| 訓読 |
2494
大船(おほぶね)に真楫(まかぢ)しじ貫(ぬ)き漕(こ)ぐほともここだ恋ふるを年(とし)にあらば如何(いか)に
2495
たらちねの母が養(か)ふ蚕(こ)の繭隠(まよごも)り隠(こも)れる妹(いも)を見むよしもがも
2496
肥人(こまひと)の額髪(ぬかがみ)結(ゆ)へる染木綿(しめゆふ)の染(し)みにし心我れ忘れめや [一云 忘らえめやも]
2497
隼人(はやひと)の名に負(お)ふ夜声(よごゑ)のいちしろく我が名は告(の)りつ妻と頼ませ
2498
剣大刀(つるぎたち)諸刃(もろは)の利(と)きに足踏みて死なば死なむよ君によりては
| 意味 |
〈2494〉
大船に多くの梶を取りつけて漕ぐ間さえ、あの子がこんなにも恋しくてならないのに、一年も逢えなかったらどんなであろう。
〈2495〉
母親が飼っている蚕が繭にこもっているように、家にこもって外に出ないあの子を見る方法があればなあ。
〈2496〉
肥人(こまひと)が前髪を結んでいる染木綿(しめゆふ)のように、深く染みこんでしまった私の思い、この思いをどうして忘れたりしましょうか、忘れはしません。
〈2497〉
あの有名な隼人の夜警の大声のように、はっきりと私の名を申し上げました。この上は、私を妻として頼みにして下さいね。
〈2498〉
剣の太刀の諸刃に足を踏みつけて、死ぬのなら死にもしましょう。あなたのためならば。
| 鑑賞 |
『柿本人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首。2494の「大船に真楫しじ貫き」は、大きな船の左右に多くの艪を取り付けて。「漕ぐほとも」の「ほと」は、短い時間。漕いでいるわずかな間も。「ここだ」は、こんなにもひどく。「ここだ恋ふるを」の原文「極太戀」で、ココダクコヒシと訓むものもあります。「年にあらば如何に」は、(この苦しさが)年単位の長い時間になったとしたら、どうすればよいのか(いや、耐えられない)」。反語的なニュアンスを含む嘆きで、下に「あらむ」が略されています。官人の男の航海中の歌と見られ、少しの逢えない時間や移動している短い時間でさえ、心が千々に乱れてしまう。その圧倒的な「恋の密度」を詠むことで、相手への執着の深さを伝えています。今、この瞬間でさえ死ぬほど苦しいという切迫感が、読者に強く訴えかけます。
2495の「たらちねの」は「母」の枕詞。「母が養ふ蚕の」は、母親が手塩にかけて育てている蚕(かいこ)。「繭隠り」は、蚕が繭の中に籠る意。上3句は「隠れる」を導く序詞。「隠れる妹」は、家の中に深く入っていて、外に出てこない愛しい女性。「見むよしもがも」の「見るよし」は、見る方法。「もがも」は、願望。見る方法があればなあ。男が恋心を寄せる娘は母に外出を禁じられているのでしょうか、繭に閉じ籠っている蛹を、一向に顔を出さない娘に譬えています。なお、冒頭の「たらちねの」の原文「足常」で、2368にあった「垂乳根」とは異なっています。ここで文字表記を変えているのは、常に充分足りている意を示唆し、下の句と照応して娘への行き届いた養育を印象づけるための作者の意図が感じられるところです。
2496の「肥人」は、熊本県球磨地方の人、あるいは朝鮮半島の高麗の人で、肥の国を本拠としていたところからの称。クマヒト、コヒヒト、ウマビトなどと訓むものもあります。「額髪結へる染木綿」の「額髪」は、前髪。「染木綿」は、何らかの色に染めた木綿。都人から見れば、珍しく印象深いものだったのかもしれません。上3句は「染みにし」を導く類音反復式序詞。「染みにし心」は、相手に深く思い入った心。「我れ忘れめや」は、我は忘れようか、いや決して忘れない、という反語。男が女に対して誠実を誓った歌で、一途で揺るぎない愛の告白となっています。
2497は、男の求婚に応じた女の歌で、前の歌の答歌とされます。「隼人」は、薩摩・大隅地方の勇猛な人々。「名に負ふ」は、有名な。「夜声」は、彼らが独特の吠声(はいせい)を発して宮廷を警護したといわれ、その声。上2句は、声の高い意で「いちしろく」を導く序詞。「いちしろく」は「いと白く」で、はっきりと。「我が名は告りつ」は、私の名は申し上げました、で、男の求婚に応じたことを意味します。「妻と頼ませ」の「頼ませ」は「頼め」の敬語で、妻として頼りになさってください。「隼人の夜声」という強烈な音を比喩に用いており、夜の静寂を切り裂くような大きな声のように、自分の決意を世間に知らしめたという開放感と覚悟が伝わります。
2498の「諸刃の利きに」は、両側に刃がついた鋭い剣の、そのもっとも切れる部分のこと。「足踏みて」は、その刃の上に裸足で立つ、あるいは踏みつけること。「死なば死なむよ」の原文「死々」で、シニニシシナム、シナバシヌトモ、シニモシニナムなどと訓むものもあります。「死なば死なむよ」は、死ぬのなら死んでしまおうという強い開き直りと決意。「君によりては」は、あなたのためなら。窪田空穂はこの歌について、「女の貞実を誓う歌は多いが、これはその程度のものではなく、まさに献身的なもので、しかも燃ゆるごとき情熱をもったものである。調べもそれにふさわしく、思い詰めた心の強さをあらわしている。その意味では例のない歌である」と述べています。『万葉集』では、剣太刀が武器として詠われているものは少なく、大半が熱烈な恋の歌です。この歌もかなり凄みの利いた恋文となっています。

枕詞の「たらちねの」について
『万葉集』に24例あり、すべて「母」にかかる枕詞ですが、その語義・かかり方とも未詳とされます。他に「たらちし」「たらちしの」「たらちしや」の例がありますが、1例ずつのため、「たらちねの」が元の形と見られています。表記は、「ち」に「乳」の字をあてたものが半数近くあるので、母に乳を意識し、それが垂れるのは母がその乳を子にたっぷり飲ませた証しだとして「垂乳ね」(ネは親しい人を呼ぶのに用いる語または尊称)とみる説が古来あるものの確証はありません。集中最も古い例は『柿本人麻呂歌集』所収の歌に「足常の母・・・」(巻第11-2495)とあり、タラツネノとも訓みます(上の24例には入れていません)。「足常」は、母を常に十分足りている人の意を表したものとして、「ち」を乳と見ることを否定する説もあります。
中古になると「たらちねの」は「親」にかかるようになり(もっとも、実質的にその親は母親である場合が多い)、その一方で、「母」だけを意味する「たらちめ」という語と、「父」の意の「たらちを」という語もできました。
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隼人(はやひと)について
古代、南九州地方(大隅・薩摩)に住み、熊襲(くまそ)のほかに長らく大和政権に従わなかった集団。隼人の系統についてはインドネシア系などとする説があるが明らかでない。5世紀後半頃には服属したらしく、天武朝以降は中央に上番(じょうばん)して宮門の警衛などに当たり、一部は近畿地方に移住した。令制では隼人の司(つかさ)に管轄され、宮城の警衛に当たった。また、儀式の際には参列して犬の吠声のような声を発したり、風俗(ふぞく)の歌舞などを行なって奉仕し、また竹笠の造作に従事した。
これらの隼人は、日向隼人・大隅隼人・薩摩隼人・甑(こしき)隼人などとそれぞれ地名を冠して呼ばれ、地域的に割拠分散し互いに部族集団を結成して対立し、統一的な政治権力を作り上げていなかった。そのことが大和政権の統治を許す最大の原因ともなった。しかし、8世紀になって薩摩・大隅両国が日向国から分立し、律令支配が浸透すると、隼人は朝廷に対し抵抗するようになり、養老4年(720年)には大規模な反乱を起こした。このとき、大隅国守の陽侯史麻呂(やこのふひとまろ)が殺害され、大伴旅人を持節大将軍とする征隼人軍が派遣されている。
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