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巻第11(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第11-2469~2473

訓読

2469
山ぢさの白露(しらつゆ)重(おも)みうらぶれて心に深く吾(あ)が恋やまず
2470
湊(みなと)にさ根延(ねは)ふ小菅(こすげ)ぬすまはず君に恋ひつつありかてぬかも
2471
山背(やましろ)の泉(いづみ)の小菅(こすげ)なみなみに妹(いも)が心をわが思(おも)はなくに
2472
見渡しの三室(みむろ)の山の巌菅(いはほすげ)ねもころ我は片思(かたおもい)ぞする[一云、三諸(みもろ)の山の岩小菅(いはこすげ)]
2473
菅(すが)の根のねもころ君が結びたるわが紐(ひも)の緒(を)を解く人はあらじ

意味

〈2469〉
 山ぢさの葉が白露の重みでうなだれているように、私の心もすっかり沈んでいるけれども、心の底に深々と私の恋は一向に止まない。
〈2470〉
 河口にひそかに根をのばす小菅のように、人の目を忍んで、あなたに逢わずに生きているのは堪えられない。
〈2471〉
 山背の地の水辺に並んで生えている小菅ではありませんが、並大抵の(いい加減な)気持ちで、あなたのことを思っている私ではありません。
〈2472〉
 見渡した所にある三室山の岩に生えた菅、その菅の根ではないが、ひたすら熱意をこめて私は片思いしていることだ。(みもろの山の岩小菅ではないが)
〈2473〉
 心をこめてあなたが結んでくれた私の衣の紐を、解く人はほかに誰もいないでしょう。

鑑賞

 『柿本人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首。2469の「山ぢさ」は、落葉高木のエゴノキのことで、5月ごろに総状の白い花を咲かせます。「白露重み」の原文「白露重」で、シラツユシゲミと訓むものもあります。上2句は、白露の重みで細い枝がうな垂れることから「うらぶれて」を導く序詞。「うらぶれて」は、萎れて、うなだれて。ウラブルは、しょんぼりする、失意にうなだれる意の自動詞で、多くは人間の場合に用いられます。ここは植物について言っており、集中では限定的です。「心に深く」の原文「心深」で、ココロヲフカミ、ココロモフカクなどと訓むものもあります。男に疎遠にされている女の嘆きの歌です。

 
2470の「湊」は、河口。「さ根延ふ」の「さ」は接頭語で、根が長くのびる意。「小菅」の「小」は愛称で、菅。上2句は、河口に根を張っている小菅の根のように、の意で「ぬすまはず」を導く序詞。「ぬすまふ」は、人目を忍ぶ意。原文「不竊隠」で、シノビズテ、シヌビズテなどと訓むものもあります。「ありかてぬかも」は、生きているのが堪えられないことよ。原文「有不勝鴨」は、本によっては「鴨」の字がないものもあり、アリカツマシジと訓むものもあります。世間に知られつつ恋し続ける苦しさ、辛さを訴えた女の歌です。

 
2471の「山背の泉」は地名で、京都府南部木津市のあたり。泉川が流れています。上2句は、小菅が靡くようにの意で「なみなみに」を導く序詞。「なみなみに」は、ふつうに、並大抵に。原文「凡浪」で、ヲシナミニと訓むものもあります。「思はなくに」は、私が思っているのではないのに。「〜ないのになあ(それなのに、なぜ分かってくれないのか)」という詠嘆が含まれます。山背の泉に住む女と関係を持った旅の男が、女に贈った形の歌とされます。

 
2472の「見渡しの」は、遮るものがなくこちらから広く見える意。「三室の山」は、神が降臨する山のことで、多くは三輪山・雷丘・龍田山をいいます。「巌菅」は、大きな岩の上に生えている菅で、厳しい環境で岩にしっかりと根を張っている植物。上3句は、巌菅の根と続き、「ねもころ」を導く序詞。「ねもころ」は、根が張っている様子から転じて、熱心に、心を込めての意。結句は、単独母音オを含む、許容される8音の字余り句。揺るぎない岩と、そこに根を張る菅の姿を借りて、実らない恋の苦しさを力強く、かつ切なく歌い上げた一首です。

 
2473の「菅の根の」は「ねもころ」の枕詞。「結びたる」の原文「結為」で、ムスビテシと訓むものもあります。「結びたる」は、男女が逢いを誓い、再会を期して互いの下着の紐を結び合うこと。「紐の緒」は、「紐」と「緒」の同義語を重ねて強めたもの。結句の「解く人はあらじ」は、解く人はいないだろう(いや、いない)、の意の強い打ち消し推量。単独母音アを含む、許容される8音の字余り句になっています。「君」とあるので女の歌と見られ、男と別れる時に誓いの心をもって言ったものとされます。
 


一人称の「わ」と「あ」

 『万葉集』の歌の一人称の代名詞には、ワガ・ワレのようなワ系の語と、アガ・アレのようなア系の語があります。どのように使い分けされるかについて、たとえば、一人称が「恋」という名詞に続く場合は、その殆どがア系の語が用いられているとの指摘があります。上の3690の「我(あ)が恋ひ行かむ」がそうですし、他にも「我(あ)が恋まさる」「我(あ)が恋やまめ」「我(あ)が恋わたる」などの例があります。一般的あるいは複数的に用いられる場合は、ワ系であるのに対し、ア系は、単数的、孤独的である場合に用いられているとされます。 

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