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巻第11(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第11-2459~2463

訓読

2459
我(わ)が背子(せこ)が浜(はま)行く風のいや急(はや)に急事(はやごと)増して逢はずかもあらむ
2460
遠き妹(いも)が振り放(さ)け見つつ偲(しの)ふらむこの月の面(おも)に雲なたなびき
2461
山の端(は)を追ふ三日月(みかづき)のはつはつに妹(いも)をぞ見つる恋(こ)ほしきまでに
2462
我妹子(わぎもこ)し我(わ)れを思はばまそ鏡(かがみ)照り出(い)づる月の影(かげ)に見え来(こ)ね
2463
ひさかたの天光(あまて)る月の隠(かく)りなば何になそへて妹(いも)を偲(しの)はむ

意味

〈2459〉
 あの人の浜辺を吹く風が急なように、至急な用事が増えて、あの人は私に逢わないでいるのだろうか。
〈2460〉
 遠く離れている妻が、振り仰いで月を見ながら私のことを思ってくれているに違いない。この月の面(おもて)に雲よ、たなびかないでおくれ。
〈2461〉
 山の端をなぞるように沈む三日月のように、ほんの少しだけあの娘を見た。それなのに今はこんなに恋しい。
〈2462〉
 愛しい妻がこの私を思っていてくれるなら、空に照り輝く月のように、面影として浮かんできてほしい。
〈2463〉
 空に輝く月が隠れてしまったら、いったい何を妻になぞらえて懐かしんだらよいのだろう。

鑑賞

 『柿本人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首。2459の「我が背子が」は、結句に続きます。「浜行く風の」は、浜辺を吹き抜ける風のように。「いや急に」の「いや」は、甚だ。この2句は「急に」を「急事」に続けてその序詞になっています。「急事」は、至急の用事。あるいは、巻第11-2712に「言速くは」とあることから、激しい噂の意とする説もあり、歌の表現としてはこちらの方が適当かもしれません。「逢はずかもあらむ」は、逢えないままなのだろうか。「かも」は不安や疑問を伴う詠嘆。原文「不相有」で、アハズヤアルラム、アハズヤアラムなどと訓むものもあります。「風」という自然現象を序詞に使うことで、自分の意志ではどうにもできない時代の空気や周囲の圧力の激しさを象徴させています。

 
2460の「遠き妹が」の原文「遠妹」で、トホヅマノと訓み、故郷に残してきた妻と解するものもありますが、トホヅマと訓む必然性がないことから、ここは遠く離れている、たとえば他部落に住む親しい女性(愛人)の意としています。「振り放け見つつ」は、はるか遠くを仰ぎ見ながら。「偲ふらむ」は、 きっと思い慕っているだろう。「らむ」は現在推量。「雲なたなびき」の「な」は、禁止。古代の人々にとって、月は遠く離れた二人が同時に見ることができる共通の目印でした。「あの子も今、この月を見ているはずだ」と確信することで、物理的な距離を精神的に克服しようとしています。

 
2461の「山の端を追ふ三日月」の「山の端」は山の稜線で、夕方、西の山の端の空に輝いてすぐに沈む三日月のこと。「追ふ三日月の」の原文「追出月」で、サシイヅルツキノ、オヒイヅルツキノなどと訓むものもあります。「出月」をミカヅキと訓む立場は、「朏」の文字を2つに裂いて「出月」と書いたものとしています。上2句は、山の端に出た月のように僅かに見える意で「はつはつに」を導く序詞。「はつはつに」は、わずかに、かすかに。「恋ほしきまでに」は、恋しく思われるほどに。「はつはつ」という言葉には、単に「短い」という意味だけでなく、心の琴線に触れるような、鋭くかすかな刺激というニュアンスがあります。暗闇の中に光る細い三日月のように、人目につかない一瞬の出逢い。その一瞬の視覚的な残像が、かえってその後の孤独の中で大きな存在感を持って膨らんでいく様子を詠んでいます。

 
2462の「我妹子し」の「し」は、強意の副助詞。「まそ鏡」は、澄み切った鏡で「照り出づる月」の枕詞であるとともに、月の清冽な輝きを象徴しています。「影に見え来ね」の「影」は、月の影(光)と妹の面影を掛けています。「見え来ね」の「ね」は、願望。旅にあって、月に対して妻を思っている歌とされます。古代の人々は、夜空に輝く満月を巨大な「鏡」に見立てていました。鏡には霊的な力があり、遠くのものを映し出したり、魂を寄せたりする力があると信じられていたのです。また、「我れを思はば(私を思っているなら)」という仮定は、単なる言葉の綾ではなく、当時の信仰では、強く思う人の姿は、相手の夢や鏡(月)に現れると考えられていました。

 
2463の「ひさかたの」は「天」の枕詞。集中50例ある枕詞で、天・雨・月などにかかりますが、語義・掛かり方とも未詳です。「天光る」は、空に輝く。「なそへて」は、他のものに見立てて、なぞらえて。「偲はむ」は、懐かしむ、慕う。単に思い出すだけでなく、対象が目の前にいない寂しさを噛みしめるニュアンスが含まれます。月が沈むという自然現象を、自分の心の拠り所が失われる精神的な危機として捉えており、作者の孤独感が強調されています。斎藤茂吉は、「恋している女を『天光る月』に見立て、それと融合している気持は、前の歌(2462)と同じく、単に抒情詩的だというのみでなく、その恋人の顔容から挙止に至るまで彷彿として見える如き感じのする歌である」と言っています。
 


斎藤茂吉について

 斎藤茂吉(1882年~1953年)は大正から昭和前期にかけて活躍した歌人(精神科医でもある)で、近代短歌を確立した人です。高校時代に正岡子規の歌集に接していたく感動、作歌を志し、大学生時代に伊藤佐千夫に弟子入りしました。一方、精神科医としても活躍し、ドイツ、オーストリア留学をはじめ、青山脳病院院長の職に励む傍らで、旺盛な創作活動を行いました。

 子規の没後に創刊された短歌雑誌『アララギ』の中心的な推進者となり、編集に尽くしました。また、茂吉の歌集『赤光』は、一躍彼の名を高らかしめました。その後、アララギ派は歌壇の中心的存在となり、『万葉集』の歌を手本として、写実的な歌風を進めました。1938年に刊行された彼の著作『万葉秀歌』上・下は、今もなお版を重ねる名著となっています。
 

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