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巻第11(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第11-2550~2554

訓読

2550
立ちて思ひ居(ゐ)てもぞ思ふ紅(くれなゐ)の赤裳(あかも)裾(すそ)引(ひ)き去(い)にし姿を
2551
思ひにし余りにしかばすべをなみ出(い)でてそ行きしその門(かど)を見に
2552
情(こころ)には千重(ちへ)しくしくに思へども使(つかひ)を遣(や)らむすべの知らなく
2553
夢(いめ)のみに見てすらここだ恋ふる吾(あ)はうつつに見てばまして如何(いか)にあらむ
2554
相(あひ)見ては面(おも)隠さるるものからに継(つ)ぎて見まくの欲(ほ)しき君かも

意味

〈2550〉
 立っていても座っていても思われてならない。紅の赤裳の裾を引きながら歩み去っていったあの娘の姿が。
〈2551〉
 恋の思いのあまり、どうにもならなくなって、つい出かけてしまった。愛しいあの子の家の門を見るために。
〈2552〉
 心の中では幾度も幾度も繰り返し思い焦がれているのだけれど、文の使いをやる手だても分からない。
〈2553〉
 夢の中で逢ってさえ、こんなにもあの子に恋い焦がれるのに、まして現実に逢ったなら、いったいどんなことになるのだろう。
〈2554〉
 顔を合わせると、恥ずかしくて顔を隠したくなるのですが、それなのに、すぐにまた見たいと思う、あなたなのです。

鑑賞

 作者未詳の「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」5首。2550の「立ちて思ひ居てもぞ思ふ」は、立っていても座っていても(四六時中)思っている。「裳」は、女性が腰から下に着た衣。「赤裳裾引き」の語は、山上憶良の歌(巻第5-804)や高橋虫麻呂の歌(巻第9-1742)にも見え、女性の優美な姿の常套表現であったようです。優雅でありながら、どこか遠ざかっていく「距離」を感じさせる描写です。「去にし姿を」は、去っていった、その姿を。若い男の作と見られ、道をほのかに歩み去っていった女の姿が忘れられない、と言っています。作者が思い出しているのは、自分に向かってくる姿ではなく、去っていく後ろ姿です。 裾を引いて歩く優雅な動作は、同時に作者との距離が刻一刻と開いていく絶望的な時間でもあります。その美しければ美しいほど残酷な光景を、反芻せずにはいられないという執着が描かれています。

 
2551の「思ひにし」の「し」は、強意の副助詞。原文「念之」で、オモフニシと訓むものもあります。「思ひにし余りにしかば」は、思案にあまったので、思い余ってしまったので。「すべをなみ」は、どうしようもないので、の意。「出でてそ行きし」は、(家を)出て行ってしまったのだ。強意の助詞「そ(ぞ)」が、突き動かされるような衝動を強調しています。「その門を見に」とあるのは、本人に逢える保証はない、あるいは逢ってはいけない事情がある。それでも、相手の存在を感じさせる「門」だけでも見たいという、切実な目的地設定です。片思い、あるいは関係を結んで後に女に妨げが起こって逢えなくなったことを嘆く男性の歌です。

 
2552の「情には」は、心の中では。「千重にしくしく」は、極めて頻繁に、重ね重ね、の意。次から次へと思いが募る様子を表します。「すべの知らなく」は、手だても分からないことよ。結句は女らしい調べながら男の立場の歌と見られ、娘との関係が、その家の者には秘密にしているので、逢引の約束を取り持つ使いをやる方法がないのを嘆いています。どれほど深く激しく思っていたとしても、伝えられなければ相手にとっては「存在しない」のと同じであり、その非情な現実に、作者は打ちひしがれています。

 
2553の「夢のみに見てすら」は、夢の中で見るだけでさえ。「ここだ」は、こんなに甚だしく。「まして如何にあらむ」は、ましてどうなることだろうか。女に懸想している男が、明るい気持ちで空想して詠んだ歌で、逢えない苦しみや手段のなさを逆手に取り、「もし逢えたらどうなってしまうのか」という想像の極致を詠んだ一首です。窪田空穂は、「独詠に似ているが、それだと、このようにくわしくいう必要はないから、訴えの心をもって女に贈ったものと思われる。『うつつに見てはまして如何にあらむ』は、恋の成立を信じられた場合の訴えとしては、相手を動かす効果の上からは、相応に有力なもので、最も巧みな訴えと言いうるものである。その意味で上手な歌である」と述べています。

 
2554は、結婚後間もない女の歌。「相見ては」は、実際に向かい合って逢うと。「面隠さるる」の「るる」は、自発「る」の連体形で、自然に顔を隠してしまう意。「ものからに」は、そういうものと決まっているのに、決まって自然に。「継ぎて」は、引き続いて、絶え間なく。「見まく」は「見む」のク語法で、名詞形。「見たいけれど恥ずかしくて見られない、でもやっぱり見たい」という恋のジレンマを歌っています。作家の田辺聖子はこの歌について、「可憐な新妻の風情であるが、それにしても『 万葉集』の歌いぶりは古今独歩のもの、こんなに率直で飾り気のない言葉を並べながら、その奥にわくわくする心はずみ、美しい羞恥が揺曳(ようえい)し、たいそうデリケートな、清らかなエロスとなって発散している」と評しています。
 


歌の形式

  • 片歌
    5・7・7の3句定型の歌謡。記紀に見られ、奈良時代から雅楽寮・大歌所において、曲節をつけて歌われた。
  • 旋頭歌
    5・7・7、5・7・7の6句定型の和歌。もと片歌形式の唱和による問答体から起こり、第3句と第6句がほぼ同句の繰り返しで、口誦性に富む。記紀や 万葉集に見られ、万葉後期には衰退した。
  • 長歌
     5・7音を3回以上繰り返し、さらに7音の1句を加えて結ぶ長歌形式の和歌。奇数句形式で、ふつうこれに反歌として短歌形式の歌が1首以上添えられているのが完備した形。記紀歌謡にも見られるが、真に完成したのは万葉集においてであり、前期に最も栄えた。
  • 短歌
    5・7・5・7・7の5句定型の和歌。万葉集後期以降、和歌の中心的歌体となる。
  • 仏足石歌体
    5・7・5・7・7・7の6句形式の和歌。万葉集には1首のみ。

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