がれて死ぬことになっても。「とも」は逆接の仮定条件で、「たとえ命が尽きようとも、この操は変えない」という極限の誓いです。波は寄せては遠ざかる気まぐれなものですが、作者は「自分はあの波とは違うのだ」と強く主張しています。
2435の上2句は「知らず」を導く同音反復式序詞。「知らずとも」は、上掲の解釈とは別に、妹の心は知られないけれどもで、逢うか逢わないか不明な意と解する説もあります。原文「雖不知」で、シラネドモと訓むものもあります。「妹がり」の「がり」は、~のもとに。「七日」は、日数の多いこと。「七日越え来む」の原文「七日越来」で、ナノカコエキヌと訓むものもあります。「近江(あふみ)」という地名には、伝統的に「逢ふ」という言葉が響きとして隠されています。「逢うための海(近江)」であるからこそ、そこに困難があっても、「逢いたい」という情熱を燃え上がらせる役割を果たしています。
2436の「大船の」は、楫取と続け、「香取」に転じてかかる枕詞。「大船の香取の海に碇おろし」は、「いかり」から「如何なる」に続く同音反復式序詞。「香取の海」は、琵琶湖の香取の浦。「如何なる人か物念はざらむ」は、どのような人なら、物思いをしないでいられるだろうか。反語表現であり、誰もが(私のように)物思いに沈んでしまうだろうという強い共感と自問を誘います。「物念はざらむ」の原文「物不念有」で、「有」の字があるのを重視し、モノオモハズアラムと訓むものもあります。個人の嘆きを、大船や広大な湖といった大きな風景に投影することで、歌に格調高い風格が備わっています。
2437の「沖つ藻」は、沖に生えている藻。「隠さふ」は「隠す」の連続で、隠し続けている。「五百重波」は、幾重にも重なって寄せる波。上3句は「千重しくしくに」を導く譬喩式序詞。「しくしくに」は、あとからあとから続いて。「恋ひ渡るかも」の「かも」は詠嘆で、恋い続けていることだ。詩人の大岡信は、「歌の中に現れる藻や波のイメージの生動感、調べの大らかさ、『恋ひ渡るかも』という結句のもっている切なさと悠久の感じ、いずれも人麻呂でなければかもし出しえない独特な情緒の作」と評しています。
2438の「人言」は、人の噂。「しましぞ」は、しばらくの間のものであるぞ。「綱手」は、陸から船を引く綱。「海ゆまさりて」は、海(の深さ)よりもまさって。「深くしぞ思ふ」は、(これ以上ないほど)深く想っているのだ。係助詞「し」と「ぞ」を重ねることで、決意の強さを最大限に強調しています。世間の噂という外的な圧力と、自分の内なる愛の深さを鮮やかに比較した一首であり、外からの雑音を一瞬の出来事として切り捨てる、作者の精神的な強さが感じられます。

滋賀県(近江国)について
いまの志賀県、むかしの近江国にはこの国の総面積の6分の1を占める琵琶湖(当時は、淡海の海、近江の海)がある。大湖をかこんで一国をなしているから、近江から近江の海をきりはなすことはできない。また湖の東西は、鈴鹿を越えて東海道方面へ、不破(ふわ)を越えて東山道方面へ、愛発(あらち)を越えて北陸道方面へと交通の要路であり、この要衝をおさえて湖畔大津に天智天皇の大津宮が経営され、壬申の大乱もこの国を主舞台として展開した。したがって万葉の故地も大阪府についで多く、歌・題詞・左註にわたり総延数約150におよんでいる。
近江の万葉の故地はおよそ4つのグループにわかれる。一は近江の海で、湖名「あふみのうみ」だけでも15をかぞえる。海のない大和人にとっては、大湖はおどろきであるばかりでなく、湖の特異な風土色はなによりも抒情のたねとなる。二は湖畔大津宮関係のもので、近江万葉故地の中心となっている。古く景行朝の志賀高穴穂(しがのたかあなほ)宮(大津市坂本穴太町)は歴史のかなたで万葉に関係なく、聖武期の紫香楽(しがらき)宮(甲賀郡信楽町)、淳仁・称徳朝の保良(ほら)宮(大津市石山寺付近)のときには万葉の故地をのこしていない。三は湖西・湖北の諸地で水陸ともに交通路上の旅の抒情のあとがつづいている。四の湖東は天智朝のときの遊猟地蒲生野(かまふの)のほかにも栗太郡からいまの米原方面にかけて若干の故地の散在が見られる。
概して静寂な湖畔だが、北と南では気候風土がずいぶんちがうから、歌もまたそれに応じたちがいを見せている。柿本人麻呂や高市黒人の秀歌も湖畔の風土をはなれたものではない。
~『万葉の旅・中』犬養孝著/平凡社から引用
【PR】
|
古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |