| 訓読 |
2439
近江(あふみ)の海(うみ)沖つ島山(しまやま)奥(おく)まけて我(あ)が思ふ妹(いも)が言(こと)の繁(しげ)けく
2440
近江(あふみ)の海(うみ)沖(おき)漕(こ)ぐ舟の碇(いかり)下ろし蔵(をさ)めて君が言(こと)待つ我(わ)れぞ
2441
隠(こも)り沼(ぬ)の下(した)ゆ恋ふればすべをなみ妹が名(な)告(の)りつ忌(い)むべきものを
2442
大土(おほつち)は取り尽(つ)くすとも世の中の尽くしえぬものは恋にしありけり
2443
隠(こも)りどの沢泉(さはいづみ)なる石根(いはね)ゆも通りてぞ思ふ我(あ)が恋ふらくは
| 意味 |
〈2439〉
近江の海の沖の島のように、心の奥から思い定めている彼女には、浮いた噂が絶えないことだ。
〈2440〉
近江の海の沖を漕ぐ舟がいかりを降ろして静まるように、私は思いを鎮めてあなたのお言葉をお待ちしています。
〈2441〉
外からは見えない隠れ沼の水底を流れる水のように、ひそかに恋い慕っていると、どうしようもなくて、あの娘の名前を口にしてしまった。いけないことなのに。
〈2442〉
大地の土なら取り尽くせることはあっても、どうにも取り尽くすことができないもの、それは恋であった。
〈2443〉
人目につかない谷間の激流に根を張った大岩、その大岩をも貫き通さんばかりの思いだ、私のこの恋心は。
| 鑑賞 |
『柿本人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首。2439の「近江の海」は、琵琶湖。「沖つ島山」は、近江八幡市の北、湖岸から約1.5kmにある沖の島か。上2句は、オキとオクの類音で「奥」を導く序詞。「奥まけて」は、心を深めて。ここのにみ見える語で、(将来の)奥深くまで見据えて、ずっと先の将来まで予定してという、長期的な覚悟を示すものとも言い、二人の遠い未来までを包み込もうとする包容力が感じられる語です。「言の繁けく」の「繁けく」は「繁し」のク語法で名詞形。世間の噂が激しいことだ。琵琶湖の視覚的な奥行きを「心の深奥」と「世間の騒がしさ」に重ね合わせた、構成美の光る一首です。
2440の上3句は「蔵めて」を導く譬喩式序詞。「蔵めて」の原文「蔵公之」で、コモリテ、カクリテ、シノビテなどと訓む説がありますが、心を鎮めて、じっと忍んで、の意。「君が言待つ」は、あなたからの(愛の)言葉を待つ。ただ待つのではなく、身動き一つせず、神経を研ぎ澄ませて待っている様子です。「我れぞ」は、(他ならぬ)私なのです」。「ぞ」による強意が、待つ主体の揺るぎなさを強調しています。自らの動きを止めてたのは、決して愛が冷めたのではなく、自分から動く段階から、相手を受け止める揺るぎない確信の段階へと深化していることを示しています。とくに「蔵めて」の言葉からは、自分の情熱や焦燥を心の奥底に大切にしまい込み、静寂の中で相手の声を聞こうとする、精神的な「整え」を感じられます。
2441の「隠り沼の」は、流れ口がなく淀んでいる沼の人目につかない意で「下」にかかる枕詞。「下ゆ」の「ゆ」は、起点・経過点を示す格助詞。「すべをなみ」は、どうしようもないので。「妹が名告りつ」は、妹の名を口に出してしまった。「つ」は、完了の助動詞。「忌むべきものを」は、慎まなければならない、口にしてはいけないものなのに。原文「忌物矣」で、ユユシキモノヲと訓むものもあります。現代の感覚とは異なり、万葉時代において「名前を明かす」ことは、その人の魂をさらけ出すことと同義であり、非常に重大な意味を持っていました。特に男女の仲で名前を明かすことは、魂を相手に預ける、あるいは深い関係であることを公認させる行為でした。この歌では「忌むべきものを」とあるように、何らかの理由(身分差、あるいは既に相手が他人の妻であるなど)で、決して表沙汰にしてはいけない恋であったことが窺えます。
2442の「大土」は、大地の土。「取り尽すとも」の原文「採雖盡」で、トリツクサメド、トラバツキメド、トレバツキメドなどと訓むものもあります。不可能を想像して言ったものですが、「大土」の語は珍しく、集中ほかに1例(巻第13-3344)あるのみです。「尽くしえぬ」は、尽くすことができない。「え〜ず」で不可能を表します。「恋にしありけり」の「し」は、強意の副助詞。「けり」は、詠嘆。恋のエネルギーの果てしなさ、感情の無限性を、広大なスケールで詠み上げた一首です。また、「土」という具体的で手触りのある物質を比較対象に出すことで、形のない「恋」という感情の質量を際立たせる手法は、現代の短歌や歌詞にも通じる非常にモダンな感性と言えるでしょう。
2443の「隠りど」は、岩や木の陰になって人目につかない場所。「沢泉」は、渓流に湧き出る泉。「石根」の「根」は接尾語で、岩のこと。「石根ゆも」の「ゆ」は、起点・経過点を示す格助詞。原文「石根」で、イハネヲモ、イハガネモなどと訓むものもあります。「通りてぞ思ふ」は、(その大岩を)突き通すほどに思う。原文「通念」で、トホシテオモフ、トホシテゾオモフなどと訓むものもあります。「恋ふらく」は「恋ふ」のク語法で名詞形。この歌の眼目は、岩と水の対比にあります。堅牢で動かしがたい岩は、恋を阻む障害や、相手のつれなさの象徴かもしれません。しかし、一滴一滴の水が長い年月をかけて岩を穿ち、隙間を縫って流れ出るように、「私の恋心はどんな困難も突き抜けていくのだ」という強い意志が表現されています。

ク語法とは
用言(動詞や形容詞)の語尾に「く(らく)」を付けて、全体を名詞のように扱う表現のこと。主に古典日本語に見られ、「~すること」「~ところ」「~もの」といった意味を表します。「言はく」「語らく」「老ゆらく」「悲しけく」「散らまく」などがその例で、現代語においても「思わく(思惑は当て字)」「体たらく」「老いらく」などの語が残っています。
ク語法は、中国の漢文を日本語として読む際、名詞節を構成するために重宝されました。荘重で改まった響きを持つため、格調高い歌や祝詞(のりと)などにも多く見られます。名詞化することで、自分の感情を客観的に提示し、それを強調する効果があります。言わば、言葉を「動詞(動くもの)」のままにせず、一瞬止めて「名詞(形あるもの)」として差し出すようなイメージです。
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