| 訓読 |
2474
山菅(やますげ)の乱れ恋のみせしめつつ逢はぬ妹(いも)かも年は経(へ)につつ
2475
我(わ)が宿(やど)の軒(のき)の子太草(しだぐさ)生(お)ひたれど恋忘れ草(ぐさ)見るに未(いま)だ生(お)ひず
2476
打つ田にも稗(ひえ)はし数多(あまた)ありといへど選(えら)えし我(わ)れぞ夜を一人寝(ぬ)る
2477
あしひきの名に負(お)ふ山菅(やますげ)押し伏せて君し結ばば逢はざらめやも
2478
秋柏(あきかしは)潤和川辺(うるわかはへ)の小竹(しの)の芽(め)の人には忍(しの)び君に堪(あ)へなくに
| 意味 |
〈2474〉
山菅の根のように思い乱れた恋ばかりさせておきながら、あの子は一向に逢ってくれない、年月は過ぎていくのに。
〈2475〉
我が家の屋根には、しだ草なら生えているけれど、恋忘れ草はいくら探してみてもまだ生えていません。
〈2476〉
耕した田んぼに稗はまだたくさん残っているのに、選び取られて捨てられた私は、夜な夜なただ一人で寝ている。
〈2477〉
足を引っ張るという名を持つ山菅、その荒々しい菅をなぎ倒すように、あなたが結んで将来を誓うのであったら、お逢いしないことはありません。
〈2478〉
潤和川のほとりの笹の芽のように、ひっそりと人には覚られないようにすることはできても、あなたの前では恋の思いを隠すことができません。
| 鑑賞 |
『柿本人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首。2474の「山菅の」は「乱れ」の枕詞。「乱れ恋」は、思い乱れての恋で、名詞形。珍しい語句で、集中ほかに見られません。「せしめつつ」は、(あなたという存在が、私を)〜させて。使役のニュアンスが含まれ、自分の意志ではどうにもならない苦しさを表します。「逢はぬ妹かも」は、逢ってくれないあなたなのだなあ。「かも」は強い詠嘆。「年は経につつ」は、年は過ぎてゆくのに。「せしめつつ」「経につつ」と、「つつ(継続・反復)」という助詞が二度使われており、このリズミカルな反復が、出口のないループに陥った作者の苦しい胸中を強調し、読者に焦燥感を伝えます。
2475の「宿」は、家の敷地、庭先。「軒の子太草」は、軒に生えるシダ類の草。シダの語源は「垂(しだ)る」からきており、軒から垂れ下がるように生えている様子を想起させます。原文「甍子太草」で、イラカシダグサと訓むものもあります。「甍」は屋根の瓦の意なので、軒とは異なってきます。「生ひたれど」の原文「雖生」で、オフレドモと訓むものもあります。「恋忘れ草」は、ユリ科の一種ヤブカンゾウにあたり、『和名抄』に「一名、忘憂」とあり、身につけると憂いを忘れるという俗信がありました。これは『文選』などにみられる中国伝来のもののようです。「見るに未だ生ひず」は、見渡してみても、まだ生えていない。「見るに」という言葉からは、作者が実際に庭を歩き回り、どこかに忘れ草が咲いていないかと必死に探している、あるいは心の隙間に忘れようとするきっかけを探しているような、切ない動作が浮かんできます。
2476の「打つ田」は、耕した田。「稗はし」の「稗」は、稲によく似たイネ科の雑草。稲の成長を妨げるため、農作業では「ひえ抜き」として取り除かれる対象です。「はし」は、強調の助詞。「選えし我れは」は、稗として選り分けられた我は、の意。原文「擇爲我」の「擇」は、多くのものの中から選び取る意。この歌について、窪田空穂は次のように解説しています。「部落生活をしている女の、男に疎まれている恨みである。自分を田の稗扱いにして、通っても来ないと、夜、独り寝をして恨んでいる心である。・・・『夜一人宿る』も直截である。『稗は数多にありといへど』は、自分のごとき扱いを男から受ける女も多いようだがの意で、我と慰めている心である」。
2477の「あしひきの」は、「山」の枕詞を山の意に転用したもの、あるいは「山菅」にかかる枕詞。「名に負ふ山菅」の「名に負ふ」とあるのは、山菅が別名を「ねもころぐさ」、あるいはその根の様子から「乱れ」や「結ぶ」という言葉を連想させる代名詞だったためです。上2句は「押し伏せて」を導く序詞。「押し伏せて」は、強いて伏せて。山菅を押し伏せるように男が女に迫る譬え。「君し結ばば」は、君が山菅を結んだならばで、木の枝、草を結ぶのは、将来も変わらないことを祈っていることで、ここは男女関係。「逢はざらめやも」の「やも」は反語で、逢わなかろうか、逢う。女が、求婚してきた男に対し躊躇するそぶりをすると、諦めて引き下がろうとするので、進んで承諾を示そうとしたもの。斎藤茂吉は「女性の靡いてゆく甘美の経路をあらわしている」と述べています。
2478の「秋柏」は、紅葉した柏がうるわしい意で「潤和川」にかかる枕詞。「潤和川」は、所在未詳。「小竹」は、群生する細い竹。「人には忍び」は、他人に知られないように隠れ忍ぶこと。「小竹(しの)」と「忍(しの)ぶ」をかけた掛詞です。原文「人不顔面」で、ヒトニシノベバ、ヒトニハシノベなどと訓むものもあります。「堪へなくに」、堪えられないことよで、名詞形。「~のに」という逆接・詠嘆のニュアンスが含まれます。『万葉集』らしい、植物への瑞々しい観察眼と、高度な修辞技法(掛詞・序詞)が融合した一首であり、 単に「苦しい」と言うのではなく、川辺に芽吹く小竹のイメージを借りることで、細く、折れそうで、それでいて必死に耐えている心を視覚的に浮かび上がらせています。

『万葉集』クイズ
それぞれの歌の〇の中に当てはまる語を、ひらがなで答えてください。
【解答】 1.つき(月) 2.なみ(波) 3.こと(言) 4.くも(雲) 5.よぶこどり(呼子鳥) 6.ひめゆり(姫百合) 7.ゆき(雪) 8.すだれ 9.しほ(潮) 10.がき(餓鬼)
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