| 訓読 |
2449
香具山に雲居(くもゐ)たなびきおほほしく相(あひ)見し子らを後(のち)恋ひむかも
2450
雲間(くもま)よりさ渡る月のおほほしく相(あひ)見し子らを見むよしもがも
2451
天雲(あまくも)の寄り合ひ遠み逢はずとも他(あた)し手枕(たまくら)我(わ)れまかめやも
2452
雲だにも著(しる)くし立たば慰(なぐさ)めて見つつも居(を)らむ直(ただ)に逢ふまでに
2453
春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ
| 意味 |
〈2449〉
香具山にかかる雲のようにおぼろげに見たあの娘を、後に恋しく思うことだろう。
〈2450〉
雲間を渡っていく月のように、ぼんやりと見かけただけのあの子だけど、もう一度逢うきっかけがあればなあ。
〈2451〉
雲が寄り合う所のように遠くて逢えずにいるけれども、ほかの誰の手枕で私は寝たりするものか。
〈2452〉
せめて雲だけでもはっきり立ったら、それを慰めに見てもいよう、じかに逢うまでは。
〈2453〉
春柳をかずらにする葛城山に湧き立つ雲のように、立っても座っても妻のことが思われてならない。
| 鑑賞 |
『柿本人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首。いずれも雲に寄せてのもの。2449の「香具山」は、大和三山の一つ。天の香具山。「雲居」は、雲そのものあるいは雲のかかっている所。上2句は「おほほしく」を導く譬喩式序詞。「おほほしく」は、ぼんやりと、おぼろげに。「おほほし」は、視界や意識が霞んでいる状態を指します。「相見し」は、逢った、顔を合わせた。「子ら」の「ら」は、接尾語。「後恋ひむかも」は、後になって恋しく思うことだろうなあ。「かも」は詠嘆・推量を伴う感動の終助詞。窪田空穂は、「藤原京の路上ででも見かけた女の可愛ゆさから、後から思い出して恋うることだろうと推量した心である。若い京の男のもちそうな心である」と述べています。
2450の上2句は「おほほしく」を導く譬喩式序詞。「さ渡る」の「さ」は、接頭語。「見むよしもがも」の「もがも」は、願望。上の歌と形も内容も似ており、「同じような歌境である。平凡な内容というほかない」との評がある一方、2首の序詞表現の違いに注目すべきとして、文学者の稲岡耕二は次のように述べています。「『香具山に雲居たなびき』の方は、恐らく平常から見馴れた山に霞がかかってはっきり見えないのを、それほど気にもとめずに見て過ぎることの喩としたのだろう。『おほほしく相見し子らを』と逆接的な詠嘆を込めたのは、見る側に本来注意する気持の乏しかったことを示唆するのではないだろうか。人麻呂の吉備津采女挽歌に『おほに見し事悔しきを』(巻第2-217)と詠まれており、その『おほ』について、対象のはっきりしない状態を表現する場合と、見る者が深く注意しない事を表す場合とが認められるように、『おほほし』にも、二つの場合があり、人麻呂はそれを2449歌と2450歌で使い分けて見せたのだろう。『雲間よりさ渡る月』のばあいは、見る側の注意も集中せられていながら対象のはっきりしない例である」。
2451の「天雲の寄り合ひ遠み」は、雲と雲が寄り合う所のように遠くて。ここまでの9音は「遠み」を導く譬喩式序詞。上2句を「逢はずとも」の序詞とする見方もあります。「逢はずとも」は、逢わないでいても。原文「雖不相」で、アハネドモと訓むものもあります。「他し手枕」は、ほかの人の手枕。原文「異手枕」で、コトタマクラと訓むものもあります。「まかめやも」は「まく(枕にする)」+「め(推量)」+「やも(強い反語)」。どうして枕にしようか、いや、決してしない。旅に出ている男が、家の妻に誠実を誓った歌とされ、切なさを詠みつつも、その根底に揺るぎない矜持がある歌です。
2452は、旅に出ている男の、家の妻を思っての歌。「雲だにも」は、せめて雲だけでも。「著く」は、はっきりと、著しく。「慰めて」は、心を慰めて、心を紛らせて。原文「意追」で、ココロヤリと訓むものもあります。「見つつも居らむ」は、見つついよう。「直に逢ふまでに」は、じかに(直接に)逢える時まで。古代の人々にとって、遠く離れた場所にいる愛する人の気配は、その人がいる方角に立つ「雲」や「煙」に現れると信じられていました。この歌での雲は、単なる自然現象ではなく、愛する人の魂の化身、あるいはその人が自分を想っている証として捉えられています。
2453の「春柳」は、柳の枝を頭に載せる蘰(かづら:柳で輪を作って髪飾りにする)の類音により「葛城山」にかかる枕詞。「葛城山」は、大和・河内国境に連なる金剛、葛城、二上山の総称で、主峰は標高1125mの金剛山。上3句が「立つ」の同音の繰り返しで「立ち」を導く序詞。「立ちても居ても」は、「立つ」と「居る(座る・留まる)」の対比。動作のいかんに関わらず、四六時中、の意。「妹をしぞ思ふ」の「し・ぞ」は強調の助詞。この歌の原文は「春楊葛山発雲立座妹念」で、『万葉集』の中で、わずか10文字という最少の字数で表されています。「略体歌」といわれるこうした表記は、漢詩的表記を意図したものでしょうか。

略体歌について
『万葉集』に収められている『柿本人麻呂歌集』の歌は360首余ありますが、そのうち210首が「略体歌」、残り150首が「非略体歌」となっています。「非略体歌」とは、「乃(の)」や「之(が)」などの助詞が書き記されているスタイルのものをいい、助詞などを書き添えていないものを「略体歌」といいます。
たとえば巻第11-2453の歌「春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ」の原文は「春楊葛山発雲立座妹念」で、わずか10文字という、『万葉集』の中でも最少の字数で表されています。
このような略体表記の歌の贈答(相聞往来)が実際になされたとすると、お互いに誤読や誤解釈のリスクがあったはずです。その心配がなかったとすれば、男女双方の教養が、同化して一体のレベルにあり、省略した表記を、双方が十分理解できていたことになります。一方で、秘密の書簡往来を行っていた証で、他者からの読解を防いでいたということなのかも知れません。後で人麻呂が歌を編集したときのの独特な表記方法だとみる解釈があるものの、非略体表記も存在しているので、説得力に乏しく、略体歌の存在は今も謎となっています。
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葛城山と葛城
葛城山は、奈良県と大阪府の境に屏風のように高く連なる葛城連山の総称であり、南の金剛山(標高1,125m)を主峰とし、北に現在の葛城山(標高959m)、さらに北に二上山と続いています。奈良県側は断層崖をなして険しい壁のようで、大和平野のほぼどこからでも見える高山の続きです。そのため、古来一種の神秘感をもってのぞまれ、後代まで信仰の浄地とされました。万葉人の朝夕に、おそれられも、また、親しまれもした山です。
また、葛城は、大和盆地の南西部に位置する葛城山の東麓の一帯で、現在の御所市、葛城市の辺り。古代豪族の葛城氏の本拠地といわれ、第2代・綏靖天皇(すいぜいてんのう)の高丘宮(たかおかのみや)跡伝承地、葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)があります。仁徳天皇の磐姫皇后が生まれ育った地とも伝えます。桜井市の三輪山周辺や、天理市、奈良市の佐紀と並ぶ巨大古墳群が集中する地域でもあります。このため、応神天皇前後の天皇と葛城氏は、極めて深い関係があり、古代王朝の発祥の地とする説もあります。
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古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |