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巻第11(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第11-2580~2584

訓読

2580
面形(おもがた)の忘るとあらばあづきなく男(をのこ)じものや恋ひつつ居(を)らむ
2581
言(こと)に言へば耳にたやすし少なくも心のうちに我(わ)が思はなくに
2582
あぢき無く何の狂言(たはこと)いま更(さら)に小童言(わらはごと)する老人(おいびと)にして
2583
相(あひ)見ては幾久(いくびさ)さにもあらなくに年月(としつき)のごと思ほゆるかも
2584
ますらをと思へる我(わ)れをかくばかり恋せしむるは悪(あ)しくはありけり

意味

〈2580〉
 彼女の面影が忘れられるものなら、男子たるものがこのように不甲斐なく恋い焦がれていようか。
〈2581〉
 言葉に出して言うと軽々しく聞こえるだろう。心の底で私は真剣に思っているけれど。
〈2582〉
 何という愚かなことを言ったものか、今さら何で子供じみたことを言うのか、いい年をして。
〈2583〉
 逢ってからそんなに長くはないのに、幾年月も経ったように思われる。
〈2584〉
 立派な男子と思っているその私を、こんなにも恋しがらせるとは、よくないことです。

鑑賞

 作者未詳の「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」5首。2580の「面形」は、顔の形。「忘るとあらば」は、忘れることができるのならば。原文「忘戸在者」で、ワスルトナラバと訓むものもあります。「あづきなく」は、ふがいなく、分別なく。「男じもの」は、男子たるものが、男であるからには。「や」は、疑問の係助詞で反語となっています。片恋に悩みながら、男子としての自尊心を奮い起こして恋から放たれようとしながら、それができない男心を歌っています。一方、私の顔を忘れたのかという詰問に対し弁明している歌と見る立場もあります。

 
2581は、女に告白した男の歌。「言に言へば」は、言葉に出して言えば。「耳にたやすし」は、聞く側にとっては安易で、たやすく聞き流せてしまう。あるいは、言う側にとっても口先だけで済んでしまう。「少なくも」は、下に打消・反語を伴い、少しだけどころではない、甚だの意。「我が思はなくに」は、私が思っているわけではない(そんな浅い思いではない)。この歌は、言霊(ことだま)を信じていた古代人による、逆説的な言葉への不信感を詠んでいます。本当に深い思いは、言葉にした瞬間にその重みを失い、軽薄なものに変わってしまう。作者は、自分の胸の中にある巨大な感情を、ありふれた言葉に表出することを拒んでいます。

 
2582の「あぢき無く」は、自分でうんざりする意。「何の狂言」の「狂言」は狂った言葉で、いったい何を口走っているのか。「いま更に」は、今になって、この年になって。「小童言」は、子供じみた言葉。「老人にして」は、老いた身でありながら。ただし、早い年齢から老を言った時代なので、さしたる年齢ではなく、熟年の男が若者のような愛の言葉を発して自分を咎めている歌です。

 
2583の「相見ては」は、お逢いしてからは。「幾久さにもあらなくに」は、それほど久しい(長い)時間ではないのに。ヒササは、久シの名詞形。「思ほゆるかも」は、自然と思われてしまうことよ。「思ほゆ」は自発の助詞を含み、自分の意志とは無関係に、心が勝手にそのように感じてしまう様子を表します。恋は人間から客観的な時間感覚を奪うということを言っている歌です。

 
2584の「ますらを」は、勇ましく、道理をわきまえ、感情に溺れない強い男性のこと。「思へる我れを」は、(そう)思っている私なのに。逆接的なニュアンスを含み、現在の情けない状況との対比を強調しています。「かくばかり」は、こんなにも。「恋せしむるは」は、恋をさせるのは。「悪しくはありけり」は、よくないことだ、感心しないことだ。「悪しく」の原文「小可」でアシクと訓むのも確定的ではなく、「苛」の誤字だとして、カラクと訓むものもあります。「けり」は、過去の出来事に対して感動や発見を表す助動詞。男の歌で、自身の長らくの恋心の責任を女に転嫁していますが、相手を本気で非難しているのではなく、「参ったなあ」「困ったものだ」という、降参に近い愛嬌のある恨み言です。
 


『万葉集』の歌番号

 『万葉集』の歌に歌番号が付されたのは、明治34~36年にかけて『国歌大観歌集部』(正編)が松下大三郎・渡辺文雄によって編纂されてからです。「正編」には、万葉集・新葉和歌集・二十一代集・歴史歌集・日記草紙歌集・物語歌集を収め、集ごとに歌に番号が付されました。これによって、国文学者らは、いずれの国書にでている和歌なのかをたちどころに知ることができるようになりました。『万葉集』の歌には、1から4516までの番号が付されています。ただ、当時のテキストとなった底本は流布本であり、またそれまでの研究が不十分だったために、一首の長歌を二分して二つの番号を付す誤りや、「或本歌」の取り扱いなどの問題もあり、4516という数字が『万葉集』の歌の正確な総数というわけではありません。しかし、ただ番号を付すというそれだけのことで、その後の国文学研究は大きく進展したのです。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。