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巻第11(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第11-2513~2516

訓読

2513
鳴る神の少し響(とよ)みてさし曇り雨も降らぬか君を留(とど)めむ
2514
鳴る神の少し響(とよ)みて降らずとも我(わ)は留(とど)まらむ妹(いも)し留(とど)めば
2515
敷栲(しきたへ)の枕(まくら)響(とよ)みて夜(よる)も寝ず思ふ人には後(のち)も逢ふものを
2516
敷栲(しきたへ)の枕は人に言問(ことと)へやその枕には苔(こけ)生(む)しにたり

意味

〈2513〉
 少しでいいから雷が鳴り、空がかき曇って雨でも降ってこないかしら。そうすればあなたをお留めできるのに。
〈2514〉
 雷が少しばかり鳴って、雨が降るようなことがなくても、私は留まるよ。お前が引き留めてくれるのなら。
〈2515〉
 枕がしきりに動いて音を立てるのでなかなか寝られない。こんなに音を立てるのは、恋い焦がれている人にやがて逢える証拠だ。
〈2516〉
 枕は、人に言葉などかけてくれるわけないでしょう。その枕には苔が生えているのではないですか。

鑑賞

 『柿本人麻呂歌集』から、「問答歌(問いかけの歌とそれに答える歌によって構成される唱和形式の歌)」2組。2513は、来ている夫をとどめようとする妻の歌で、2514は、それに答えた夫の歌。2513の「鳴る神」は、雷のこと。古代、雷は神の意志の現れと考えられていました。「少し響みて」は、少し鳴り響いて。「さし曇り」は、空一面がさっと暗くなって。「雨も降らぬか」の「も~ぬか」は願望で、雨でも降ってくれないか。「君を留めむ」は、あなたを(帰さずに)引き留めよう。原文「君將留」で、キミカトマラム、キミハトマラムなどと訓むものもあります。この歌の大きな魅力は、自分の意志で「帰らないで」と言う代わりに、雨のせいにしようとしている点にあります。本当はもっと一緒にいたいけれど、それを直接口にするのは気恥ずかしい、あるいは当時の礼儀として難しい。そこで「雨が降ってきたから仕方がないですね」という口実を神様に求めているのです。また、大雨による足止めを願うのではなく、「少し響みて」と言っているところに、作者の繊細な感覚があります。激しすぎる雷雨は怖いけれど、帰る足を鈍らせる程度の「優しい雨」を望む。この慎ましやかな、しかし強烈な執着心が、万葉人の恋の深さを物語っており、また女らしいところでもあります。

 
2514の「妹し留めば」の「し」は、強意の副助詞。男は、妻の「雨が降ればいいのに(=本当はいてほしい)」という遠回しな甘えをしっかりと受け止めた上で、「君がいてほしいと言うなら、僕はそれだけで十分だ」と返しています。非常にストレートで力強い愛の告白であり、この、相手の真意を汲み取った上での「正解の返し」は、現代の私たちが読んでも非常に粋(いき)で、胸を打つものがあります。斎藤茂吉は、「万葉のこのあたりの問答歌は流石に浮泛でなくてもしっとりとしている。これ等の歌は人麿調とは限らぬけれども、ひょっとせば人麿もこういう男女のつもりになって作歌してみたのかもしれない」と言っています。

 2515は男の歌、2516はそれに答えた女の歌。
2515の「敷栲の」は「枕」の枕詞。「枕響みて」は、激しく寝返りを打って枕がきしむ様子を表現したもの。原文「枕動」で、マクラウゴキテと訓み、しきりに寝返りをすること自体を言ったとする説がありますが、次歌との関係ではトヨミテの方が相応しいと考えられます。「後も逢ふものを」の原文「後相物」で、ノチモアハムモノ、ノチモアハムカモなどと訓むものもあります。なかなか恋人と逢えない男が、もうすぐ逢えるから待っていてくれという気持ちをこめて贈った歌であり、枕が動いて音を立てることが恋人に逢える前兆だと考えられていたようです。

 
2516の「枕は人に」の原文「枕人」で、マクラモヒトニと訓むものもあります。また、マクラセシヒト、マクラニヒトハと訓み、人を主体に解するものもあります。「言問へや」の原文「事問哉」で、コトトフヤと訓むものもあります。「苔生しにたり」は、使わないまま古くなったことの譬喩。女は、男が実は逃げ腰であるのを見抜いており、強い皮肉を込めてやり返しています。一方で、前歌を女の歌、こちらを男の歌とする見方もあり、女が枕によせて訪れの途絶えた男に恨み言を言ったのに対し、男は、気味の悪い枕だと話をそらしながら応じたものだと捉えています。
 


『万葉集』の謎

 『万葉集』は、古代日本人の素朴で豊かな情操を伝える日本最古の歌集ですが、編纂経緯や背景については今なお数々の「謎」や「論争」が存在します。主要な謎を整理すると、大きく分けて次の4つに集約されます。

  1. 編纂に関する謎
     編纂者が誰なのかについて、一般には大伴家持が最終的な編纂に深く関わったとされていますが、確定した史料はありません。家持個人の私的歌集(家持集)に他者の歌を補いながら作られたという説や、複数の人物によって段階的に編まれたという説(段階的成立説)が有力です。
     また、『古今和歌集』や『新古今和歌集』といった後世の勅撰和歌集には必ず立派な「仮名序」「真名序」が存在しますが、万葉集には成立の経緯や撰者を示す決定的な序文が存在しません。そのため「勅撰(天皇の命によるもの)」なのか「私撰(個人の手によるもの)」なのかさえ決着がついていません。
  2. 歌の配列と構造の謎
     全20巻の中で、巻第16は「由縁のある歌(伝説や民話に基づく歌)」や「笑い歌・戯れ歌」が多く収められており、他の巻と明確に趣が異なります。なぜこのような構成で組み込まれたのかは、『万葉集』の構造を読み解く大きな疑問となっています。
     また、各巻の成立順序について、巻第1から巻第20までが年代順に作られたわけではなく、成立時期が入り組んでいることが分かっています。巻第1~16と巻第17~20(家持の歌日記的側面が強い)の間には構造的な差があり、全体の統一意図がどこにあったのかが議論されています。
  3. 表記と読みに関する謎(万葉仮名)
     『万葉集』は、漢字の音や訓を借りて日本語を表記する「万葉仮名」で書かれていますが、一つの音に対して使われる漢字が多岐にわたり、古代日本語の複雑な母音体系(上代特殊仮名遣い)を反映しています。平安時代末期にはすでに当時の人々にも読めなくなりつつあり、鎌倉時代の僧・仙覚らによって補読(点本)が行われて初めて現代に伝わる読みが確定しました。しかし、原本(直筆本)が存在しないため、写本による字句の表記揺れや誤写の検証が今も続けられています。
  4. 歴史的背景と隠された?意図
     『万葉集』には、有間皇子、長屋王、大津皇子など、政争に敗れて悲劇的な死を遂げた人物の歌が数多く含まれています。単なる文芸集ではなく、政治的敗者の霊を慰め鎮める(鎮魂)ための集録としての機能を持っていたのではないかという説が強く主張されています。また、編纂に関わったとされる大伴氏は、藤原氏の台頭によって政治的地位を追われつつある名門軍事貴族でした。家持が自一族の歴史やアイデンティティ、古代からの伝承を残すために万葉集を編んだのではないかという視点もあります。

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古典に親しむ

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