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巻第11(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第11-2555~2559

訓読

2555
朝戸(あさと)を早くな開(あ)けそあぢさはふ目が欲(ほ)る君が今夜(こよひ)来ませる
2556
玉垂(たまだれ)の小簾(をす)の垂簾(たれす)を行きかちに寐(い)はなさずとも君は通(かよ)はせ
2557
たらちねの母に申(まを)さば君も我(あ)れも逢ふとはなしに年ぞ経(へ)ぬべき
2558
愛(うつく)しと思へりけらしな忘れと結びし紐(ひも)の解(と)くらく思へば
2559
昨日(きのふ)見て今日(けふ)こそ隔(へだ)て我妹子(わぎもこ)がここだく継(つ)ぎて見まく欲(ほ)しきも

意味

〈2555〉
 朝の戸を早く開けないで。逢いたかったあの方が、今夜はいらっしゃっているから。
〈2556〉
 玉を垂らした簾(すだれ)を通れずに共寝することができなくても、どうかあなたは通ってきていらっしゃいませ。
〈2557〉
 二人の仲を母に打ち明けてしまえば、あなたも私も、逢うことはできずに、何年も過ぎていくでしょう。
〈2558〉
 あの方は私のことを可愛いと思って下さっているらしい。忘れるなよと言って結んでくださった紐がほどけてしまうのを思うと。
〈2559〉
 昨日逢って今日一日離れているだけなのに、これほどにあの子に続けて逢いたいと思うのか。

鑑賞

 作者未詳の「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」5首。2555は、夫婦関係が公になっている女が、夫を迎え入れている夜に、家人に命じている歌。「朝戸を」は4音の字足らずとなるためアサノトヲと訓むものもありますが、『万葉集』にアサノトは無いとされます。「早くな開けそ」の「な~そ」は、懇願的な禁止。「あぢさはふ」の語義・掛かり方とも未詳ながら「目」の枕詞。「目が欲る」は、見たい、お逢いしたい。「今夜」は、昨夜のこと。一日が日没から始まるとする考え方によります。「来ませる」は「来(く)」の尊敬語「来ます」に完了・存続の助動詞「り」の連体形がついたもの。愛する人と過ごす時間を一分一秒でも長く引き延ばしたいという、時代を超えた普遍的な恋心を鮮やかに切り取った作です。

 
2556の「玉垂の」は、玉を緒に貫いて簾(すだれ)に垂らしたものかといい、緒と続いて「小簾」にかかる枕詞。「小簾」の「小」は接頭語。上代には、家の出入り口にかけてあったとされます。「行きかちに」の原文「往褐」で、訓義は諸説あります。上掲の解釈とは異なり、行ったり来たりして様子を窺い、のように解する説もあります。「寐はなさずとも」の「寐」は眠る意の名詞、「なす」は「寝(ぬ)」の尊敬語。「君は通はせ」の「通はせ」は「通う」の尊敬語の命令形で、どうかあなたは通ってきていらっしゃい。男性が女性の部屋の簾をくぐって入ることは、共寝(性愛)を前提とした行為でしたが、作者は「たとえ(何らかの事情で)一緒に寝ることが叶わなくても、姿を見せてくれるだけでいい、家に来てくれるだけでいい」と訴えています。肉体的な充足よりも、相手が自分を思って足を運んでくれるという誠意や心の繋がりを重視していることが察せられます。

 
2557の「たらちねの」は「母」の枕詞。「母に申さば」は、母に二人の関係を打ち明けたならば。「逢ふとはなしに」は、逢うことができないままに。「年も経ぬべき」の「べき」は推量・当然の助動詞で、強い懸念を表しています。原文「年可経」で、トシハヘヌベシと訓むものもあります。男が「お母さんの許しを得よう」と言ったのに対し、娘が、「母は決して私たちのことを許しはしないでしょう。だから、黙っていましょう」と答えたもののようです。

 
2558の「愛しと」は、可愛いと。現代の「可愛い」よりも幅広く、いとしい、慈しみたいという深い愛情を指します(下記参照)。「思へりけらし」の「けらし」は、過去の助動詞「けり」と推量の「らし」が合わさったもので、発見と納得の感動を含んでいます。「な忘れ」の「な」は、禁止。「解くらく」は名詞で、解けること。下紐の解けるのは、人に思われているしるしだとする俗信によっており、作者は、不意に解けた紐を見て、「ああ、あの方は約束通り、私を忘れずに思ってくれているんだ!」とはっと気づきます。「思へりけらしな」という語尾には、不安が氷解し、ぱあっと明るくなった心の動きがよく表れています。

 
2559の「ここだく」は、こんなに甚だしく。「継ぎて」は、続けて、いつも。「見まく」は「見む」のク語法で名詞形。「見まく欲しきも」の原文「見巻欲毛」で、ミマクホリカモ、ミマクホシカモ、ミマクシホシモなどと訓むものもあります。恋の情熱が最高潮に達している時の時間の感覚を表現した歌であり、昨日会ったという事実は、普通なら満足感に繋がるはずですが、恋の火がついた者にとっては、それが逆に逢えない今日の寂しさを際立たせる毒となります。その空白を、ずっと逢っていないかのように大げさに嘆く姿は、古今東西変わらぬ恋の心理です。
 


うつくし

 ウツクシは、親子・夫婦・恋人どうしの間で、相手を慈しみたい、いたわってやりたい、大切にしてやりたいとする感情。庇護すべき対象に向かう時に生起する感情である。とりわけ子供に対してウツクシと表現する場合、そうした意味あいが強く現れる。用字が「愛」である場合、ウルハシとも訓めるが、こちらは立派に整った理想の状態への讃め言葉で区別される。

 その後、ウツクシは次第に小さなもの、可憐なもの、そこに生ずるかわいらしさを表現するようになっていく。『竹取物語』で、竹筒の中から発見されたかぐや姫が「三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり」と描かれているのは、その例。『枕草子』では「うつくしきもの」として、「瓜にかきたるちごの顔。雀の子のねず鳴きするにをどり来る。・・・雛の調度。・・・葵のいと小さき」などを挙げ、「何も何も、小さきものは、みなうつくし」とまとめている。

 ウツクシが美一般を表す現代語の「美しい」に対応するような例が現れるのは、どうやら中世に入ってからのようである。 

~『万葉語誌』から抜粋引用

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