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巻第11(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第11-2454~2458

訓読

2454
春日山(かすがやま)雲居(くもゐ)隠(かく)りて遠(とほ)けども家(いへ)は思はず君をしぞ思ふ
2455
我(わ)がゆゑに言はれし妹(いも)は高山(たかやま)の嶺(みね)の朝霧(あさぎり)過ぎにけむかも
2456
ぬばたまの黒髪山(くろかみやま)の山菅(やますげ)に小雨(こさめ)降りしきしくしく思ほゆ
2457
大野(おほの)らに小雨(こさめ)降りしく木(こ)の下(もと)に時と寄り来(こ)ね我(あ)が思(おも)ふ人
2458
朝霜(あさしも)の消(け)なば消(け)ぬべく思ひつついかにこの夜(よ)を明かしてむかも

意味

〈2454〉
 春日山は雲に隠れて遠く、まだ家まで遠いけれど、その家のことよりあなたのことが思われてならない。
〈2455〉
 私のせいで噂になったあの女(ひと)は、まるで高山の嶺の朝霧が消えるように、もうどこかへ行ってしまったのだろうか。
〈2456〉
 黒髪山の草の上に雨が降りしきるように、あとからあとからひっきりなしに、あの人のことが思われる。
〈2457〉
 広々とした野に小雨が降っています。こんな時こそ、この木の下に立ち寄ってください、私の好きな人。
〈2458〉
 朝霜のようにやがて消えるなら消えてしまえと思いながら、なかなか消えないこの思い。どのようにこの夜を明かしたらよいのだろう。

鑑賞

 『柿本人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首。2454の「春日山」は、奈良市東方の山並み。「雲居隠りて」は、雲の向こう側に隠れて。上2句は「遠けども」を導く譬喩式序詞。「家は思はず君をしぞ思ふ」は、家のことは思わず、君のことばかり思っている。「し・ぞ」は、強い強調。何かの用事で旅に出ている女が、その夫に贈った形の歌。といっても春日山が見える所なので、そんなに遠方ではないようです。一方で、男が女に贈った歌、あるいは官人の男が同僚に贈った歌とする見方もあるようです。

 
2455の「我がゆゑに」は、私のせいで、私との関係が原因で。「高山の嶺の朝霧」は、少し時間が経つといつの間にか消えてしまうことから「過ぎ」を導く序詞。「過ぎにけむかも」の「過ぎ」は、去る、遠ざかる。「こころ」に重きを置いて解けば、あきらめる意とも。また、死の意だとして、「高山の峰にかかる朝霧のように、この世を過ぎて死んでしまったのだろうか」と解するものもあります。唐突なような解釈ですが、人目を忍ぶ関係だったのでその死を知らせる確かな伝手もなかったということでしょうか。「けむ」は、過去推量。「かも」は、疑問的詠嘆。一つの悲劇的な予感や虚脱感を漂わせる一首であり、「我がゆゑに」という言葉には、愛する人を守れなかった作者の深い自責の念が込められています。

 
2456の「ぬばたまの」は「黒」の枕詞。「黒髪山」は、奈良市法華町の北、佐保山の一部の小山。その名から「黒髪」を連想させ、女性の艶やかな美しさを暗示します。「山菅」は、山中に生えている菅の総称またはヤブラン。「降りしき」は、しきりに降り。上4句は「降りしき」の「しき」が類音の「しくしく思ほゆ」を導く序詞。「しくしく」は、ひっきりなしに、重ね重ね。長い序詞で、結句だけが一首の内容のような観がある歌ですが、詩人の大岡信は、「それが長いというにとどまらず、純粋な叙景と見える表現の中に、しみじみとした哀感をしのばせている手腕は見事」と評しており、また国文学者の鴻巣盛広は、「序詞の用を極点まで効果あらしめたもので、恋に悩む人の姿が目に浮かんでくるように詠まれている。傑作」と述べています。

 
2457の「大野ら」の「大野」は広い野、「ら」は場所を表す接尾語。「小雨降りしく」は、小雨がしとしとと絶え間なく降っている。「木の下」は、ここでは雨宿りをしている場所。あるいは、密会を待つ場所。「時と」は、よい機会として。今がいらっしゃるべき時として。「寄り来ね」は、寄ってきておくれ。「ね」は親愛を込めた願望・命令の終助詞。「我が思ふ人」について斎藤茂吉は、「『人』は女のことで、妹、吾妹などと同じ意味に帰著するのだが、第三人称らしくヒトと言っているので、なかなかいい句である。一時新派歌人等が恋人のことをヒトと使って流行したことがあった」と述べています。また窪田空穂はこの歌について、「劇的な趣をもった歌」とも述べています。

 
2458の「朝霜の」は、その消えやすいところから「消」にかかる枕詞。「消なば消ぬべく」は、消えてしまうなら消えてしまってもいい。自暴自棄に近い、強い覚悟を伴う表現。原文「消々」で、ケナバケヌガニ、ケナバケナマク、ケナバケナマシなどと訓むものもあります。「いかに」は、どのようにして、どうやって。「明かしてむかも」は、明かすことができるだろうか。「む」は推量、「かも」は詠嘆・疑問。恋の相手のことばかり思い続け、身も心も消え入らんばかりなので、どのようにこの夜を明かしたものかと、甚だしい恋の感傷を歌っています。
 


『万葉集』クイズ

 次の歌は、いずれも大伴家持と関わりのあった女性の歌です。それぞれの作者名を答えてください。

  1. 戯奴がため我が手もすまに春の野に抜ける茅花そ食して肥えませ
  2. 陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを
  3. 闇夜ならばうべも来まさじ梅の花咲ける月夜に出でまさじとや
  4. 生きてあらば見まくも知らず何しかも死なむよ妹と夢に見えつる
  5. 思ふにし死にするものにあらませば千たびぞ我れは死に返らまし
  6. 松の花花数にしも我が背子が思へらなくにもとな咲きつつ
  7. 月立ちてただ三日月の眉根掻き日長く恋ひし君に逢へるかも
  8. 相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後に額づくがごと
  9. をみなへし佐紀沢に生ふる花かつみかつても知らぬ恋もするかも
  10. 水鳥の鴨の羽色の春山のおほつかなくも思ほゆるかも


【解答】 1.紀女郎 2.笠郎女 3.紀女郎 4.大伴坂上大嬢 5.笠郎女 6.平群女郎 7.大伴坂上郎女 8・笠郎女 9.中臣女郎 10.笠郎女

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