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巻第11(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第11-2489~2493

訓読

2489
橘(たちばな)の本(もと)に我(わ)を立て下枝(しづえ)取り成(な)らむや君と問ひし子らはも
2490
天雲(あまくも)に翼(はね)打ちつけて飛ぶ鶴(たづ)のたづたづしかも君しまさねば
2491
妹(いも)に恋ひ寐(い)ねぬ朝明(あさけ)に鴛鴦(をしどり)のこゆかく渡る妹(いも)が使(つかひ)か
2492
思ひにし余りにしかば鳰鳥(にほどり)のなづさひ来(こ)しを人(ひと)見けむかも
2493
高山(たかやま)の嶺(みね)行くししの友を多(おほ)み袖(そで)振らず来(き)ぬ忘ると思ふな

意味

〈2489〉
 橘の木の下に私を向かい合って立たせて、下枝をつかみ、この橘のように私たちの仲も実るでしょうか、と問いかけたあの子だったのに。
〈2490〉
 天雲に翼を打ちつけて飛んでいく鶴のように、貴方がいらっしゃらないのが、とても心細くて寂しい。
〈2491〉
 あの子が恋しくて眠れない明け方に、仲睦まじい鴛鴦(おしどり)がここを通って飛んでいく。あれは、あの子の使いなのだろうか。
〈2492〉
 恋しさに思いあまり、川の中をカイツブリのようにびしょぬれになってやってきたが、人がそれを目にしただろうか。
〈2493〉
 高山の嶺づたいに群れて行くカモシカのように、連れ立っている人が多かったので袖を振らずにやって来たが、お前のことを忘れていたなどと思うなよ。

鑑賞

 『柿本人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首。2489の「橘の本」は、橘の木の下。「我を立て」の原文「我立」で、ワガタチまたはワレタチと訓み、「二人で並んで立って」と解釈する説もあります。「下枝取り」は、下の方に伸びた枝を手に取ること。「成らむや君」の「成る」は、橘の実が熟することと二人の恋が成就することを掛けたもの。「や」は、肯定的な疑問。「問ひし子らはも」の「子ら」の「ら」は、接尾語。「はも」は、強い詠嘆。この表現には、深い追想の響きがあり、今まさに目の前で起きている出来事ではなく、「あの時、あの子はあんな風に言ってくれたなあ」と、過去を振り返り慈しんでいる視点です。その女性が今もそばにいるのか、あるいは遠い記憶の中の人になったのかは読み手に委ねられていますが、語り手の心の中に、その光景が鮮やかな色彩を伴って焼き付いていることが伝わります。

 
2490の「天雲に翼打ちつけて」は、雲に届くほど高く、力一杯羽ばたいて。「飛ぶ鶴の」の「の」は、~のように。上3句は、「鶴(たづ)」の同音で「たづたづし」を導く序詞。「たづたづし」は「たどたどし」の古語で、心細い、心もとない意の形容詞。「君しまさねば」の「し」は、強意の副助詞。「まさねば」の「います」は「来る」の尊敬語。あなたがいらっしゃらないので。結句は、単独母音イを含む8音の許容される字余り句。妻が夫に贈った恋歌ではありますが、上3句の序の鶴の描写が印象的な歌となっています。鶴は古来、群れをなして飛ぶ鳥ですが、ここでは一羽で大空を飛んでいる姿が想起されます。広大な空の中で、どこへ向かうべきか迷うような、あるいは力尽きそうな鶴の姿に、自分自身の不安定な精神状態を重ね合わせています。

 
2491の「寐ねぬ朝明に」は、眠れぬ明け方に。「鴛鴦」は、古来、夫婦睦まじい鳥とされていました。「こゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。ここを通って。「かく渡る」は、このように飛び渡ってゆく。「妹が使か」の「か」は、疑問。原文「妹使」で、イモガツカヒゾと訓むものもあります。前歌では、鶴が孤独に高く飛んでいましたが、本歌では、オシドリが自分のすぐ近くを「こゆかく」と飛び回ります。この距離感の縮まりが、作者の「せめて使いであってほしい」という切実な心理的接近を表現しています。窪田空穂はこの歌について、「相思う心は何らかの形で感応し合うという信仰があり、また、鳥に使を連想するのは伝統的な感情であるから、さして甚しいものではない。それよりも男は、雌雄むつまじい鴛鴦にそうした感をつないだことに慰みを感じたのである」と述べています。

 
2492の「思ひにし余りにしかば」の「思ひ」は恋心。「~にし~しかば」と畳み掛けることで、感情が自分のコントロールを超えて溢れ出した切迫感を強調しています。「思ひにし」の原文「念」で、オモフニシと訓むものもあります。「鳰鳥の」は、鳰鳥(カイツブリ)のごとくで、「なづさひ」にかかる枕詞。「なづさひ来し」は、水に濡れて来た意。「人見けむかも」は、誰かが見たのではないだろうかという疑念。男の歌で、川を渡って水に濡れて女の許にやって来た、あるいは夜露に濡れてやって来たことを言っているとされます。人目を忍ぶ関係だったようです。

 
2493の「しし」は、野生の獣のことで、ここはカモシカかといいます。上2句は、シシが群れをなすことから「友を多み」を導く序詞。「多み」は「多し」のミ語法で、多いので。この第3句は単独母音オを含むので、許容される字余り句。「袖振らず来ぬ」の「袖を振る」は、当時の代表的な求愛や親愛の合図であり、人目を憚って、その合図さえ送らずに通り過ぎたことを指します。原文「袖不振来」で、ソデフラズキツと訓むものもあります。多くの同行者とともに出かけた男が、後で妻に贈った形の歌です。人目という社会的障壁と、個人的な情愛の間で揺れ動く、スリリングな恋の駆け引きが感じられる一首です。
 


六歌仙

 「六歌仙」とは、日本初の勅撰和歌集『古今和歌集』(延喜5年:905年)の序文「仮名序(かなじょ)」において掲げられている6人の代表的な歌人のことで、僧正遍照(そうじょうへんじょう)、在原業平(ありわらのなりひら)、文屋康秀(ふんやのやすひで)、喜撰法師(きせんほうし)、小野小町(おののこまち)、大友黒主(おおとものくろぬし)の6人を指します。

 ただし、紀貫之の執筆によるこの「仮名序」には、もっと素晴らしい歌人として、柿本人麻呂と山部赤人が挙げられていて、六歌仙の人たちにはそれぞれ欠点があるとして指摘しています。たとえば、遍昭については「歌のさまはえたれどもまことすくなし」、業平については「その心あまりてことばたらず」、康秀については「ことば巧みにてそのさま身におはず」などと、かなり厳しいものです。

 これに対して、「仮名序」では、柿本人麻呂を「歌聖(うたのひじり)」、同じく紀淑望(きのよしもち)が漢文で書いた「真名序(まなじょ)」では、山部赤人を「和歌仙(わかのひじり)」としており、この二人について紀貫之は、「人麿は、赤人が上(かみ)に立たむことかたく、赤人は人麿が下(しも)に立たむことかたくなむありける」と記述しています。つまり、二人の実力は同列であると判断しているのです。

 なお、六歌仙に対して厳しく評価しているものの、それ以外の歌人については、わざわざ名を挙げて批評するに値しないとしているので、結局は六歌仙をそれなりに高く評価しているものです。
 


(紀貫之)

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。