| 訓読 |
2590
石根(いはね)踏み夜道(よみち)行かじと思へれど妹(いも)によりては忍(しの)びかねつも
2591
人言(ひとごと)の繁(しげ)き間(ま)守(も)ると逢はずあらばつひにや子らが面(おも)忘れなむ
2592
恋死なむ後(のち)は何せむ吾(わ)が命(いのち)の生ける日にこそ見まく欲(ほ)りすれ
2593
敷栲(しきたへ)の枕(まくら)響(とよ)みて寐寝(いね)らえず物思(ものおも)ふ今夜(こよひ)早(はや)も明けぬかも
2594
行かぬ吾(あれ)を来(こ)むとか夜(よる)も門(かど)閉(さ)さずあはれ吾妹子(わぎもこ)待ちつつあるらむ
| 意味 |
〈2590〉
岩を踏み越えて行くような夜道は行くまいと思うけれど、あの子のことを思うと、とても辛抱しきれなかった。
〈2591〉
うるさい噂の隙を見つけてと思って逢わずにいると、あの子の顔を忘れてしまうのではないだろうか。
〈2592〉
恋い焦がれて死んだ後では何の意味があろう。生きている日のうちにこそ逢いたく思うのに。
〈2593〉
寝床の枕がしきりに騒ぐので、落ち着いて寝られない。心が晴れないこんな夜は早く明けてくれないだろうか。
〈2594〉
行こうにも行けない私が来ると思って、夜になっても門を閉めずに、愛しいあの子は待ち続けているのだろう。
| 鑑賞 |
作者未詳の「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」5首。2590の「石根」は、台地に根を張ったような大きな岩。「石踏む(石根踏む)」は、岩がごつごつ出た険しい山道を通るのが危険だという定型的な言い方。「夜道行かじと」は、夜道は行くまいと。原文「夜道不行」で、ヨミチハユカジトと字余りに訓むものもあります。「忍びかねつも」は、我慢しきれないなあ。「かね」は動詞の連用形に付いて「〜することができない」の意。「つ」は完了、「も」は詠嘆。窪田空穂は、「女に逢った時の挨拶の歌」としています。
2591の「人言」は、世間の噂。「間守る」は、隙を窺って。「つひにや」の「や」は、疑問の係助詞。「子ら」の「ら」は、親愛の接尾語。「面忘れなむ」の「なむ」は、推量の助動詞で「や」の結びの連体形。忘れてしまうだろう。当時の貴族社会において、人の噂は単なるゴシップではなく、家名や立場を危うくする実害のあるものでした。そのため、今は逢うべきではないと自制することは大人の分別です。しかし、この歌の作者はその分別に従うことで生じる代償を恐れています。顔を忘れてしまうというのは、単なる忘却を意味するのではなく、二人の心の繋がりが消えてしまうこと、縁が切れてしまうことへの強い危惧を表現しています。写真も何もない時代、会わないことはその人の面影が薄れることを意味し、それは恋の終わりを直視することに他なりませんでした。
2592の「恋死なむ」は、恋の苦しさゆえに死んでしまうだろう。「何せむ」は、何になろうか。「吾が命の」の原文「吾命」で、ワガイノチと訓むものもあります。「見まく欲りすれ」は、逢いたいと思う。「見まく」は、見る(逢う)こと。「欲りすれ」は「欲す」の已然形で、上の係助詞「こそ」を受けての係り結び。単なる願望ではなく、激しい「渇望」を表現しており、「いつか逢えればいい」という悠長なものではなく、「今すぐでなければ意味がない」という切迫したエネルギーが、力強いリズムとなって響きます。
2593の「敷栲の」は「枕」の枕詞。「枕響みて」は、眠れずに何度も寝返りを打ったり、身悶えしたりする様子を誇張的に表現したものです。あるいは、自身の激しい鼓動や溜息が枕に反響しているとも解釈できます。原文「枕動而」で、マクラウゴキテと訓むものもあります。「寐寝らえず」は、眠ることができない。「早も明けぬかも」の「も~かも」は、願望。「枕が響く」という表現は非常にユニークであり、静まり返った夜、一人で悶々としていると、自分の心臓の音や、布団が擦れる音さえも大きく聞こえるものです。その心理的な騒々しさを「響む」という強い言葉で表しており、作者の苦悩の激しさが伝わります。
2594の「行かぬ吾を」の原文「不徃吾」で、ユカヌワヲ、ユカヌワレ、ユカヌワレヲと訓むものもありますが、ここは許容される字余りの例外となるのを避けるためユカヌアレヲと訓んでいます。「来むとか」は、来ると思って~か。「とか」は推量・疑念を含んだ期待を表します。「閉さず」は、閉ざさずに。「あはれ」は、感動を表す語で、愛おしさ、切なさ、申し訳なさが混ざり合った深い感情を表します。「待ちつつあるらむ」は、待ち続けていることだろう。「らむ」は現在推量で、今この瞬間の相手の姿を思い描いています。2590〜2592のでは、作者の自分本位な情熱が歌われていましたが、この歌では、一歩引いて「待たせている彼女」の側に立ち、自分だけが苦しいのではなく、相手もまた期待と不安の中にいることを察しています。「門を閉めない」という動作は、当時の恋のルールにおいての切ないサインであり、夜が更けても門が開いているのは、彼女がまだ諦めていない証拠です。その開いたままの門を想像することで、作者は自分の行けないもどかしさをより強く感じています。

作者未詳歌
言葉を意味する「言(こと)」と事柄を意味する「事」とは、元来相通じる概念であった。モノが言葉による認識以前に存在するのに対して、コト(事)は言葉による認識作用・形象作用によってこそ形を与えられるためである。
『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。
7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、畿内圏のものであることがわかります。
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古典に親しむ
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