| 訓読 |
2484
君(きみ)来(こ)ずは形見(かたみ)にせむと我(わ)が二人(ふたり)植ゑし松の木(き)君を待ち出(い)でむ
2485
袖(そで)振らば見ゆべき限り我(わ)れはあれどその松が枝(え)に隠(かく)らひにけり
2486
茅渟(ちぬ)の海の浜辺(はまへ)の小松(こまつ)根(ね)深めて我(あ)が恋ひ渡る人の子ゆゑに
2487
奈良山の小松が末(うれ)のうれむぞは我(あ)が思ふ妹(いも)に逢はず止(や)みなむ
2488
礒(いそ)の上(うへ)に立てるむろの木(き)ねもころに何しか深め思ひそめけむ
| 意味 |
〈2484〉
あなたがいらっしゃらない時は、眺めて思い出そうと、二人で植えた松の木です。だから、待ったら必ず来てくれるでしょう。
〈2485〉
あなたが袖を振ったら見える限りはと立っていたけれど、あの人の姿は遠ざかっていき、とうとう松の枝に隠れてしまった。
〈2486〉
茅渟の海の浜辺に生えている松の根は深く、その根のように私は深く思い続けている、ふと出逢ったあの子ゆえに。
〈2487〉
奈良山の若松の枝先のようにうら若い、私が恋するあの子にどうして逢わずにいられようか。
〈2488〉
磯の上にしっかり根を張っているむろの木のように、どうして私は深く深く思うようになってしまったのだろう、あの子を。
| 鑑賞 |
『柿本人麻呂歌集』から、「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首。2484の「君来ずは」は、あなたが来ない時には。「形見」は、その人の代わりとして見る物。「我が二人植ゑし」は、私とあなたの二人で(一緒に)植えた。「松の木」は、松の木よ、と呼びかけた形で、ここで句切れになっており、「松」に「待つ」を掛けています。「待ち出でむ」は、待っていたものに出逢うだろうの意で、単に待つだけでなく、現れた相手を迎え入れるという積極的な意味が含まれます。「我が二人植ゑし」と、過去の幸せな共同作業が語られ、今は男に疎遠にされてしまっている切ない女心を歌ったものです。「君来ずは形見にせむ」という約束は、一見不吉ですが、逆説的に「必ず帰ってきてほしい」という強い願いの裏返しです。冗談めかして、あるいは真剣に、そんな会話を交わしながら苗木を植えた日の情景が浮かびます。また、この歌からは、この時代のカップルも、現代と同様、ガーデニングを楽しんでいたことが分かります。
2485の「袖振らば」の原文「袖振」で、ソデフルガ、ソデフリテなどと訓むものもあります。「見ゆべき限り」は、見えるはずの距離、あるいは見える限りのところ。原文「可見限」で、ミツベキカギリと訓むものもあります。「我れはあれど」は、私は(そこに)いるのだけれど。「隠らひにけり」の原文「隠在」で、カクリタリケリと訓むものもあります。男女の朝の別れに際し、男が別れを惜しむしぐさをしているのを見送っている女の歌であり、窪田空穂は、「男女の朝の別れを、女が見送りをするという一点に捉え、それを時間的にあらわしたもので、(中略)抒情をとおして叙事をする、人麿歌集特有の詠み方の歌である」と述べています。
2486の「茅渟の海」は、大阪市堺市から岸和田市にかけての大阪湾の海。古く和泉国を茅渟県(ちぬのあがた)と言ったことによります。上2句は、小松の根と続き「根深めて」を導く序詞。「根深めて」は、その根が深いように心深めて、の意。「人の子」は、たとえば「人の親」のそれと同じく軽く添えた語。または、人(親)に養われていて自分の思いどおりにはならない娘の意、あるいは人妻の意を含むとも。なお、左注に、或る本の歌に曰く「茅渟の海の潮干の小松ねもころに恋ひやわたらむ人の子故に」とあります。
2487の「奈良山」は、現在の奈良市北部から木津川市にかけて広がる丘陵地。平城京の北に位置し、万葉人にとって馴染み深い風景です。「小松が末」の「末」は、梢の先端。上2句は「うれむぞ」を導く同音反復式序詞。「うれむぞは」の「うれむぞ」は、どうして~だろう、という反語的な意を持つ副詞。「は」は、強意の助詞。「止みなむ」は「うれむぞ」の結で、終わってしまうだろう。片思いをして、自身を励ましている男の歌で、「奈良山の小松」が、女の住む土地と女の状態を暗示しているとされます。
2488の「磯」は、海岸の岩。「むろの木」は、ヒノキ科のねずの木とされ、樹高10m以上にもなる常緑高木。上2句は、むろの木の高々と根を深めて立つさまから「ねもころに」を導く序詞。「ねもころに」は、ねんごろに、心深く。原文「心哀」で、ココロイタクと訓むものもあります。「何しか」は、どういうわけで、の意。原文「何深目」で、ナニニフカメテと訓むものもあります。「思ひそめけむ」は、思い始めてしまったのだろうか。「そめる(染める・初める)」は深く心が染まっていく様子と、事の始まりを指します。作者は、自分の恋心がもはや自分自身の意志では引き抜けないほど、岩に食い込む根のように頑固なものになってしまったことに気づいています。

かたみ(形見)
カタミは、現在では、もっぱら故人の遺愛の品を指すことが多いが、古代では、死者に限らず、離れて逢えない人、とりわけ恋する相手にゆかりのある事物を意味した。カタミのカタとは、カタチ(形)のカタであり、ある事物の象形、すなわちその輪郭を指す。その外形といってもよい。ただし、大事なのは、そのカタが、霊力・霊魂を宿すことができるものであったことである。カタミとは、それを見ることによって、そこに宿る故人や逢えない人の霊力・霊魂に触れあうことのできるような対象を意味した。
カタミとされるものは、実にさまざまである。鏡、子供、衣(着物)、さらには植物や土地なども「形見」とされた。
~『万葉語誌』から引用
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