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巻第11(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第11-2464~2468

訓読

2464
若月(みかづき)の清(さや)にも見えず雲隠(くもがく)り見まくぞ欲(ほ)しきうたてこのころ
2465
我(わ)が背子(せこ)に吾(あ)が恋ひ居(を)れば吾(わ)が屋戸(やど)の草さへ思ひうらぶれにけり
2466
浅茅原(あさぢはら)小野に標(しめ)結(ゆ)ふ空言(むなごと)を如何(いか)なりと言ひて君をし待たむ
2467
路(みち)の辺(へ)の草深百合(くさふかゆり)の後(ゆり)もと言ふ妹(いも)が命(いのち)を我(わ)れ知らめやも
2468
湊葦(みなとあし)に交(まじ)れる草の知草(しりくさ)の人皆(ひとみな)知りぬ吾(わ)が下思(したも)ひは

意味

〈2464〉
 三日月がはっきり見えずに雲に隠れてしまうように、心行くまであの人の姿が見られないので、逢いたくてたまらない。更にこのごろは。
〈2465〉
 私の夫を恋しく待ち遠しく思っていると、家の庭の草さえも、思い悩んで萎れてしまいました。
〈2466〉
 浅茅原の野に標を張るような空しい言葉を、人にどう説明して、あなたを待っていたらいいのでしょう。
〈2467〉
 道端の草の中に咲く百合のように、いずれ後になどと言っているが、あの子の命を私が知り得ようか。
〈2468〉
 河口の葦に交じっている知草の名のように、誰もが知ってしまった、私のひそかな胸の内を。

鑑賞

 『柿本人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首。2464の「若月の清にも見えず」は、三日月がはっきりとも見えず。「若月」は、出たばかりの細い月。光が弱く、すぐ沈んだり雲に隠れたりする不安定な存在。「清に」は、視覚的にも聴覚的にもくっきりと明瞭なことを表す語。上3句は「見まく」を導く譬喩式序詞。「見まくぞ欲しき」の「見まく」は「見む」のク語法で名詞形。見たいことであるよ。「うたて」は、いっそう、ますますの意の副詞。窪田空穂は、「序詞が、譬喩だけではなく、事態の全部を負うているような歌である。しかし同時にそれが気分になっている。人麿歌集の手法である」と述べています。前の2首が満月あるいはそれに近い明るい月を前提としていたのに対し、本歌では若月(三日月)をモチーフにしています。また、それまで漂っていた「幻想的な美しさ」から一転し、ままならない現実の恋の苦しさへと引き戻されるような一首となっています。男女どちらの歌とも取れます。

 
2465の「恋ひ居れば」は、 ずっと恋い慕っていると。「居れば」は動作の継続を表します。「屋戸」は、家の敷地、庭先。「思ひうらぶれにけり」の「思ひうらぶれ」は、思い悩んで萎れる。ウラブルは、しょんぼりする、失意にうなだれる意の自動詞で、多くは人間の場合に用いられます。「けり」は、詠嘆。この歌について、上3句にワガを繰り返して頭韻をふみ、直線的な奔流の如き格調をなしているとの評もありますが、斎藤茂吉は、「『わが』というのを繰り返しているのは、あまり意識してやったのではなかろうと解釈したいのであるが、・・・故意に畳んで用いたのだとすると具合が悪い。日本語の味わいの能く分からぬ外国人などが日本の詩歌を云々するときに、先ずこういう頭韻などにばかり気を取られて賛美するのは未だ不徹底だからである。ただこの歌は、全体がしっとりと沈潜して歌い了せているのがいいのであって、『わが』を繰り返しているために特にいいのではない」と述べています。

 
2466の「浅茅原」は、茅が低く生えている原。「小野」の「小」は、接頭語。「標結ふ」は、他人の立ち入りを禁じるしるしとして縄を張ること。上2句は「空言」を導く序詞。掛かり方については諸説ありますが、それほど大切ではない浅茅原に標を引いたところで意味がないところから、偽りの比喩としての序詞であるとの見方があります。「空言」は、実の伴わない空しい言葉、誠意のない口先だけの約束。「君をし待たむ」は、あなたを待てばよいのか。ここの空言がどのような内容だったかは明らかにされていませんが、窪田空穂は、「複雑な、屈折をもった気分を、単純に言いおおせた、巧みな歌」と評しています。

 
2467の「草深百合」は、草の茂みの中に咲いた百合。具体的にはヤマユリ、ササユリの類を指すと言われます。上2句は、後(のち)という意味の「後(ゆり)」を導く同音反復式序詞。「妹が命」のここでの「命」は、単なる寿命ではなく、生きて再び会えるという運命やその時まで変わらない心を指します。「知らめやも」の「やも」は反語で、知っていようか、知りはしない。女に求婚して、いずれ後にと婉曲に拒まれた男が、「どうして今では駄目なのか」と憤怒している歌です。窪田空穂は、「『路の辺の草深百合の』は、女の境遇と美しさを気分として感じさせる語で、『後』への続きも安らかである。上手な歌である」と述べています。

 
2468の「湊葦」は、河口に生える葦。「知り草の」の「知り草」は未詳ながら、湿地や原野に群生するカヤツリグサ科のサンカクイとする説が有力です。「の」は、~のように。上3句は「知り」を導く同音反復式序詞。「人皆知りぬ」は、世間の人がすっかり知ってしまった。「下思ひ」は、心の中の人知れぬ思い。斎藤茂吉は、序詞の表現について言及し、「知草に寄せて、聯想で序詞を作ったものであるが、実際の写生から来ており、その写生も『みなと葦に交れる草の』云々と言って、細かく且つ確かである」と述べています。
 


一人称の「わ」と「あ」

 『万葉集』の歌の一人称の代名詞には、ワガ・ワレのようなワ系の語と、アガ・アレのようなア系の語があります。どのように使い分けされるかについて、たとえば、一人称が「恋」という名詞に続く場合は、その殆どがア系の語が用いられているとの指摘があります。上の3690の「我(あ)が恋ひ行かむ」がそうですし、他にも「我(あ)が恋まさる」「我(あ)が恋やまめ」「我(あ)が恋わたる」などの例があります。一般的あるいは複数的に用いられる場合は、ワ系であるのに対し、ア系は、単数的、孤独的である場合に用いられているとされます。 

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斎藤茂吉と『万葉集』

 近代アララギ派の巨匠であり、精神科医でもあった斎藤茂吉(1882〜1953年)にとって、『万葉集』は単なる古典の研究対象を超え、彼の歌生命の源泉であり、生涯をかけた信仰そのものでした。茂吉の『万葉集』に対する関わりは、熱狂的な「万葉調」の創作実践と、緻密な実証精神に基づく膨大な研究という、実作と学問の幸福な結実として語ることができます。

  1. 創作における結晶~「実相観入」と万葉の生命力
     茂吉は師である正岡子規、伊藤左千夫が提唱した「写生」の説を発展させ、独自の芸術論である「実相観入(じっそうかんにゅう)」へと深化させました。「実相観入」とは、歌い手自身の主観(心)が、対象(自然や現実の事物)のありのままの姿(実相)に深く溶け込み、一体化することによって、対象そのものの内なる生命を写し取る、という歌学理論です。この理論のバックボーンとなったのが『万葉集』でした。茂吉は万葉和歌に、後世の技巧や理屈に曇らされていない「人間と自然とのダイレクトなぶつかり合い」を見出しました。
     彼の第一歌集『赤光(しゃっこう)』(1913年)や、それに続く『あらたま』では、万葉の響きや語彙(「〜かも」「〜ゆゆし」など)を大胆に導入しながら、近代人の強烈な自我や、生と死、エロスへの衝動を、圧倒的なエネルギーで詠み上げました。彼にとって万葉調とは、回顧的な擬古(古典の真似事)ではなく、「現代の生を最も力強く表現するための唯一の武器」だったのです。
  2. 研究における執念:大著『万葉秀歌』と評釈の山
     茂吉は生涯を通じて『万葉集』の研究に没頭し、専門の国文学者も驚嘆するほどの質と量を誇る業績を残しました。そのアプローチは、精神科医(科学者)としての冷徹な実証眼と、歌人としての鋭い直感が融合したものでした。彼の著書『万葉秀歌』(岩波新書)は、上代和歌の入門書・鑑賞書として今なお読み継がれる名著です。万葉集から厳選した秀歌について、一首一首の言葉の響きや情景を、実作者ならではの感性で活写しています。
     また、『評釈万葉集』などの膨大な注釈作業によって、柿本人麻呂や山部赤人、大伴家持ら、万葉の歌人一人ひとりの作品を徹底的に語釈(言葉の意味の解釈)し、評釈を加えました。特に柿本人麻呂への傾倒は凄まじく、全5巻に及ぶ『柿本人麻呂』を著し、帝国学士院賞を受賞しています。
     茂吉の評釈の特徴は、単に訓読や文法を整理するだけでなく、「その歌が詠まれた瞬間の、歌人の心の動き(心理的リアリティ)」にどこまでも迫ろうとした点にあります。
  3. まとめ
     江戸時代の本居宣長らが「古代の正しい言葉と心」を解き明かすために『万葉集』に向き合ったのだとすれば、斎藤茂吉は「千年前の強靭な生命力を、現代の短歌の中に完全に蘇生させる」ために万葉に向き合いました。彼によって『万葉集』は、埃をかぶった古典籍から、今を生きる人間のドクドクと脈打つ感情を表現するための「生きた教科書」へと変貌を遂げたと言えます。
古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。