| 訓読 |
2444
白真弓(しらまゆみ)石辺(いそへ)の山の常磐(ときは)なる命(いのち)なれやも恋ひつつ居(を)らむ
2445
近江(あふみ)の海(うみ)沈(しづ)く白玉(しらたま)知らずして恋ひせしよりは今こそまされ
2446
白玉(しらたま)を巻(ま)きてぞ持てる今よりは我(わ)が玉にせむ知れる時だに
2447
白玉(しらたま)を手に巻(ま)きしより忘れじと思ひけらくは何か終(をは)らむ
2448
ぬば玉の間(あひだ)開けつつ貫(ぬ)ける緒(を)もくくり寄すれば後(のち)も逢ふものを
| 意味 |
〈2444〉
石辺の山の大岩のようにこの命は永久不変ではないのに、あなたに逢えないままいつまで恋続けている気なのか。
〈2445〉
近江の海の底に沈んでいる白玉のように、よく知らないで恋い焦がれていた時より、関係を結んだ今の方がより恋しくなったことよ。
〈2446〉
白玉を腕に巻いている。今からは、私だけの玉にしよう。せめて二人の仲がこうして明らかになった(あるいは深く知り合えた)今この時からだけでも。
〈2447〉
白玉を腕に巻いた時から、この玉のことを決して忘れまいと思ったことは、どうして終わることがあろうか、ありはしない。
〈2448〉
ぬば玉を一つ一つ間を開けながら通した紐であっても、くくり寄せれば、またあとで一つに結び合わさるのに。
| 鑑賞 |
『柿本人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首。2444の「白真弓」は、弓を射るの射を「石辺」の「い」にかけた枕詞。あるいは弓の両端の部分を「いそ(弭)」と呼ぶことから、「石辺」の「いそ」にかけたもの。「石辺の山」は未詳ながら。志賀県甲賀郡石部町の磯辺山かといわれます。上2句は「常磐」を導く譬喩式序詞。「常盤」は、常に変わらない岩、転じて永久不変の意。「命なれやも」の「や」は係助詞で、反語となっているもの。「居らむ」は、その結びで連体形。恋しく思いながら逢えずにいる自分の状態について、いつまでも生きるつもりなのかと、自らを責めている歌であり、終わりのない恋の苦しみへの嘆きを詠んでいます。人間の命の有限性と、それとは対照的な「永遠の恋」という残酷な構図が浮かび上がる一首です。
2445の「沈く」は、シヅムが水中に没する意であるのと異なり、シヅクは水の底に沈み着く意。「白玉」は、真珠のことで、ここでは深く隠されていて容易には見えないもの(相手の深い内面や、まだ手に入らぬ貴重な存在)の比喩であり、女の比喩でもあります。上2句は「知らず」を導く同音反復式序詞。「恋ひせしよりは」の原文「從戀者」で、コヒニケルヨハ、コヒニシヨリハ、コヒツルヨリハなどと訓むものもあります。「今こそまされ」は、今こそ恋しさが増した。「こそ」は強調の係助詞で、「まされ」が結びの已然形。結婚後に男が女に贈った歌とされ、多くの恋は、正体がわからない時の方が理想化されて美しく見えるものですが、この歌の作者は「知れば知るほど、想いが強くなる」と詠んでいます。
2446の上2句は、今まで持つことのできなかった白玉を今自分の腕に巻いて持っているという喜びの表現で、女と共寝したことの譬え。「知れる時だに」は、知られた今だからこそ、せめて。または、その存在を知った時からでも。女の存在を知ると同時に関係を結んだ歓喜の歌であり、このように昂奮に任せて手放しの物言いのできた相手は、遊行女婦だったかもしれません。あるいは、親の監視が厳しくて我が物と定め得ない女と共寝している時の感慨の歌とする見方もあります。それだと、「世間に知られたなら、それでもいい。むしろ堂々と自分のものにしよう」という、吹っ切れたような潔さと覚悟が感じられます。
2447の「白玉を手に巻きしより」は、白玉の喩えである女性と逢い、共寝をした時から、の意。「忘れじと思ひけらくは」は、忘れまいと思ったことは。「〜けらく」は、過去の助動詞「けり」のク語法。原文「不忘念」で、ワスレジトオモヒシコトハと訓むものもあります。「何か終らむ」の「何か」は反語で、どうして終わることがあろうか、ありはしない、の意。原文「何畢」で、イツカオハラムと詠み、いつ終わりがあろうか、と解するものもあります。前歌で、白玉(愛する人)を自分のものにすると宣言した決意を、さらに永遠の誓いへと昇華させた一首です。
2448の「ぬば玉」は、ヒオウギの実で、真っ黒な玉。枕詞として多く用いられますが、ここは実物で、玉として扱っています。「間開けつつ貫ける緒」は、玉と玉との間を離しながら貫いた緒。疎遠になっている状態、あるいは心が離れている状態の比喩となっています。「くくり寄すれば」は、一つに束ねてくくり寄せると。努力して二人の仲を近づけようとすれば、の比喩。「逢ふものを」は、逢えるはずなのに(どうして嘆くのか)。「ものを」には、現状へのもどかしさや、確信を含んだ逆接的なニュアンスが含まれます。「ぬば玉」を自分たち、「間開けつつ」は現在の状態の比喩で、今は障害があっても、やがては一緒になれることを訴えている歌です。「ぬば玉の緒」というのは、他に例を見ない珍しい取材となっています。

「いろは歌」の作者
「いろは歌」は、「いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす」と読み、仮名47文字を重複させずにすべて使って作られた七五調の歌です。いつの時代の誰が作ったものは不明ですが、天才的才能の持ち主による作であることは間違いありません。そして、その作者は柿本人麻呂だとする説があります(他には空海や源高明とする説など)。
さらに「いろは歌」には、人麻呂の残した暗号が含まれている、とも。五七ではなく七文字ごとに区切って書き、区切りの最後の文字を読むと(下記の赤字)、「とか(が)なくてしす(咎無くて死す)」となり、さらに同じく五文字目を続けて読むと(下記の太字)、「ほをつのこめ(本を津の小女)」となるというのです。
「いろはにほへと ちりぬるをわか よたれそつねな らむうゐのおく やまけふこえて あさきゆめみし ゑひもせす」
それらをつなげてみると、「私は無実の罪で殺される。この本を津の妻へ届けてくれ」と解釈できるというのです。
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