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巻第11(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第11-2504~2507

訓読

2504
解(と)き衣(きぬ)の恋ひ乱れつつ浮真砂(うきまなご)生きても吾(われ)はありわたるかも
2505
梓弓(あづさゆみ)引きて許さずあらませばかかる恋には逢はざらましを
2506
言霊(ことだま)の八十(やそ)の衢(ちまた)に夕占(ゆふけ)問ふ占(うら)まさに告(の)る妹(いも)は相(あひ)寄らむ
2507
玉桙(たまほこ)の道行き占(うら)に占(うら)なへば妹(いも)は逢はむと我(わ)れに告(の)りつも

意味

〈2504〉
 ほどいた着物のように恋に乱れて、私は、水に流れる細かな浮き砂のように、ただふわふわと息をしながら生きているだけです。
〈2505〉
 梓弓を引きしぼって緩めないように、気持ちを緩めずにいたなら、こんなつらい恋には出逢わなかっただろうに。
〈2506〉
 言霊が宿る四つ辻に、夕方出向いて恋占いをやってみたら、お告げがはっきりと出た。お前の思う子はきっとお前になびいてくれる、と。
〈2507〉
 道を行きながら恋占いをしてみたら、あの人はきっとお前に逢うだろうとのお告げが出たよ。

鑑賞

 『柿本人麻呂歌集』から「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」4首。2504の「解き衣」は、解きほぐした衣。「解き衣の」は、糸を抜いて解いた衣の乱れるところから「恋ひ乱る」にかかる枕詞。「浮真砂」は、軽くて水面に浮いている砂。その類音反復で「生き」にかかる枕詞とされますが、自身の存在の軽さ、儚さ、不安定さの譬喩的な性格も認められるものです。「ありわたるかも」は、あり続けていることよ、ずっと生き続けていることよ。窪田空穂は、「男に忘れられた女の、諦められずに夫を思いつつ、生き甲斐もない生き方をしているのを客観視して、嘆いた心である。『浮沙生きても吾は』という譬喩は、新味とともに沈痛味を帯びたものである。じつに得難い続きである」と述べています。

 
2505の「梓弓」は、梓の木で作った弓。「梓弓引きて」を「許さず」にかかる序詞と見る説と、「梓弓引きて許さず」の2句を絶えず緊張して気持を緩めないことの譬喩とする説があります。「かかる恋には」は、こんなにも(辛い・狂おしい)恋には。「逢はざらましを」の「まし」は、実現しなかったことへの強い後悔や未練を表す助動詞で、「せば」の結。男の歌とも女の歌とも取れますが、久米禅師石川郎女の贈答歌(巻第2-96~100)にあったように「(弓を)引く」はすべて男性側の行為を表していることから、男の歌だろうとする考え方があります。「かかる恋(辛い恋)」とあるのは、すべてを捨てて結ばれたからこそ、その後に伴う社会的苦境や精神的摩耗に耐えかねているのか。あるいは、叶わぬ恋に足を踏み入れてしまった自分を責めているのか。 いずれにせよ、恋を「優雅な遊び」ではなく、「自分を壊してしまうほどの重大な事件」のように捉えています。

 
2506の「言霊」は、言葉に宿っている力。「八十の衢」の「八十」は数の多い意で、諸方へ道が分かれる辻。「八十」は、上からの掛詞にもなっており、言霊が多く集う意。「夕占」は、辻占(つじうら)または道占(みちうら)ともいい、夕方、道端に立って、一定の範囲の場所を定め、米をまいて呪文を唱えるなどして、その場所を通る通行人のことばを聞いて吉凶禍福を占ったといいます。辻は、人だけでなく神も通る場所であると考えられ、偶然そこを通った人々の言葉を神の託宣と考えたようです。また、 時代が下った江戸時代には「辻占売り」というものが現れて、吉凶の文句などを書いた紙片を、道行く人に呼びかけて売るようになったといいます。「正に告る」は、占いの結果がまさに確実なものとして告げられた「妹は相寄らむ」はそのお告げの内容で、妹は我に寄るだろう、あの子はあなたと結ばれるだろう。

 
2507の「玉桙の」は「道」の枕詞。道の曲がり角や辻などに魔除けのまじないとして木や石の棒柱が立てられていたことによります。「道行き占」は、道を行く人の言葉によってする占いで、2506の「夕占」とほぼ同じ。「妹は逢はむと」は、愛するあの子は(あなたに)逢うだろう、結ばれるだろうという占いの結果。「我れに告りつも」の「も」は詠嘆で、占いの結果が自分の願望通りであったことへの強い感激と納得が込められています。この2首は連作とされ、2506は、占いの現われた瞬間の心、2507は、逢えないのではという不安を抱きながら女の家に向かいつつも、神意の伴っていることだとして自身を励ましている歌とされます。
 


うら(裏・浦・占)

 オモテ(表)の対。表面から隠れて見えないものがウラであり、それをオモテに現わすこともウラといった。ウラには「裏」「浦」「占」などの文字が宛てられるが、基本は右に示した原意に収まる。裏は表の反対だから、もっともわかりやすい。浦は、湾曲した海岸線、すなわち入江を意味し、海上からは隠れて見えない場所。

 「占」は、隠れた神意を表に現わすことで、『万葉集』には、当時のさまざまな占が見えている。「夕占(ゆふうら。ゆふけ)」、「足占(あしうら・あうら)」、「道行き占」、「水占(みなうら)」などである。

 夕占は、吉凶を知りたい者が衢(ちまた:辻)に立ち、そこに行き交う人びとの何気ない言葉を記憶して、それを占い者に判断してもらう占のこと。道行き占も同様である。夕べに行うので夕占と言った。道の果ては異界に通じていると信じられたから、そこを通行する者の中には、悪霊や魑魅魍魎(ちみもうりょう)の類も混じっていると考えられた。他方、その中には、人知を超える呪能をもつ者もいるとされた。しかも、衢は道の集まるところだから、そこにはさまざまな神秘が生ずる。そこで衢を行き交う人の言葉には、未来の吉凶を予言する不思議な力が宿るとされた。夕べは、神の時間と人の時間の接点だから、異界の神秘と触れあうことのできる特別な時間とされた。

 足占は、左右の足に予め吉凶を定め、どちらの足で目標に着いたかで判断する占、水占は、水面に縄のようなものを浮かべ、それにかかる物で判断する占というが、どちらも実態は不明である。鹿の肩胛骨に焼いた錐(きり)を突き通し、その通り具合や周囲に生じたひびの形状で吉凶を判断する占もあった。大陸伝来の亀甲を用いた占(亀卜:きぼく)もあった。いずれにしても隠れた神意を明らかにするところに、それらの占の目的がある。

 人の内面もウラと呼ばれた。心と言い換えてもよいが、表面からは察知できない、そのありようが問題とされる時にウラと呼ばれた。この場合は、ウラナシという否定形の例がわかりやすい。

~『万葉語誌』から抜粋引用

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万葉人の恋愛模様

 恋の歌が多く収められている『万葉集』ですが、当時の男女の恋愛のあり方はどのようなものだったのでしょうか。数多の歌などから察せられるところでは、万葉期の男女には、おもに3つの出会いの場所があったとされます。

 まず、現代のコンパともいえる「歌垣(うたがき)」。これは、春と秋、山や水辺などの決まった場所に男女が集い、飲食を共にして性を解放した場です。その際、お互いに歌を詠いかけることが求愛のしるしとされましたから、若者にとって、歌を詠むことは、恋愛を成就させるために大事なスキルだったのですね。

 「野遊び」というのも行われました。これはもともと、その年の豊饒を前もって祝うために男女が春の一日を野山で過ごすという行事でしたが、だんだん歌垣のような会合になっていったようです。また、当時の繁華街ともいうべき「市」も男女の出会いの場でした。市では物の流通ばかりでなく、人々の交流も盛んに行われました。多くの人々が集まるため、男女の出会いの格好の場所となったのです。

 カップルが結ばれるまでの過程は、おおよそ3つの段階がありました。まず、男性が好きになった女性に対して「名告(なの)り」を求めます。名前には霊魂が宿っていると考えられていたので、女性が男性の求めに応じて自分の名を教えることは、求婚の承諾を意味しました。

 めでたく相手の名前を教えてもらった男性は、女の家を訪れて一夜を共にします。もっとも、万葉の恋人たちは、2人の関係を他人に知られるのを極端に嫌いましたから、薄暗くなる夕方に男が女のもとを訪れ、夜明け前に帰るというのが当時の逢引のかたちでした。男たちは、月明かりだけをたよりに、女のもとを往復したんですね。これがいわゆる「呼ばい(夜這い)」です。

 もっとも、夜這いの段階では、しばしば母親が娘の監視役となり、訪れてくる男性を妨害しようとしたこともあったようです。本来は親の同意が得られてようやく婚姻が成立するのですが、それでも男性は夜な夜な妻を訪れ、朝方には帰宅しました。この時代は「妻問い婚」という婚姻形態だったのです。 

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。