| 訓読 |
2527
誰(たれ)そこのわが屋戸(やど)来(き)喚(よ)ぶたらちねの母にころはえ物思(ものおも)ふ吾(われ)を
2528
さ寝(ね)ぬ夜(よ)は千夜(ちよ)もありとも我が背子(せこ)が思ひ悔(く)ゆべき心は持たじ
2529
家人(いへびと)は道もしみみに通へども吾(あ)が待つ妹(いも)が使(つかひ)来(こ)ぬかも
2530
あらたまの寸戸(きへ)が竹垣(たけがき)編目(あみめ)ゆも妹(いも)し見えなば吾(あ)れ恋ひめやも
2531
吾(わ)が背子(せこ)がその名(な)告(の)らじとたまきはる命(いのち)は捨てつ忘れたまふな
| 意味 |
〈2527〉
誰ですか、私の家に来て呼ぶのは。母にひどく叱られて、物思いにふけっている私なのに。
〈2528〉
共に寝られない夜が千夜続いたとしても、あなたが後悔なさるような心は決して持ちません。
〈2529〉
家々の人は道にあふれるほど行き来しているが、我が待っている彼女からの使いはやって来ないものか、来てくれよ。
〈2530〉
寸戸の竹垣の編み目を通してなりとも、愛しいあの子の姿が見えるなら、私はこんなにも恋い焦がれたりするものか。
〈2531〉
愛しいあの人の名は決して口外しまいと、私は自分の命を捨てました。私を忘れないでください。
| 鑑賞 |
作者未詳の「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」5首。2527の「誰そ」は、誰であるか。「このわが屋戸来喚ぶ」は、この私の家の門口まで来て呼ぶのは。原文「吾屋戸来喚」で、ワガヤドニキヨブと8音の字余りに訓むものもありますが、伊藤博は、「ニがないだけ、『やど』全体に呼びかけるような感じがこもる」と言っています。「たらちねの」は「母」の枕詞。「ころはえ」は、激しく叱られて、の意で、「は」は継続、「え」は受身。娘が男と今夜逢おうと母に打ち明けたものの、「あんな男はやめときなさい!」と叱られ、ちょうどその時、タイミング悪くその男がやって来たのでしょうか。この時代の日本は厳密な意味での「母系社会」ではなかったというものの、母親の地位は高く、とくに娘の結婚に母親が口出しし、婿選びをするなど、結婚決定権は父親ではなく母親にあったと言います。集中には、この歌のほかにも母親が娘の交際相手を管理し、時には恋の障害となる歌が数多く見られます。
2528の「さ寝ぬ」の「さ」は、接頭語。「さ寝」は、男女の共寝を意味することが多い語です。「思ひ悔ゆべき心」は、(私と恋したのを)後悔するような心。「持たじ」の「じ」は、意志のこもる打消の助動詞。持つまい。作者は、「後悔」こそが愛に対する最大の不実であると考えているらしく、「悔いる心は持たじ」という結びには、自分の選択と愛に対する絶対的なプライドが宿っているかのようです。窪田空穂は、「男に何らかの事情があって、妻に逢い難くしている時、女が男に対して、貞節を誓った心のものである。『思ひ悔ゆべき』は、女が他に心を移し、男をして不貞な女を相手としたと後悔させる意をいったもので、一般に行なわれた語である」と説明しています。
2529の「家人」は多くは家族を意味しますが、ここではよその家々の人々、里人。あるいは律令において賤民として公認された、後世の家人(けにん)にあたる人で、男女間の連絡などに使われていた人々を意味するともいいます。「道もしみみに」は、道も狭くなるほどぎっしりといっぱいに。「来ぬかも」は、来ないものかなあ。この歌からは、やや身分ある夫婦の逢引は、あらあじめ案内をした上でなされたらしいことが分かります。あるいは、作者が待っているのは、昨夜の逢引の素晴らしさを告げる使いである可能性もありますが、やはり今夜の逢引を期待する夕方の使いなのでしょう。「道もしみみに」という活気に満ちた周囲の賑やかさの描写が、たった一人の使いを待つ作者の「静かな孤独」をいっそう引き立てる舞台装置となっています。
2530の「あらたまの」は「寸戸」にかかる枕詞とされますが、掛かり方未詳。「寸戸」は、未詳ながら、機織に携わる帰化人、またその人々の地、あるいは竹垣を廻らしたある種の建造物ではないかとする説などがあります。「編目ゆも」は、編み目(隙間)を通してでも。「妹し見えなば」の「し」は強意の副助詞、「見えなば」は、見えたなら。「吾れ恋ひめやも」は、私は(これほどまでに)恋い焦がれるだろうか。(いや、こんなに苦しまずに済むだろうに)。「垣根」という物理的な障害物と、そのわずかな「隙間」にかけられた執着心が歌われています。古代の恋愛においては、女性は家の奥深くにおり、家を囲む垣根は男女を隔てる象徴的な壁でしたが、垣根越しに覗き込んででも姿を見たいという、なりふり構わぬ情熱が伝わります。
2531の「吾が背子が」の「が」は連体格助詞で、わが背子の。「告らじ」は、口外しまい。「たまきはる」は、霊(霊力・生命力)が極まる意で「命」にかかる枕詞。「命は捨てつ」は、命を捨ててしまいました(それほどの覚悟でおります)。単なる「死ぬ気で」という比喩を超え、「私の命はもうあなたに捧げたもの(あるいは、死んでも悔いはないもの)として処理済みである」という凄まじい決意を示しています。「忘れたまふな」は、お忘れにならないでください。女が、秘密にしている相手を母から詰問されたことを、男に訴えた歌とされます。窪田空穂は、「心は純真であるが、歌としては上手ではない」と評しています。

巻第11と第12
巻第11と第12は「古今相聞往来歌類」という名が付いていて、巻第11が上巻、第12が下巻という構成になっています。各巻のそれぞれの部立ては以下の通りになっています。
(巻第11:古今相聞往来歌類上巻)
(1)旋頭歌 15首(柿本人麻呂歌集の歌・古歌集)
(2)正述心緒 47首(柿本人麻呂歌集の歌)
(3)寄物陳思 94首(柿本人麻呂歌集の歌)
(4)問答 9首(柿本人麻呂歌集の歌)
(5)正述心緒 104首
(6)寄物陳思 193首
(7)問答 20首
(8)比喩 13首
(巻第12:古今相聞往来歌類下巻)
(1)正述心緒 10首(柿本人麻呂歌集の歌)
(2)寄物陳思 14首(柿本人麻呂歌集の歌)
(3)正述心緒 100首
(4)寄物陳思 193首
(5)問答 26首
(6)羇旅發思 53首
(7)悲別歌 31首
(8)問答 10首
巻第11・12の歌は、巻第13と同じく全て「作者未詳歌」で、詞書もなく配列されている巻です。このためもあって、作成年代は、研究者の間でも確定していません。
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