| 訓読 |
2634
里(さと)遠(とほ)み恋ひわびにけりまそ鏡(かがみ)面影(おもかげ)去らず夢(いめ)に見えこそ
2635
剣大刀(つるぎたち)身に佩(は)き添(そ)ふる大夫(ますらを)や恋といふものを忍(しの)びかねてむ
2636
剣大刀(つるぎたち)諸刃(もろは)の上に行き触れて死にかも死なむ恋ひつつあらずは
2637
うち鼻(はな)ひ鼻をぞひつる剣大刀(つるぎたち)身に添ふ妹(いも)し思ひけらしも
2638
梓弓(あづさゆみ)末(すゑ)のはら野(の)に鳥狩(とがり)する君が弓弦(ゆづる)の絶えむと思へや
| 意味 |
〈2634〉
あなたの里が遠いので、恋しさにすっかりうちしおれています。手鏡に映る影のように、面影が消えることなく夢に見えてほしい。
〈2635〉
立派な剣大刀を身に帯びている男子たる者が、恋くらいに堪えられないものであろうか。
〈2636〉
剣太刀の鋭い諸刃の上を歩いて、死ぬなら死んでしまおうか、こんなに恋い焦がれ続けてなどおらずに。
〈2637〉
くしゃみが出る、またくしゃみが出る。どうやら、腰に帯びる剣大刀のようにいつも寄り添ってくれている妻が、私のことを思ってくれているらしい。
〈2638〉
末の原野で鷹狩をされるあなたの弓の弦が切れることなどないように、二人の仲が切れるなどとは思いもしません。
| 鑑賞 |
作者未詳の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」5首。2634は「鏡」に寄せての歌。「里遠み」は、里が遠いので。「恋ひわびにけり」は、恋しくてしょげている。「わぶ」は、どうしようもなくて困り果てる、心身ともに疲れ切るという意味。「まそ鏡」は「面影」にかかる枕詞。「面影去らず」は、忘れたくても、あなたの顔が目の前から離れないこと。「夢に見えこそ」の「こそ」は、願望の終助詞。左注に「この一首は上に柿本人麻呂歌集の歌の中に見えたが、句の入れ替わりがあるのでここに載せる」旨の記載があります。2501の「里遠み恋ひうらぶれぬまそ鏡床の辺去らず夢に見えこそ」の変化したものになっています。
2635~2637は「剣」に寄せての歌。2635の「身に佩き添ふる」は、身に帯びている。いつでも戦える、あるいは自分を厳しく律している状態を指します。「大夫や」の「大夫」は立派な男子、勇壮な男。「や」は疑問の係助詞で、反語をなすもの。「忍びかねてむ」の「て」は強意、「む」は推量の助動詞。堪えられないだろうか、そんなはずはない。片恋に悩んでいる男が気持ちを奮い起こしている歌で、大夫たる自分が、たかが恋ごときに・・・という自尊心(プライド)が、この歌に複雑な陰影を与えています。単に苦しいと言うのではなく、自分のような人間でさえも、と対象化することで、恋が人間にとってどれほど根源的で制御不能なものであるかを強調しています。このような伝統的な大夫としての態度を詠んだ歌は集中数多く見られます。
2636の「諸刃」は、剣の両刃があるもの。「行き触れて」は、その鋭い刃先の上を歩くということ。これは現実の動作というより、自ら命を絶つほどの激しい苦痛や、極限の危うさを表す比喩です。「死にかも死なむ」は、死ぬなら死んでしまおう。「恋ひつつあらずは」は、恋い続けていないで。「~ずは」は、「~するよりはむしろ」という強い選択(二者択一)を意味します。前歌と同じく、片恋に悩む男が、丈夫の気概を奮い起こして、女々しい恋を払いのけようとする心を詠んでいます。人麻呂歌集の2498番歌「剣太刀諸刃の利きに足踏みて死にし死なむ君によりては」の替え歌とされます。
2637の「うち鼻ひ」の「鼻ふ」は、くしゃみをする意。原文「晒」で、ウチヱマヒと訓み、微笑んでと解するものもあります。「剣太刀」は「身に添ふ」の比喩的枕詞。「身に添ふ妹」は、いつも寄り添ってくれる妻。「けらし」は「ける・らし」の転。「らし」は、根拠に基づく推定。当時、くしゃみは、恋人に逢える前兆であるとの俗信があり、男が、思わずくしゃみが出たのを、妻が自分を思ってくれたからだろうと、嬉しく感じている歌です。現代でも「くしゃみをすると誰かが噂している」と言うことがありますが、万葉人にとってこれは冗談ではなく、離れた場所にいる人の「魂の動き」を察知する重要なサインでした。くしゃみが出ることで、独りよがりの片思いではなく「相思相愛」であることを確認し、安堵しているのです。
2638は「弓」に寄せての歌。「梓弓」は、弓の上の方を末と言うことから「末」にかかる枕詞。「末のはら野」は地名とされますが、未詳。上4句は「絶え」を導く譬喩式序詞。「絶え」は、弓弦の切れることと二人の仲が絶える意味との掛詞。「絶えむと思へや」の「絶えるなんて思うでしょうか、いいえ思いません」という反語表現。この歌について、窪田空穂は次のように述べています。「本文は『絶えむと思へや』の一句で、他は序詞という、特殊な形をもった歌である。序詞が四句にわたっており、それがまた特殊な事柄なので、序詞という感じは薄れて、叙述という感じが濃厚になっている。こうした序詞は、実際を目撃しなければ生まれないものであるから、実況の叙述を序詞の形としたものと見るべきである。それだと、『君』と呼ばれる人の鷹狩をしているさまを望見している女の、その人と関係のあるところから、その状態の愛でたいのに感激しての心と見るべきである」。

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